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機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第38話 〜 新しき旗 〜

さてさて、やってまいりました最終クール。SEEDのラストを再現する形となった第3クールを受け、ようやく始まったDESTINY本編。まずはネタフリから、といったところで伏線満載ですが、その中でも重要な前ふりがいくつか散見。特に、シンとルナマリアの関係や、シン的「守る」再宣言、スティングの最期なんかは、物語のメインフレームに直結していく強烈に重要な前ふりになりそう。そんな38話の感想です。


■我らを討ったとて、ただやつらがとって代わるだけじゃわ

9話の連合からの要求とクリソツだった前回のプラントからの要求。撃つべき敵が変わっただけで、システムそのものに変わりなし。それを再アピールする台詞に燃えつつ、ジブリールの「取り返しのつかなくなる前に」にラクスの「間に合わなくなりますわ(37話)」とも重ねることで、ラクスサイドの目指すものは「敵を撃つことで得る平和」「ロゴスやデュランダルが目指す世界」でないことも対比アピール。イイヨイイヨ〜。


■正義の味方や神のような人間などいるはずもない

アークエンジェルとデュランダル。これまでポジティブ側面とネガティブ側面の両面を描かれてきた両者は、正義の味方でもなければ、神のような人間でもない。核心を突いた台詞がさりげにディープです。


■でもあいつらが、ロゴスが狂わせたんでしょ、アスランも、メイリンも

そうやって議長さんはルナを騙したのね〜。そのあとに続く「あの大戦のあと、オーブになんか行かなかったら」を聞くに、さらに「オーブもロゴスに与している」と騙してそう。オーブ決戦、近し!

ただ、合間の「そんな子じゃなかった、メイリン、アスランもきっと…」と言うのは、ルナの「自分解釈全開」「思考依存モード」を描きたいんでしょうけど、もう少し二人を信じてやれよと。


■ズルイのよ、アスランって、みんな裏切られたわ、私もバカよ、でも、負けないから

アンタが裏切るから(37話byシン)。みんな裏切られたわ(38話byルナマリア)。そうやって「裏切り」というフレーズでシンクロする二人。命令、だから、敵を撃つ、仕方ない、けれども、割り切れず、肩を震わせて泣くシン。そんなシンを見てしまい、エンパシって感情移入するルナ。そして、ちゅー。

相互理解には共通体験が必要。前回の「ごめん→割り切れないシン→エンパシー→抱きつくルナ」といい、今回の「肩を震わせて泣く→割り切れないシン→エンパシー→抱きつくルナ」といい、今の自分にシンを重ねてエンパシるルナの姿に、そんな種の公式が垣間見えてキレイです(←妹の死、という体験も共通していますしね)。ほんと、種らしい構成&演出やわ〜。

内容的には逃げの恋であり、傷のなめあいっこであり、ルナの議長サイド化であり、といったところでしょう。全力で後ろ向きなニュアンスがビンビンに漂います。そうして思考停止したまま、同じ境遇にいるシンとエンパシりながら「敵」を撃つ戦いへ。そんな具合に、議長の説く「力」「偽」「依存」「諦観」サイドに傾いていくルナマリアですが、AAサイド化していくメイリンとの対比描写の一環として、最終クールが始まったこのタイミングにピッタリの描写に燃えまくり。


■守るから

そして「守るから」炸裂。キ━タ━(゚∀゚)━!って感じッすよ!十中八九くると思っていましたが、こんなに早くくるとは…って感じっす。まぁでも、冷静に考えるとこのタイミングしかありえないんで、おそらく、これに呼応する形でキラも「守る」を宣言するはず

これまで、シンは家族とステラを守れず、キラはトールとフレイを守れず。SEED物語がリセット&再起動された世界、デュランダルサイドに傾く世界。その中で、ともに「守れなかった」過去を持つ二人が、再び「守る」を宣言して対峙へと至る。後述する「スティングの死」とともに、シンvsキラ、第2ラウンドに向けた対比リスタートって感じですね。

それにしても、シン&ルナのエンパシー→ネガ恋愛描写によって、姉妹対比ネタとシンキラ対比ネタを同時に表現。上手くまとめて描いたもんだと感心しきりです。ナイス構成。


■ミーアは?

ミーアが葛藤モードなので、自立メイリン←葛藤ルナ→依存ミーアなのか、自立メイリン←葛藤ミーア→依存ルナなのかが今ひとつハッキリせず。ただ、どちらになるにせよ、第2クール以降「理想ルナ⇔現実メイリン」「現実ミーア」と思考誘導されていたせいか、ミスリードされまくった楽しさがフツフツと…。うまいこと「偽ラクスネタを公にできなかったルナ」の伏線を使ってきたなぁ。ミネルバ離脱伏線でなく、議長サイド化伏線だったのね。


■ビグザムが量産された暁には

ウィンダム量産萌え、ザムザザー量産萌え、デストロイ量産萌え、というか、ビグザム量産萌え!ゲルズゲーたんは量産されなかったのね…。


■君、ちゃんと生きてるって

あの世じゃないよ〜w


■やむをえん、我らもただちに戦闘を開始する

絶対攻撃である核を撃たせておいて、それを上回るNスタンピーターを投入。絶対破壊兵器であるザムザザーやデストロイを使わせておいて、それを上回るデスティニー&レジェンドを投入。絶対兵器を使わせておいて、それをも上回る切り札を場に投入、勝利。やむをえん、とか言っている割に、議長の必殺パターンにはまりすぎです。


■全ては勝たねば意味がない

敵を撃ち、敵を滅ぼした後で手に入れるもの。全ては勝者のもの。勝利。その先に待つ平和に意味はありやなしや。


■ラグナロク

神と巨人の戦い。デュランダル、ニーベルングシステム、オペレーションラグナロク。神との戦い、運命との戦い。上手いことネームングしてきたよなぁ。ニーゲルングはサイクロプスの発展形?


■ミネルバCIC担当

誰〜。メイリンたんのポジションが〜。ルナ「メイリン、フォースシルエット」、メイリン「はい、お姉ちゃん」。そんな姉妹コンボが見たかったのに…。というか、姉妹コンボが見られる日は来るのか?


■月があるんだよねぇ、連合には

宇宙へ、ですね。そこがロゴスvs反ロゴスの決戦の地になりそうですが、ネオエピソードの深化パートになるのかな?


■ルナインパルス

射撃あたってる〜赤なの忘れてた〜


■指輪―!指輪―!

♪ 破れた約束さえも誓いに変えたなら あの場所で出逢う時 あの頃の二人に戻るかな? ♪

♪ 明日にはぐれて答えが何も見えなくても 君に逢うそのために重ねてく今日という真実 ♪

傷ついたアスランを心配するカガリの指に輝く指輪。8話以降、タイミングごとに強調されてきた「指輪」演出が再登場。本再会は次週になりそうですが、今日という真実を重ねてきた二人は、あの頃の二人に戻るのか。要注目。バックで『Reason』流れたら泣くかも…。


■戦うためだけの人間

強化人間然り、今のシン然り、今のルナマリア然り、レイ然り。スティング搭乗のデストロイがデスティニーの剣で貫かれる直前、吠えあうスティングとシンの顔なんかもクリソツです(←どう見ても意図したクリソツっぷり)。今の自分が「戦うためだけの人間」であることに気づかぬシンやルナマリア。それでも己の正義を信じて戦う二人の姿が切なすぎ…。


■デストロイ破壊

五右衛門斬鉄剣な真一文字斬りに燃えつつ、スティング搭乗デストロイ破壊シーンの重ね構図に燃えつつ。自分なりの理想を掲げながらも、スティングというエクステンデッドを撃つしかなかったシン。自分なりの理想を掲げながらも、ステラというエクステンデッドを撃つしかなかったキラ。なんだ、同じじゃん、みたいな。

今のシンはそのことに気づけていないようですが、そんな「似ている」二人が、前述したキラの「守る」宣言によってさらに重なってくるはず。第二次バトルに向けて、早くも対比描写キタ━(゚∀゚)━!って感じですよ。と同時に、メイリンネタと絡んで、シンの気づかぬところで、シン的正義への問題提起をしてくれています。オマイは、オマイが憎んだキラとどう違うねん?みたいに。もう熱すぎ。


■アスラン

今は語ることないアスラン。前回で「起+承+結」の揃った語りを披露しつつもレイに妨害されて語りきれず、今回は体調不良で語ることができず。でも、そこに「僕たちはまた話せる、いつでも」がフォローされてメラ熱い。

また、キラやアスランにとって、この「僕たちはまた話せる、いつでも」というフレーズは、相互理解や受容を意味する「和解」のフレーズでもあるわけで。言葉、超大切。みたいな。

だから…今は「また話す」時を待って…。次週、超期待ッス!燃えまくり!!!でも、戦場→AA艦内のシーン切替のたびに音が途切れる演出は必要なかったんじゃ…?むしろ、音はそのまま流し続けた方がよかったような…。


■逃げるジブリール

月?それとも…オーブ?


■新しき旗

第3クールの終わり方を整理すると、結局SEEDのラスト、クルーゼの主張に戻ってきた、という形になっているかと。理想を掲げて戦いつづけても、結局は憎しみを生みだすことしかできなかった。所詮は血の道。人は、自分本位な他者否定を繰り返す存在。互いにその身を喰いあって滅びるのみ。そんなクルーゼ理論を立証する形で、自ら生みだした憎しみ、それそのものであるシンに討たれたキラ。まさに変態仮面の完全勝利です。

そして、そんなクルーゼ理論に対して、人の業が「自分本位な他者否定」にあるのなら、自分本位な考えを生み出す「想い」を捨て去ればいい、と指摘するデュランダルの手によって「新しい旗」が掲げられる、新しい世界が構築されはじめる、と。これもまた、デュランダルの完全勝利です。この方法なら変態仮面も納得でしょう。そりゃ、今回のED前でもニヤリしますよ>デュランダル。

ですが、その一方で、ラクスやAAらが、アスランの持ち帰った真実を鍵に、栄華を極めた議長への逆襲を決意。舞台裏にて、もう一つの「新しき旗」がふられています。シンやルナマリアの議長サイド化、連合の敗北に伴うロゴス打倒前進と、世界が議長の目指す方向に進みつつある中で、AAサイドの巻き返し、なるか?エターナル防衛戦、オーブ防衛戦。見どころ多くなりそうですよ〜。


■Wings of words

言葉の力、相互理解の力。わかりあい、言葉を交わしあい、人とのつながりを深めてこそ、見えてくる夢。迷っても、一人じゃない。と、ストーリーとシンクロしているように思えつつ、でも「どんなペシミストも恋をして変わる」の部分は「デュランダルって恋をしたからペシミストになったんじゃ?」と思いつつ。

制作サイドに言われたとおりのフレーズをぶち込んだから、なんとなく意味はつながっている、けれど、話を見ていないからフレーズのつながりが微妙におかしい。そんな感じ。映像の内容や切替タイミングとも噛み合っているようで噛み合っていないようで。TM、玉置、有坂、高橋、See-Saw。とんでもなくストーリーとシンクロさせまくってきた他の楽曲と比べると、制作サイドと作詞担当の打ち合わせが微妙に一方通行くさいような…。気のせい?慣れの問題?


■君は僕に似ている

自分で選んだ今を生きる、その中で、歯止めの効かなくなる自分がいる、だけど、二人なら、終わらせることができる。そんな本編とシンクロしている歌詞も熱いのですが、それ以上にステキだったのが、斜め上へとスクロールしていく構図。左右ですれ違っていった2期EDと異なり、右上への流れを伴って同じ方向にスクロールしていく構図を採用。マジ凄かった…。

この歌、29話「Fates」でBGMとしても使われていたんですよね(←中間CMの前2分ほど)。29話感想で「今回映し出された旧主人公の辿った過去とその想いは、まさしくデュランダルにも共通する過去であり、想いであると。そう見えてくるんですよね」と言っていたのですが、それがモロにヒットしまくり。

誰もが誰もに似ている世界。それでいて「歯止めの効かなくなる」自分をふりかざし、他者を傷つける世界。でも、それでも、「二人なら終わらせることができる」、似ているもの同士なら、わかりあえる者同士なら、そんな世界を終わらせることができる、そう信じて…。雰囲気もEDらしい次へとつながる静美モードで静かに燃え。いいわ〜、こういうの。

ちなみに、個人的にこのEDについて期待しているのは、B〜Cサビ。種の最終クールEDでは、49話までがAサビまで(光が見えるから)、50話限定でB〜Cサビまで(確かな光を見た)、という歌詞を上手く使い分けた演出になっていたのですが、今回もそんな流れのあるB〜Cサビの使い方をしてくれないかな…かな?


■新OP&ED

TMで始まり、TMで終わる。See-Sawで広がり、See-Sawで閉じる。原点回帰、これ最強。TMも劇中歌でなくOP採用されていればなぁ…。


■ドムドムドム〜♪

踏まれ役、三人登場。イザークではありませんでした。残念なような安心なような。っていうか、誰だオマイら?



そんな感じで、最終クールスタートに付随する各種ネタフリが散見された38話感想終了。シンとルナマリア、シン的「守る」再宣言、スティングの死。そのあたりの対比描写を中心に、地味ながらもきっちり前ふりしてきた38話でしたから、そのあたりの「前ふり」をスルーしてしまうと、ラストのあたりで「そんな前ふりなかった」「唐突だ、脈絡がない」という見方しかできなくなるかもです。

前ふり(因)があって、帰結(果)がある。一般に、前ふりを無視して帰結単体をとらえても盛り上がれる&理解できるわけがありませんから、お話を楽しみたい方は、前ふり部分をきちんと押さえておいた方が良いかと。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第39話 〜 天空のキラ 〜

ペシミストのところは依然?ですが、他は1週あけると慣れたなぁ。OP見ながらそう思いつつ、キラ&ラクス復活に燃えまくり。ボカスカ伏線回収しまくってメラ気持ちいい。そんな39話感想です。


■DESTINY PLAN

デュランダルのいうDESTINY-PLANは、一見今の時代有益に思える。だが、我々は忘れてはならない。人は世界のために生きるのではない、人が生きる場所、それが世界だということを。

データの抹消された遺伝子研究所で、唯一発見されたノートに書き記されたこの言葉。人は世界を動かす歯車、パーツ。歯車として、パーツとして、想いを捨て、力に見合った役割を果たすことで、人が生きる世界。デュランダルの目指す世界の在り方が、また一つ具体化。大枠として、これまで推測されてきた通りの世界システムのようです。


■オーブは強い国ですから、力も、理念も

で、そんなデュランダルの目指す世界にとって、強い想いを抱くオーブという国は不要なわけで。というか、オーブに限らず、強い想いを抱く者、想いを抱いて自分で考えながら自発的に行動することができる者、歯車やパーツにならない者は不要なわけで。

ロゴス打倒は、システム構築権限簒奪のため。オーブやAA打倒は、自分で考えて自発的に行動することができる者、歯車にならない者を排除するため。事の顛末がはっきりしてきましたね。


■サトー隊長データ

OP前、データベース内に存在したサトー隊長(ユニウス7落とし実行犯)のデータ。エターナルが攻撃された際の「あの2機と資料をアークエンジェルに向けて射出します」を聞くかぎり、ラクスたちが独自に調べあげた情報のようですが、どうやらデュランダルとユニウス7落としの間にはつながりがあった模様。新しい世界秩序を作るための土台作り。その騒乱には、ユニウス7落としも含まれる気配です。


■自分本位と他者共存

力、偽、依存、諦観。そんな議長サイドの在り方にもポジティブな側面はある、一概に否定できるものでもない、と描かれてきました。けれど、だからといって、ユニウス7落としやオーブ侵攻のように、他者の存在を踏みにじる行為をしていいかといえば、それはさすがにマズイんですよね。

想い、真、自立、意志のラクスサイド。力、偽、依存、諦観の議長サイド。ともに全肯定できるものではなく、どちらもネガポジ両面を持ったスタンスなのだから、どちらを選ぼうと、そこに間違いはない。ただし、自分本位にものを考え、他者を踏みにじるのは(・A・)イクナイ!

そういった「自分本位と他者共存」の対立を、最終的な善悪を左右するファクターとして据え、残りの「想いと力」「真と偽」「自立と依存」「意志と諦観」については「どちらもあり」なスタンスを取ってくるような(←もちろん一つの解答「例」は示すでしょうけど)。そんな風に思えてきた第4クールです。そうすれば、第2クールあたりでメインに据えられていた「自分解釈(・A・)イクナイ!」な描写も、きっちりメインフレームに絡んできますしね。


■他のロゴスのメンバーは、全て見捨てて

オーブへ逃れるジブリール。それを受け入れるセイラン。直接の侵攻理由もできて、デュランダル議長も万々歳。シン君も「今度見つけたら、絶対俺が踏み潰してやる」と殺る気たっぷりです。これにてオーブ侵攻のお膳立ても終了。次週、オーブ決戦!

でも、議長ではありませんが、ジブたん、オーブに逃げ込んで何をするつもり?戦力的にも安全確保の面でも、素直に月に逃げた方がメリット多いと思うんですけど…。


■「しょうがないのかな、もうほんとうに」→「いや、そんなはずはない。絶対に!」

前作ラストで、諦観して死を選ぼうとしたアスランに「生きる方が戦いだ!」と吠えたカガリ。それを裏返して、今度はアスランが諦観するカガリを勇気づけ。

かなり熱いのですが、ただ、演出として、8話から30話ぶりの再会のわりには妙にアッサリ。タメにタメたアスラン&カガリの本再会なのですから、もう少し盛り上げても良かったような…。まぁ、前作のキラ&アスランも、39話でアッサリ再会させた上で40話ラストでMS握手→アイコンタクトと燃え描写をかましてくれましたから、今回も次の40話あたりが山場なのかなぁ。

というか、アスランとカガリの相互依存を解消するためには、アスラン→カガリだけでなく、カガリ→アスランの依存も解消しなければならないんですよね。そうなると、今話でのアスラン→カガリの依存返上につづく形で、次あたりでカガリ→アスランの依存返上となり、そこで相互依存解消&本再会イベントになるのかも。今回の会話が再会のクライマックスだとしたら少しもったいないんで、次回のオーブ決戦でカガリが何を魅せるかに期待しておきます。


■そんなはずはない、絶対に!→シンを回想

さらに、アスランの「そんなはずはない、絶対に!」に被せるようにしてシンのカットインも入り、シンの脱諦観サイドの可能性もアピール。次回のオーブ決戦、ここも一つのポイントになりそうで、かなり楽しみですよ〜♪


■ほとんど話したこともないのに…おれ甘えて…巻き込んで

20話の「シンと行けばいいじゃないか」につづき、姉妹して激鈍のエジキになるメイリンたん。
イロエロと体はったのに…(;つД`)。そんなメイリンたんにプレゼント。

つ  『婚約者のいる異性の奪い方』 著:キラ・ヤマト
つ  『僕はこうして女を奪った』 著:キラ・ヤマト
つ  『一週間でできる!婚約破壊法』 著:キラ・ヤマト


■ファクトリー

ラクス支援組織?何かしらの工業技術者集団?MS工房?ドムを保管しているくらいですから、それなりに大きな組織っぽいですが…。それと、ラクスの「あの2機と資料をアークエンジェルに向けて射出します」を聞くに、どうやらもう「1機」あるらしい。IJですか…ですか?


■勝ちたいわけではありません、守りたいのです

敵に勝つ。その先に平和を求めるデュランダル。大切な者を守る。その先に平和を求めるラクス。ハードはそのままで、ソフトだけをバージョンアップしようとしているデュランダル。ハードそのものをリニューアルしようとしているラクス。その違いがはっきりくっきり。イイヨイイヨ〜


■マリューさん

ポジティブコーチングなマリューさん萌え。相手をよく観察し、決して否定せず、相手の言葉を肯定しつつ、ポジティブなアプローチを提言。デス種に入ってから特に、良い感じで年上のお姉さんしています。デカくなったのは乳だけではないようで。


■ブリッジの通信コードは覚えているのね

どこまで思い出してるんだ?このオサーン。と思いつつ、ネオ=ムゥなオサーンもキラ復活に力を貸しているのが静かに熱い。一旦連合に戻るフリがあるかと思っていたのですが、このままAAに戻ってくるのかも。

ただ、どちらにしろ、全ての記憶を戻した時に「記憶というのは、あった方がいいのか、それともない方がいいのか」なネタを落としこんでくるはずなので、その時にネオ・ロアノークとしての罪をどう贖うのかがポイントでしょうか。

さりげに「俺はネオ・ロアノーク、た、い、さ」「(;゚Д゚)ェェエ工」な呆けアスランに和みました。もっと早く気づいてやれよ、みたいな。


■キラ復活(想い)

なんだか、わからないことだらけで、今の僕にはなんの力もなくて、これじゃ、なにも守れない
 ↓
もうすぐ、ラクスさんも戻るわ。そうすればきっと。ね♪だからそれまでガンバって♪
 ↓
キラ行け!ラクスを守るんだ、絶対に!キラ!彼女を失ったらすべて終わりだ!
 ↓
アスランの言葉をキラに伝えるネオ
 ↓
カガリ、ルージュ貸して!
 ↓
全員で、キラ君のサポートを!
 ↓
急ぎで調整するマードック、スピード優先、総員対比〜!
 ↓
俺が出る、とガイアで事前フォローする虎
 ↓
ミリアリアCICコール
 ↓
ストライク(想い)射出


■キラ復活(力)

ストライク(想い)射出
 ↓
踏ん張る虎、ダコスタ
 ↓
ストライク(想い)到着
 ↓
虎誘導、お前の機体を取ってこい!
 ↓
ラクスと再会。待ってて、すぐに戻るから、そして帰ろう、みんなのもとへ
 ↓
13話と異なり、躊躇いを振り払い、自分の意志で新たな剣を託すラクス
 ↓
TM『Vestige』流れる、ストライクフリーダム(力)出撃!


■ストライクフリーダム

アラスカの時と似たシチュエーション。エターナルが攻撃されている。フリーダムという力は堕ちた。けれど、何もできないって言って何もしなかったら、もっと何もできない、何も変わらない、何も終わらない、だから。皆を守るために初めて乗りこんだストライク。微力でも、守るために、戦う。そんな原点の想いに駆られて駆けつけたキラに、新たな力、フリーダムを託すラクス。キラ復活、ラクス復活。そして、ストライクフリーダム、発進!!!

熱かった…、ひたすら熱かった…。ストライクという想い、フリーダムという力。あわせてストライクフリーダム。ストライク発進でも、フリーダム発進でもなく、新しい構図で飛び立つSフリーダム。ストライク発進かフリーダム発進かを再現してくると思っていましたが、むしろ良い意味で裏切られまくり。

また、そんなキラの原点回帰を促したのは、キラ独りの葛藤ではなく、皆の言葉であり、フォローであり、想いであり。守りたい世界を守るために戦う、守りたい世界に守られて戦う。そんなキラが決意を込めて発した言葉は「待ってて、すぐに戻るから、そして帰ろう、みんなのもとへ」だったわけで。そんな相関する想いの奔流に魅せられつつ、さらに挿入歌『Vestige』も切なく響いて、もう最高。マジ良かった…。タイトル「天空の〜」も「舞い降りた〜」に掛かっていて気持ち良すぎです。


■ハッタリバトル

先週のデストレンジャー五機殲滅につづいて、今週はライダーvsショッカー軍団員よろしくな一対多のハッタリバトル。他にも、MS顔破壊→胴体踏み台ジャンプ→虎アタックや、キラ銃落とす→虎拾う→射撃など、ギミック満載。スパロボっぽいハッタリバトルがたまりません。OPでSフリーダムが見せるザク&グフ撃破のシーンも重なって、メラカッコイイっす。


■コンスコン キタ━(゚∀゚)━ッ!

コンスコンもどきな「2分、わずか2分で25機ものザクと…グフが全滅だと」炸裂。オマケに、キュピ〜ン→「あたれえぇぇ〜!」も決まって、プチ笑えたっす。


■憂い→笑み

やり遂げる、その覚悟を抱いて、再び戦場へ。そしてEDへ。迷いを振り払って「守る」ために戦場へと戻ったキラ、躊躇いを振り払ってキラにSフリーダムを託したラクス。二人の復活、決意、覚悟。その全てが込められたED前の「憂い→笑み」に燃えころげ。

議長への逆襲に向けて、キラとラクスの準備は完了。ただ、ここで「守る」のではなく「敵を討つ」ために武力を行使するようだと、やっていることが議長と変わらなくなるんですよね。エターナルに寄り添うフリーダムの図から、リニューアルキラは「守る」ために戦っていくことが窺えますが、やりすぎて「撃つ」ために戦ってしまうと、積み上げた話がパーになる可能性も。

だとするなら、オーブ決戦後は、ラクス&カガリが「言葉」でデュランダルへの逆襲を展開しつつ、それを「守る」ためにキラ&アスランが戦う、という構図になりそうな。それ以外の展開は考えづらいというか、ありえなさそうというか。そんな戦いの中で、カガリによって問題提起されたシンがどう転んでいくのかが視聴のポイントでしょうね。そこにデュランダル&タリア、ホーク姉妹、レイ、ネオが絡んで、最終的な帰結に向かっていくっぽい雰囲気。どう転がっていくことやら。


■次回

黄金の意志。前作ではオーブの獅子が滅びを選んだ40話。その獅子の娘が、獅子の咎たるシンを前に、どう父を乗り越えていくのか。そこで見せる黄金の意志とは。永遠、不滅を意味する黄金。その証を!決意を!



というわけで、39話感想終了。キラ&ラクスの覚醒が完了したっぽいですから、次はアスラン&カガリの覚醒かな。獅子が残した咎の象徴たるシンに対して、カガリがどう向き合い、どう父を越えていくのか。同時に、カガリvsシンによって、シンの正義にも問題提起が為されそう。一気に進めるか、それとも小出しに分けるか。う〜みゅ、かなり楽しみです。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第40話 〜 黄金の意志 〜

本編にはテロップかぶせてCMにはテロップかぶせないのねん。TV局にとってのお客はスポンサーだよね〜、と改めて感じまくりです。そんなことはど〜でもよかろうもんなのですが、暁とは「太陽の昇る前のほの暗いころ」だそうです。明けない夜、雷鳴の闇。振り払え!アカツキ!!!ってところでしょうか。そんな40話感想ドゾー。


■悪夢

カガリとの対峙を前に、良いタイミングでシンの葛藤をはさんできたなぁ。カガリとのシンクロ壁叩き、アスランからの「本当はオーブが好きなんじゃ」指摘、軍規を無視してのステラ返還など、これまで所々で描かれてきたシンの理想サイド面。今は現実サイドに大きく傾いているシンですが、根っこにあるものは、実は理想サイドの向きが強いんですよね。

夢の内容を見ても、ステラを巡るキラフリーダムとの戦いがメインを占めており、それが「うなされる」という結果につながっているのがオモシロ。ステラデストロイを止めたキラフリーダムの正当性を、心のどこかで認めている、故にうなされている、みたいな。カガリとの対峙によって、そんな潜在的理想サイドであるシンの根っこがどう揺さぶられることになるのでしょう。ばり楽しみっす。


■彼らは敵だ、裏切ったんだ、シン。仕方がない

上で触れたように、シンの根っこは理想サイドにありそう。悪夢にうなされた後も「わかってるよ、それはわかってるさ」と、その後に「けど割り切れないぜ」とつづきそうな台詞をかましてくれています。で、そんな悩みまくりなシンに、レイの「仕方がない」攻撃が炸裂。

一見すると、レイの「仕方ないだろう」は、葛藤するシンへの優しさともとれます。シンにとっては、さぞ心地良い言葉でしょう。相手が裏切ったんだ、仕方ないだろう。それは任務だからだ、仕方ないだろう、〜だから、〜だから。だから、仕方ないだろう。諦めろ。たしかに楽な選択です。ですが、そんな甘く心地良い諦めが、やがて世界の全てを殺す。ここ数話のレイの言葉には、そんなオーラが漂いまくり。そろそろ本性現してきたのねん。

でも、そんな怪しい言葉であっても、シンにとってのトラウマである「それでは誰も守れない」スイッチを経由すると、激しく効果的にヒットするという。ですが、任務を忠実に全うしていけば、たしかに自分に与するものは守れるのでしょうが、自分に与さないものは守れないわけで。任務を忠実に全うするのであれば、ステラも守ることはできなかったわけで。強さは優しさ、シンがそのことに気づく日はくるのでしょうか。


■ネビュラ勲章授与&フェイス任命

軍務だから仕方ない、そういって自発的思考を放棄し、カテゴリー依存を強めるネガティブな証。と同時に、軍務を忠実に全うし、組織だからこそ為しえる大きな戦果に貢献したポジティブな証。それが、勲章。

勲章はただ勲章、多く望むのも愚かなれど、むやみと厭うのもまた愚か。ミネルバ防衛、基地開放、連合軍迎撃、フリーダム撃破、アスラン追撃、ヘブンズベース攻略。一連の戦いの中で示されたネガポジ両面が、今回の「勲章」授与に集約されていて、静かに熱い。勲章そのものには善も悪もなく、それがどんな命令に順じた証なのか、どんな想いに拠ったものなのかが意味を成すという。つまり、命令や勲章単体にはネガもポジもなく、命令や勲章を授ける側の在り様、命令や勲章を授かる側の在り様こそが、意味を持つという。


■アーサー

ネビュラ勲章を授けられたシンを周りの皆が拍手で讃えるのですが、皆が拍手をやめる中、一人で拍手をつづけるアーサーたん。そのことに気づき、周りを見ながら日和って拍手を止めるアーサーたん。思考依存(・A・)イクナイ!な小ネタっぽい感じなのですが、それにしてもアーサーたんがステキすぎます。


■聞く気がないのなら放っておいていただきたいわ

議長、タリアさんに嫌われてますなぁ。というか、人の話を聞かないんですよね>議長。聞いているようにみせて、自分の枠組の中に相手をはめこもうと誘導トークしますから。聞いてないというより、タリアさんの言うように「聞く気がない」ってやつですね。話しかけたところで議長ワールドに放り込まれるだけ、議長の判断に応じた処断をされるだけ。そりゃ「言いたいことは山ほどありますが、迂闊に言えることでもないので黙ってるんです」というのがモアベターな接し方かと。一方通行言語も問題ですが、一方通行ヒアリングも問題です。


■オーブ決戦へ

ジブリールの責任、セイランとのつながり、軍事開発やマスドライバー。そういった「力」「親ロゴス」としてのオーブを殊更にアピールし、オーブはロゴスに与する勢力だと皆の思考を誘導するデュランダル議長。皆も「オーブはロゴスの陣営だ」「ブルーコスモスめ」「だから議長の呼びかけにも応えなかったのだな」と、議長の誘導にひっかかりすぎ。思考依存しすぎ。そういうの(・A・)イクナイ!という話なのですよ。


■9話、ジブリールの台詞 〜変換前〜

プラントさえ討ってしまえば、全て収まる。やつらがいなくなった後の世界で、一体誰が我々に逆らえるというんです。赤道連合?スカンジナビア王国?あぁ、怖いのはオーブですか。あんなちっぽけな国!

世界はね、システムなんですよ。だから作り上げるものとそれを管理するものが必要、人が管理しなければ庭とて荒れる、誰だって自分の庭には好きな木を植え、芝を張り、綺麗な花を咲かせたがるものでしょう。雑草は抜いて。ところかまわず好き放題に草を生えさせ、それを美しいといいますか。これぞ自由だ。

人は誰だってそういうものが好きなんですよ、きちんと管理された場所、もの、安全なね。今までだって、世界をそうしようと人はがんばってきたんじゃないですか。町を作り、道具を作り、ルールを作ってね。そして今、それをかつてないほどの壮大な規模でやれるチャンスを得たんですよ。我々は。

だからさっさとやつらを討って、早く次の楽しいステップに進みましょうよ。我々ロゴスのための美しい庭、新たなる世界システムの構築というね。


■9話、ジブリールの台詞 〜変換後〜

ロゴスさえ討ってしまえば、全て収まる。やつらがいなくなった後の世界で、一体誰が我々に逆らえるというんです。アークエンジェル?エターナル?あぁ、怖いのはオーブですか。あんなちっぽけな国!

世界はね、システムなんですよ。だから作り上げるものとそれを管理するものが必要、人が管理しなければ庭とて荒れる、誰だって自分の庭には好きな木を植え、芝を張り、綺麗な花を咲かせたがるものでしょう。雑草は抜いて。ところかまわず好き放題に草を生えさせ、それを美しいといいますか。これぞ自由だ。

人は誰だってそういうものが好きなんですよ、きちんと管理された場所、もの、安全なね。今までだって、世界をそうしようと人はがんばってきたんじゃないですか。町を作り、道具を作り、ルールを作ってね。そして今、それをかつてないほどの壮大な規模でやれるチャンスを得たんですよ。我々は。

だからさっさとやつらを討って、早く次の楽しいステップに進みましょうよ。議長とそれに連なる人々のための美しい庭、新たなる世界システムの構築というね。


■我らを討ったとて、ただやつらがとって代わるだけじゃわ

というわけで、9話のジブリールたんの台詞は、そのまま議長の思惑にもあてはまるという。システム設計者が理想とする世界を作るためには、邪魔者はぶっ殺してもOKだよね、な世界がやってくるという。現に、AA追討やオーブ攻撃などについても、表向きは「戦場を混乱させて被害を増大させた」「ジブやん(ロゴス)に与して世界平和を妨げている」という攻撃理由を示せど、裏では「議長式世界システム構築の妨げになるから」だったりするという。そのうち、議長式システムに疑問を呈しただけで、難癖つけられて牢に放りこまれる時代がやってくるという。


■レクイエム

ここでもJOJOネタですか?とツッコミ入れつつ、どうやら、これが宇宙での最終戦になりそうですね。レクイエム、鎮魂歌。散った者たちが望んだ、生き残った者への本当の願い。物語テーマ的にも、これが大きな鍵となりそう。9話の語りもそうですが、ジブたんが利己的に放った言葉が、実は物語の核になっているというのがバリステキです。ジブやんの存在意義ってその辺りなのかもねん。


■あの時とは、政府も状況も違います!

とうことで、種38〜40話と似た構図でありながらも、攻撃側が理を持ち、防御側が理を失うという別の状況。そんな状況の違いを見極めることなく、テンプレに対応したユウナがポシャる中で、カガリなりの対応が求められるというわけですね。はてさて、どう父と並び、どう父を越えていくのか。


■オーブが再び焼かれようとしているんだ!もう何も待ってなどいられない!

トダカさんやババさんたち「役割」に準じて散っていった者たちの死をきっかけとして、民を捨ててAAと一緒になって流浪していたドン底から、民を統べる者としての「役割」へと回帰してきたカガリん。次は、先王たるウズミパパの遺言をきっかけとして、嫌悪していた「国としての力」を自らの意志で手にし、父と同じ「暁の車」に乗りこむという。そんなお話です。

父の想いは、今の自分と同じだった。ストライク他4機を開発したのも、オーブ軍を編成したのも、全ては今の自分と同じ想いからの選択だった。そんな父への反発を回想し、その想いに気づかなかった、気づいてあげられなかった自分の愚かさを、頑なに力を拒絶していた自分の未熟さを、父の本心を、言葉によって知らされるカガリ。

早くも鎮魂歌祭りの予感が漂う中、キサカの「アカツキに乗るか?」という問いに、自らの意志で「うん!」と応え、力を、黄金の剣を取り、王としての扉を開けるカガリ。そして…


■カガリ・ユラ・アスハ、アカツキ、発進する!

カガリ版「想いだけでも、力だけでも」なアカツキ発進。キラの場合は個人レベルでのお話でしたが、カガリの場合は国レベルでもその結論に到達。そして、キラ=フリーダム発進と重ねた構図で発進! さらに、父が王として乗りこんだ「暁の車」に掛けて、MS機体名が「アカツキ」になっているのもキレイです。あいかわらずの重ね構図が上手いなぁ。

さりげにスルーされがちなウズミン遺言の後半部分を聞くに、扉を開けたカガリのために用意した機体であるため、娘へのルージュ(=口紅)ではなく、王となる者への黄金(=永遠、不滅を暗喩)であるのが心憎い。それでいて、ウズミパパは父として娘の幸せを願っているところもプチ熱い。アカツキの機体名が「暁の車」に全力で掛かっている上、暁という言葉が「太陽の昇る前のほの暗いころ」を意味するのがメラ熱い。戦闘シーンを見るに、アカツキにはビームリフレクトな装甲が実装されているようですが、それも「国を守るため」なニュアンスが感じられてグッドです。といった具合に、外見、思想、ネーミング的に、ハッキリした機体コンセプトが漂いまくっているもんですから、いろいろな意味でおなか一杯っす。


■ただね…

とはいうものの、喉の奥で引っかかっている小骨みたいなもんがあったりするんですよね。というのも、カガリん、既にムラサメ他を開発&配備していたじゃんと。守るための剣、既に手にしていたじゃんと。

小説版ではこのあたりのフォローがしてあって、小説1巻P53〜54に「好むと好まざるとに関わらず、大国のつけいる隙を与えるわけにはいかないのだ」とあるように、ムラサメ配備もカガリの真意ではないことが窺えます。アニメのほうでも、1話で議長の「他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない。それは我々も、むろん同じです。そうであれたら一番良い。だが、力なくばそれは叶わない。それは姫とて、いや、姫の方がよくおわかりでしょう。だからこそオーブも、軍備は整えていらっしゃるのでしょう」という問いに、カガリは「その姫というのはやめていただけないか」と話をはぐらかしているわけですが。

そのあたりを見るに、カガリも自分の矛盾に気づいている節があり、それでも国を守るために「イヤイヤ」力を手にしていたことは窺い知れます。ただ、それでも圧倒的に描写が少ないでしょう。前作以降のカガリもオーブの軍備を望んでいなかったことを伝えるには。40話レベルでキレイに伏線回収をするならば、それに見あった伏線を配備しておかねば。救いなのは、種1話でも父の指示したストライク他4機の開発を嫌っていたシーンが回想されたことですが、そこまで引っぱるなら尚のこと、デス種に入ってからの1〜2クールあたりで、カガリの病的なまでの「力」嫌悪をもっと描いておくべきだったかと。伏線回収自体がスムーズであっただけに、このマイナスが痛いなぁ…。


■カガリ成長物語のゴールは?

ようやく父ウズミと同じ地点に立ったカガリンですが、原罪であるシンと再びご対面〜。どうやって父を乗り越えていくのか、どんな答えを示すのかに確変期待中ですが、どうなるんでしょう。

ただ、40話を見ていて、カガリが父ウズミを越えることは、DESTINYの中ではないんじゃないかなぁとも思えてきたり。カガリがアカツキを発進させたのも、結局は父の言葉があってこそのもの。父の導きによってようやく「王」としてのスタートラインにたっだ、という話なんですよね。そんなヒヨコキングなカガリが、いきなり「オーブの獅子」を越えられるとは思えないんですよ。

高橋瞳の『僕達の行方』やCHMISTRYの『Wings of words』、中島美嘉の『Find the way』なんかを聞いてみると、歌の中で「迷いながらでも進むこと」を是としている向きが強く感じられます。前作34話のキラや今作8話のマリューさんも、先が見えなくても諦めずに進むことを是とする発言をしています。そういったところから考えるに、DESTINYでの各キャラクターの着地点は「未来へ進もうとする意志こそが大切」みたいなところに落としこみそうなニュアンスが漂うんですよね。

そういう意味で、カガリにしても、ウズミパパを越えるのではなく、越えようとしつづけること、君主として戦いつづけることに意味を持たせるような気がするような。解に辿りつくこと以上に、解を求めつづける意志の大切さをアピっているのが、種シリーズだと思うので。そんな気がしてきた40話でした。


■カガリ、カガリカガリィ〜ン、来てくれたんだね、マイハニィ〜ン、ありがとぉ〜ん、僕の女神ぃぃん

小さいア行と語尾にひっついた「ん」がステキにヘボいユウナたん。自分の国を守る役割(責任)を大国に委ねてきたわけですが、その大国の後ろ盾を失くし、別の大国に攻められた今、自らが選んだ道の責任を取ることなく、国防の役割を全うすることもなく、ただ他の誰かに責任の所在を預けるのみ。結果、そのツケを払わされて自滅していったという。そういう反面教師キャラだったわけですね。本当に国を思う一心で事を起こしたのであれば、ジブやんを差し出した上で、自らの非を認めればいいわけですから。ただ、ウナトパパはどうなるんかなぁ。ウナトパパの場合は、彼なりの信念によって行動しているような向きがチラホラと…。はてさて、どうなることやら。



そんな感じで40話の感想終了。暁。太陽の昇る前のほの暗いころ。明けない夜、雷鳴の闇、とつづいてきたミッドナイトモードですが、ここにきて確かな夜明けの手ごたえが。陽は昇るのか、闇は晴れるのか。カガリは、シンの闇を振り払う光となるのか。メラめっさ盛り上がってきましたよ〜なタイミングで41話が総集編だったり。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第41話 〜 リフレイン 〜

■41話感想

内容といいEDのザクザクキャンペーンといい、なんというか「制作スケジュール調整とプラモ販促のためにとりあえず入れておきました」な総集編っぽさが満載。同じ総集編だった20話PAST&29話FATESと比べると、内容的にもテーマ的にも「アスランとキラのこれまで」の域を出てないという。次回「自由と正義と」を前にして自由サイドと正義サイドの整理をした、といったところなんでしょうが、その狙いから逆算して見てみても、今一つノリきれないというか。

アスラン編はまだわかるんですよ。アスランが前大戦をつうじて考えたこと、前大戦後に考えたこと、その想いがフェイス拝命やミネルバ着任とどう結びつくのか、ミネルバの中で見たもの、知ったこと、何を考え、何を想い、どのような経緯で今のこの状況へとたどり着いたのか。そういったアスランの変遷が、流れを伴って整理されているんですよね。

ですが、問題はキラ編。前大戦後の心境、13話の再起の意味、24話&28話&34話を受けての変化、40話の復活へと至る葛藤。そういったものを時系列を追って整理しないもんだから、語りの焦点がボヤけて激しく気持ち悪いっす。ラクスを守る、という想いにしても、なぜラクスを守るのか、ラクスは何を考えているのか、それがどう平和へとつながるのか、といった説明がないもんだから、単なるラクス教信者にしか見えず、これまた気持ち悪い。

アスラン編はまだしも、キラ編はEDITED以上にどうかと。回想王と回想平民の差か?などと思いつつ、ぶっちゃけ脚本担当の差か、はたまた制作の谷間にヤッツケ仕事ぶちこんだだけか。む〜ん。物語としてのクライマックスの合間にぶちこむなら、いくらやっつけ総集編といえど、もう少しカバーのしようがあるでしょうに、と思ってしまう出来なんですけど…。それとも、単に自分が話の意図を読めていないだけ?


■なぜザフトはAAを攻撃する、そしてなぜ、今もまたエターナルを沈めようとしているの。アスラン、君は僕にこたえられる?

各所で「そんなんもん、AAが戦場を混乱させるから、エターナル他を強奪するからに決まってるだろ」といったツッコミを見かけるのですが、その前に「とてつもなく大きな意志と力が、この戦いの影で、蠢いているような」と触れられているんですよね。要するに、戦争を混乱させたり戦艦やMSをパクったりした罪への対応とは別の次元で、AAやラクスを沈めようとする動きがある、という話でしょう。

40話冒頭でラクスがサトー隊長のデータをチェックしていたところから、エターナルでは議長が目論む策謀の概要をつかんだと見るべきかと。D-PLANについては名称しか掴めていないところから、細部まで把握できてはいないのでしょうが、ラクス襲撃事件や偽ラクス擁立、アスラン追討といったパズルのピースを空白部分にはめ込むことで、各事件が一つの流れの中で画策されたものだと見ることは可能でしょう。登場人物の目線からでも。

その上での「なぜAAやエターナルを沈めようとしているのか」という疑問、つまり、策謀の全体像は見えてきたけど細部や動機が見えてこない、AAやエターナルを攻撃する真意はどこにあるのか、といった疑問であると見れば、スムーズに理解できるかと。単発台詞で「なぜ(略)沈めようとしているの?」であればともかく、その前フリになっている「とてつもなく大きな意志と力が、この戦いの影で、蠢いているような」という台詞があるのですから、そこを見ればスルッと入ってくる台詞だと思うんですけどねぇ。議長の策謀にしても、おおまかな概要は見えてきているわけですし。



ということで、41話の感想は簡単に終了。40話で盛り上がったところに「このタイミングでその出来はどうなのよ?」な総集編が突っこまれたわけですが、それはそれで軽く流すとして、とりあえずはアスラン復活の42話に期待です。アスラン・ザラ、ジャスティス、出る!に期待です。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第42話 〜 自由と正義と 〜

オーブ攻防、AA発進、アスラン復帰、ネオ選択、カガリ覚醒、メイリン意志、シン決断。OP前の3〜4分の濃度が濃い。と思っていたら、本編の濃度はさらに濃い。そんな42話感想です。というかね、戦局の中で、これまで貼られた伏線が回収されたり、新たに伏線が貼られたり、伏線回収一歩手前のタメが盛りこまれていたりで、良い意味でネタを詰めこみすぎ。脳内エンドルフィン出すぎ。


■大丈夫ですから、私大丈夫ですから、だから置いていかないでください

姉や戦友とは敵として対峙することになるかもしれない。そう思いながら姉ルナや戦友シン&ヴィーノを回想しつつ、それでも自らの意志でAAに残ることを決意したメイリンたんが熱い。37話の選択は、選択の半分は勢いでできているような状態でしたが、ミネルバ、つまり姉や戦友と戦うことが確実になった今、自らの意志で、あらためて脱ミネルバを決意したという。

所属的にもAA入りですが、自分の頭で考えて結論を出すという「自立」スタンス、一度決めたことをやり通すという「意志」スタンス、ミネルバ所属という役割を捨てて「想い」に順ずるスタンスにおいて、思想的にもAAサイド入り。これがプチステキでした。と同時に、議長がレイを通じて策謀を張り巡らしていたミネルバ内から、初のAAサイド転向キャラが発生。38話末で頂点を極めた議長サイド、緩やかに崩壊しはじめるの図、ですね。これが終盤、ルナ他ミネルバクルーにどんな影響を及ぼすことやら。


■ラクス…さま?

でねでね、さりげにオモシロイのが、メイリンが真ラクスを見たときの「ラクス…さま?」な反応だったり。あ〜そうだよね、メイリンはミーアがラクスを騙っていること知らないんだよね、みたいな。

というか、登場人物のもっている情報を整理していみると、アスランとラクスが破局(?)していることすら知らないんですよね、種世界の多くの人間は。もちろん、アスランとカガリがラブラブであることなぞ露知らず。ということは、今回の「ラクス…さま?」な反応は、メイリン目線で考えると、浮気相手の女の子が本命彼女に見つかって「やっべ〜見つかった〜」なリアクションをかましているとも受けとれるわけで。う〜ん、ぐぅ〜れいとぉ。


■マリュー=ネオ物語

そしてもう一人、自らの意志にもとづいて自発的に進路を決める者あり。どうやら記憶はほとんど戻っていないようですが、それでも自らの選択でAA支援を決めた男が熱い。照れ隠しっぽく「でも俺、あのミネルバって艦、キライでね」とうそぶく姿が熱い。記憶がないにもかかわらず、導かれるように「なんたって俺は、不可能を可能にする男だからな」と吠える姿がメラ熱い!

ただ、宇宙でレクイエムなる作戦が展開されるようですから、そこにこそ、ネオ物語の真の着地点が在るはず。今回のネオの選択は、アスランにとっての種38話の選択。真のゴールは、アスランが自らの意志で父の元から離れた種42話的イベントとなるのが自然なんですよね。燃えころげるにはまだ早い。ジブリールの定めたネオのFATE、それを振り払い、自らの意志でDESTINYへとたどりつく漢の姿が見てみたい!

…でも、因果応報的には、3人組を戦争の道具扱いした罪を問われるのも自然ですし。どうなるんかなぁ。


■カガリvsシン

たいした腕もないくせに、とシンの完勝。そこで腕を切り落とすシンに、一瞬、お笑いの神が降臨したような。その腕ちゃいまんがな、みたいな。ですが、カガリが為政者として覚醒した以上、戦闘での語りかけで変化や決着に雪崩れこむのではなく、次回「反撃の声」でのカガリの演説に持ち越されたのには超納得。もっとも、それすら変化のきっかけレベルにすぎないでしょうけど。

結局、39話末でオーブ攻防戦を匂わせ、40話末で邂逅、41話でスルーして、42話で一時離脱、で、43話で一段落、かな。ただ、前作では34〜35話にぶちこんだ主人公の覚醒をここまで引っぱったのですから、完全決着はいっそ、最終話近辺までタメにタメてタメてタメこんでほしいっす。そういう意味で、次回はシンの変化のきっかけくらいかな?という予想半分期待半分。で、48〜49話あたりで、メラメラ熱い演出で真デスティニー発進を彩ってほしいっす。


■やはり、沈んでいなかったのね

ということで、アークエンジェルvsミネルバ、第2ラウンド!

・タリア: 離水上昇急げ、面舵10、これよりアークエンジェルを討つ!
・MV: ランチャーワン、10、ディスパール装填、トリスタン、イゾルデ、照準、アークエンジェル!

・マリュー: ミネルバが来るわよ、いいわね!
・AA: 後部ミサイル発射缶、全門ウォンバット装填、ゴッドフリート、バリアント、照準、ミネルバ!

・(タリアとマリューの画面二分割カットイン)
・(アマギとアーサー、同時に)  っ撃てぇー!!! ×2

ハンデなしでの初全面衝突。シンクロする戦闘準備が熱いっす。
でも、その「っ撃てー!!!」はサイの役目だろ! せめてノイマンに見せ場をぷりーず。


■舞い降りる剣、再び

握った拳の強さで砕けた願いに血を流す掌。鎖にも似た果てない翼。失くすばかりの幼い瞳、帰らぬ星を想う二人。掲げたそれぞれの灯を命と咲かせて…。キラvsシン、運命の第2ラウンド!

内容的にはキラは相変わらずの不殺モード。腕でのガードといい、ビームシールドといい、防御力も上がっているようで。んで、シンのエネルギー切れを誘って撃退、と。第2ラウンドはキラの勝利(?)と見ていいんかな。カガリも守れたし。っつうか、核エンジンでエネルギー切れって…。光の翼モドキがエネルギー喰うのかね?


■ドム3人組

モノアイ動きすぎ。隊長さんライラすぎ。ヘルベルトさんの「やはり鬱陶しいな、地球の重力は」もライラ隊すぎ。ジェットストリームアタックってどこかで見たような気g(ry。

基本的に種のパクリは「旧作ファンを怒らせてTVシリーズから切り離すため」というのも目的の一つでしょうから、ザク「ウォーリア」とかグフ「イグナイテッド」とかドム「トルーパー」とかいうオマケフレーズを付けんで、今週の「ジェットストリームアタック!」みたく、モロパクリした方が効果が高いような。

ただね、先週のキラの語りもそうですが、例の「ラクス様のために」は誤解を生みかねないんでやめた方が…。議長と比較して、ラクスの真意がどこにあるのか、そのベクトルに3人組はどう共感したのか。少なくともそのくらいは表現した上で「自分の意志として尊敬&共闘している」と描かんと、単なる狂信者ですがな。前回41話の感想でも書きましたが、キラですらその過程描写が抜け落ちているのが怖い…。

ちなみに、種JSAは、ビームシールドを中心にオーラを纏わせたタックル?のような。ドムのオパーイからオーラを噴出しているような。旧作のんは1機のMSを確実に仕留めるワザだったのに、今回のは多数の敵を一気に片付けるワザのような。いかにも種のワザですな。っていうか、種の戦闘は1対多が基本ですから、2on2なアーケードゲームとは相性悪いんじゃ…(やったことないんでわかりませんけど)。PS2の『終わらない明日へ』の方が種の戦闘とは相性が良いんじゃね?

それと、あのジェットストリームアタックは踏みづらそうだ。


■鉄拳ぱ〜んち

先々週に引きつづき、ユウナの自分本位な物の考え、国を守るという責務を二の次とするスタンスが発覚→成敗。僕は君の留守を一生懸めBAGOOOOOMウガッ!って、まぁ、こんな国の危機にあって、守るべき民や状況を変える策についてまったく言及せず、顔をあわせるなり自分のことしか口にしなかったら、そりゃ殴られる罠。

この帰結、さりげにキレイなんですよね。他国に迎合する現実サイドなスタンスも、オーブの理念を貫く理想サイドのスタンスも、それぞれに理はある。どちらも一概に否定できるものではない。けれど、守るべき民を見失い、自分本位な保身のみを考えるのは(・A・)イクナイ!というわけで。一見するとお笑いエピソードなんですが、実はデス種の本旨にかなり近いところまで踏みこんでいた気配ですよ〜。

まぁでも、そこで鉄拳パンチが飛び出すなら、カガリんにもパンチなりキックなりで物理的な傷をつけてほしかったっす。いったん国&民を放棄した罪の代償として。トラウマ的にはトダカさんやババさんの死が十分にダメージを与えましたけど、物理的な「成敗!」ってのはなかったもんね。

とはいえ、現状での未熟さは自覚したようですから、現状で満足することなく、継続的な成長を意識して国政に取り組んでいけば、因果的にはきちんと収まるんかな。死や贖罪による行動停止よりも、生きる方が戦い、ですから。なもんで、これから最終話までの中でどう在るか、そこから先でどう在りつづけるかに注目っす。まずは、為政者として外圧に対してどんな「反撃の声」を挙げるのかに注目っす。ジブやん、お猫様といっしょに逃げちゃったんで、対応難しいのね〜。


■「命令だ」「今のアイツに、お前は邪魔だ」

命令だから。役割だから。そこに想いはいらない。ますます「役割」「依存」「諦観」「偽り」を向きを強めていくレイたんのこの言葉。議長サイドの思想全開です。35話あたりからですが、レイがわかりやすいタイミングで議長サイドのツッコミを入れるのがオモシロイんすよ。どの台詞を見ても、シンのためというより議長のため、議長の築く世界のため、ってな具合の生暖かさ90%で出来ているのがステキです。残り5%はシンへの友情、残り5%は…。

そんな具合に、今、レイが議長以上に気になるキャラだったり。で、それとは別に、シンルナペアの行方も気になったり。ベクトル的には傷の舐めあいなネガティブ恋愛ですから、レイがちょっかい出さずとも、このままでは恋愛として成就することはなさそうなんですよね。ただ、傷の舐め愛が不毛だと悟った時、悟った後、二人がどういう関係になるのかが楽しみで楽しみで。

個人的には、ワンステップ高次でわかりあえる良き友人、みたいな関係がポジティブにステキな着地点なんですが、ネガティブにイタイ着地点として、間違いに気づく→きちんと和解せぬままどちらかが死ぬ→トラウマとして残る、なパターンもあるんですよね。あれ?どこかで見たような………あ…フレイだ。重ね演出が種の真骨頂なだけに、ルナの将来が不安になってきた今日この頃。でもでも、デス種は種の「先」を描こうとしているっぽいんで、そこはキッチリ救えるよ〜な気が、する、かも…。と、自分を納得させてみる。


■お体のことではありませんわ

チビシイっす。でも優しいっす。今のアスランにとっては、体の傷以上に心の傷の方が深いでしょうから。体の傷も心の傷も、自浄免疫効果の働きすぎで膿んだときには、傷をグリグリして膿を出さないといけません。で、そんな心の傷をグリグリするラクスたん。グリグリされると痛いので、誰かさんの言葉とは違って「心地よく」はないでしょうけど。そりゃ、アスランも反ギレします。ラクスってドSなんじゃ…と思う今日この頃。


■アスラン=ラクス会話

アスランラクス
ラクス!アスラン
君が乗っていたなんて、大丈夫か? はい、本当にただ乗っていただけですから。
アスランこそ、大丈夫ですか?
大丈夫だ。お体のことではありませんわ。
(アスラン回想) -

ジャスティスか…はい
俺に?なんであれ、選ぶのはあなたですわ。

君も、俺はただ戦士でしかないと、
そう言いたいのか?
それを決めるのも、あなたですわ。
-怖いのは、閉ざされてしまうこと、こうなのだ、ここまでだと、終えてしまうことです。
傷ついた今のあなたに、これは残酷でしょう。でもキラは…
-(ラクス回想&伝言)
-力はただ力です。そして、あなたは、たしかに戦士かもしれませんが、アスランでしょう。
きっと、そういうことなのです。


■ラクス節

あいかわらず(良い意味で)「自分で考えろ」「止まるな」「諦めるな」としか言わないラクスが熱い。基本的にラクスたんは、自分の中にこたえを持つ人、自分自身で考えることができる人に「自分で考えろ」と説き、その背中を押すスタイルのお方。なもんで、一般的な質問返しとは違い、ラクスの質問返しは「事実1割+個の重要性2割+期待3割+厳しさ4割」なバファリン状態で作られているという。

ちなみに、具体的な成分としては小麦粉なみに医療効果はなく、むしろ体力回復用のエネルギードリンクに近かったり。自力で治せ、みたいな。バファリンというよりユンケルかも。一応、ラクスなりの主張を包装カプセルにしていますが、それは自分の胃液で溶かして消化しろという。

ちなみにちなみに、議長は人に話を合わせるフリをして自分ワールドを押しつけるスタイルのお方。なもんで、議長のトークは「事実1割+個の重要性2割+煽動3割+甘さ4割」な包装カプセルの中に、効果の強い鎮静剤というか、意識を失わせる麻酔というかが混ざっているという。なもんで、パッと見ではラクスと議長の言葉はものすご〜くそっくりさんですが、その意味はまったくの真逆だったり。言葉は似ているけど違いは見抜けよ、と言わんばかりに、10話後半の議長トークと今回のラクストークを重ねているのが(良い意味で)ムチャしすぎ。

そんな感じで、とどめの「確かに戦士かもしれませんが、アスランでしょう」がステキすぎるのですが、これが前作37話の「ザフトのアスラン・ザラ!」とリンクしているのがさらにステキだ。ザフトという所属、ザラという姓。そんなシガラミを振りきった個人、アスラン。個の大切さを訴えてきたラクスならではのステキフレーズです。本当の意味で「父の呪縛」が解けたのかもねん。


■回想王

で、そんなラクスの言葉をきっかけとしたアスランの回想と、そこから生まれる答えがバリ熱い。

俺たちは本当は、何とどう戦わなければならな…

だが、君ができること、君が望むこと、それは君自身が一番よく知ってい…

なんであれ、選ぶのは…


■自分

演出的に見て、回想のラストで、ラクスの語りを「なんであれ、選ぶのは」で止めたのがメラめっさ上手かったっす。そこにはまる言葉は視聴者自身が「自分」で考えろ、と言わんばかり。前作でキラが出した「何とどう戦えばいいのか」の解も、直前に「何もできないって言って何もしなかったら、もっと何もできない、何も変わらない、何も終わらない、だから」と振っておいて直語りはしませんでしたが、それと同じなのねん。テーマ的にも国語文法的にも、順をおって考えれば解はそこに在って、でもその解を示すことは解そのものに対する矛盾になるため、表示しないということでしょう。

もちろん、前作でキラが出した「何と戦えばいいのか」の解は、なにもできないって言ってなにもしないこと。それが人の性だと、仕方がないのだと諦める心。高い壁の前に諦観する自分の弱さ。自分自身。そんな自分の弱さを、何者にも縛られない自由な翼で乗りこえるお話でした。で、今回アスランが出した「何と戦えばいいのか」の解も、自分。選ぶのは自分、それを忘れて人に想いを委ねること。人の言葉に己を委ねること。きちんと考えることなく自分を放棄すること。そんな己の弱さ。

キラの覚醒にしてもアスランの覚醒にしても、種の根っこにある価値観、メッセージが「自分との闘い」であることをきっちりアピっていて、ステキに熱い。人に正義を委ねて戦士として戦うのか、胸に正義を秘めて闘士として戦うのか。どちらの道を選ぶのか、選択するのもまた、自分。自律(≠自立)、超大切、みたいな。結論としては無標なところですが、物語のメインフレームに絡ませた結論ですから、とってつけた「お約束」ではなく、話を丁寧に構築した上での「王道」になっているという。

そんなわけで、他人の言葉に揺れまくっていたアスランの着地点は、自分でした。人の言葉は人の言葉。議長の言葉は議長の言葉、ラクスの言葉はラクスの言葉。それをどう受けとめ、どう噛み砕くかは自分次第。一度は議長にそう諭されながらも、己の無力さ、不甲斐なさを埋めてくれる議長の心地よい「言葉」に己を委ねた過去の自分。それが間違いだったと知った今の自分。本当の意味で気づいた「自分であること」の大切さ、難しさ。今、その全てを飲みこんで…


■真…アスラン・ザラ、ジャスティス、出る!

夢と悪夢の境界を、一人知る者。アスラン。その境界を知らしめるために、アスラン・ザラ、ジャスティス、出る!

というわけで、5話のダミー、13話のダミーを経て、ようやく真アスラン覚醒ですよ。バックに流れる歌も「なにも知らないほうが幸せと言うけど、僕はきっと満足しないはずだから。僕が選んだ今を生きたい、それだけ」と、バッチリ噛みあいまくりで、EDなのにテンションが鬼高くなるというステキな罠。もちろん、アスランの種割れも準備完了。5、4、3、2、1…状態です。

加えて、Iジャスティスがキラ発ラクス経由でアスランに届けられているのも静かに熱い。キラの復活を支えたのが皆の想いとサポートであったのと同じように、アスランの覚醒を支えたのもまた、友の想いだったという。しかも、キラ自身、40話で「何かしたいと思ったとき、なにもできなかったら、それが、きっと一番辛」いことを味わっており、その己が経験ゆえに友へのフォローができるという話のリンクっぷり。わかりあいには同じ体験を共有することが必要。それが種で描かれた相互理解の基本ですから。

個人的には、せっかくラクスが「アスランでしょう」と〆たからには、発進も「アスラン・ザラ」ではなく「アスラン」でいってほしかったと思。エンタメ的な韻の問題もあるんでしょうが、そこまで「個人」に立ち返るのなら、発進時の「アスラン・ザラ、ジャスティス、出る!」も「アスラン、インフィニットジャスティス、出る!」にしてもらいたかったっす、という小話。でも、Iジャスティスが空に舞う一枚絵は、Sフリーダムが宇宙に舞った一枚絵を左右反転させているようで、プチ熱かったっす。


■参考文献

まぁなんだ。アスラン覚醒前のラクス語りが10話の議長トークと似ていて「結局どう違うねん」というところもありますが、ラクスの言葉を受けとるアスランの意識レベルを

奴(ゴルゴ13)がおまえ(情報屋)を雇ったのは…本でいうなら参考書を手に入れようと、しただけに過ぎん…

奴にとって、おまえの送った情報は、一つの意見に過ぎんのだ…

(ゴルゴ13、1976年12月作品『STALE MATE』より)

という次元にまで引き上げたのがラクスの言葉でありアスランの経験であり、という話なのですよ。その参考書の誤植の可能性、偏りの可能性、ぐぅれいとにわかりやすい可能性。そういった可能性を全て飲みこんだ上で、解そのものは自らの判断で出そう、みたいな。偶然を運命にするのも、FATEをDESTINYに変えるのも、その人自身の在り方ひとつだよね、みたいな。

という話でしたから(少なくとも自分にとっては)、41話のアスラン編で焦りゆえに議長にとりこまれた過去のアスランをアピっていたことも、今のアスランとの比較に役立ち、地味に意味を持っていたのが良かったです。重ね重ね、キラ編がどう意味を持つのかはサパーリですが。というか、「自由と正義と」のわりに、キラサイドの深化をハショリすぎやねん。


■次回

それはそれとして、次回はキラ&アスランvsシン&レイかな。なんだかんだ言って、ラクスと議長がタメを張っている世界ですから、ラクスの言葉を一つの思考材料として目覚めたアスランが、議長によって忘我の淵を彷徨うシンにアプローチしていくと思われ。キラはレイの御守かな。キラとクルーゼの因縁が再燃したら熱いのですが、はてさて。



そんなこんなで42話感想終了。OP前のアバンにも話をモリモリ盛りこんでいましたが、本編の内容はそれ以上にモリモリ。そんな42話でした。キラ、カガリ、アスランと来たからには、次はラクスでしょ。戦闘パイロットとしてではなく、為政者としてのカガリの本領発揮も楽しみです。50話までとして残り8話。カガリ本領発揮で1話、ラクス逆襲で1話、ラクスと議長のロジカルバトルで1話、シン覚醒に1話。他にも姉妹ネタやらレイネタやらタリアネタやらネオネタやらレクイエムネタやらがあるわけで。密度ギュウギュウの濃密構成がメッサ楽しみっすわ。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第43話 〜 反撃の声 〜

次回予告、ゲームCM、歌宣伝。いろんな面で『Wings of words』より『Vestige』の方が優遇されているような。コンペの時にどんな取引があったんだろう。そんなことを思いながら43話感想です。


■オラオラ下がんな、下がるんだよ

今週のタイトル表示後戦闘シーンの方が「ジェットストリームアタック(旧作型)」していたような。複数機による連携攻撃になっていたような。3機同時連携じゃないですけど。

それはともかく、この三人、先週の「ラクス様のために!」もそうですが、描き方がアレな気が。下がる相手は見逃して、下がらない相手は容赦なし。というのは台詞から窺えますが、実際に描かれた戦闘シーンには下がる相手を見逃すシーンを入れないもんだから、ひたすらヤヴァイ人にしか見えないという。尺がないのはわかるのですが、誤解を招くような言動は、丁寧にフォローするだけでなく、そもそも描かないという選択もありでしょ。


■どっかのバカな男が突っこんでくるわ デス種43話.ver

このシーン再現が熱い。先週の「不可能を可能にする男」といい、今週の「どっかのバカな男が突っこんでくるわ」再現といい、ムウとしての記憶を失っても、ネオとしての記憶に縛られても、それでも自分が自分であることに変わりはない、みたいな。ネオ・ロアノークとしても、ムウ・ラ・フラガとしても、みたいな。

そして、そんな自分自身であることに殉じた男を、自分自身の想いに殉じて受け入れるマリューさんもまた熱い。ネオ・ロアノークとしても、ムウ・ラ・フラガとしても、受け入れる、みたいな。種34話のシーン再現といい、後半のハグへと至る流れといい、マリューさん、本当に良かったです。おめでとうございます。

と言いたいところなのですが、一つだけ気になるところが。ネオとマリューさん、ハグしていたのが「夕焼け」の中だったりして。デス種の夕焼け演出って「これから夜に向かっていく」なマイナス演出として統一されていた気が。怖いなぁ…。PP隊長としての咎清算もまだですから、もう一波乱あってもおかしくないような。そういう意味で、今回のハグはゴールテープではなくリスタートラインかもね。


■あの機体!?

諦観にとらわれたシン。いくらきれいに花が咲いても、人はまた吹き飛ばす。レジェンドに搭乗したレイ。ドラグーンを複数装備した新型MS。クルーゼの想い。クルーゼの力。クルーゼ、再び。

種50話では、クルーゼという「敵」を討つことしかできなかった。デス種34話では、そんなクルーゼの幻影の前に敗れ去った。そして今、クルーゼと同じ想いを抱く者、クルーゼと同じ力を纏った者が襲いくる。三度クルーゼの幻影に追いつめられるキラ。人はそんなものなのか。どこまでいってもクルーゼの預言から逃れられないのか。どの道クルーゼの勝ちなのか。


■DESTINY第4クールであるということ

キラvsシン&レイのシーンは、つまりはそういうシーンなのですよ。ですから、キラ単独で彼らと戦っても、第3クールと同じで勝てるはずもなく。シンの怒りに体制を崩し、レイのドラグーンに動きを封じられ、デスティニーがフリーダムをロックオン。三度敗れ去るか、キラ!?となるわけで。

ですが、ここで終わるのは種50話&デス種第3クールまで。正確に言うと、種50話&デス種第3クールで僅かに描かれていた「光」が、ようやっと大きな力を持ったという。

種50話で絶望しかけたキラを救った光。デス種35話で撃墜されたキラを救った光。アスランとの絆、カガリとの絆、わかりあえる人との確かな絆。クルーゼが扉をあけたパンドラの箱に、たった一つ残った希望の光。今まで戦いそのものに間に合うことはなかった光が、DESTINY第4クールを迎えた今、自律に基づく確かな絆となり、キラを堕とさんと襲いくるクルーゼの前に立ちはだかったという。

それが、アスランの「やめろー!」なわけで。ですから、ここで燃えずにどこで燃える!というくらいに熱い。これぞDESTINYの本編!というものです。しかも、そんなアスランの再起を誰よりも信じ、その時のために力を届けていたのは、他ならぬキラ自身。そんな相乗効果も熱さを10割上乗せするもんだから、ひたすら燃えころげるのみ。BGMもいい感じに「フリーダムピンチ→アスラン阻止」を彩るもんだら、かなりおなか一杯です。


■アスラン説得

もうやめろ! 自分が今、何を討とうとしているのか、おまえ、本当にわかっているのか!

戦争をなくす、そのためにロゴスを討つ、だからオーブを討つ。
それが本当に、おまえが望んだことか!
聞かぬから、だから討つしかないと、あの国に刃を向けることが!

思い出せ、シン。おまえは本当は、何がほしかったんだ!

オーブを討ってはダメだ、おまえが!
その怒りの、本当のわけも知らないまま、ただ戦ってはダメだ!

シン!


■本当の自分

自分であることの大切さ、自分であることの難しさ。自立と自律。本当の意味でそれを知ったアスランから、シンに対して「本当の自分はどこに在るんだ」と問う声が熱い。オーバーラップされるアスランとシンの過去、二人が望んだもの、二人の選んだ道。重なりあう二人の回想が熱い。

このあたり、種式「相互理解」の基本公式を踏んでいるんですよね。相互理解のためには、相手と同じ知験を共有することが必要。自分がこのシチュエーションの時は、こう感じていた。ならば、今この状況では、相手もこう感じているはず。そういったシンパシーが相互理解の架け橋になるという具合です。

で、シンにエンパシって内面を理解することができたアスランの言葉はシンの心に響くのですが、当のシン本人は、そのことを認めたくない。なぜなら、本当に望んだものに目を向けることは、本当に望んだものが失われてしまった現実に目を向けることでもあるから。そこには厳しい現実しかないから。だから、痛い。

父母の笑顔があった、マユの笑顔があった、ステラの笑顔があった。それはとても穏やかなもの、暖かい場所。でも、今はもうない。ならば、そんな現実は見たくない、見たくないから目を背ける、耳を閉ざす。自分が見たいものだけを現実として認識し、そんな仮想現実の中でのみ生きようとする。自分の世界に閉じこもる。それが…シンの種割れ


■シンの種割れ

というわけで、チェリーブレイクした13話の種割れから一貫して、これまでのシンの種割れはネガティブ全開。怒りによって発動し、ただひたすらに敵を殲滅するのみ。ですが、13話のMy感想で「シンの現状の弱さを整理しつつ課題を示唆する」のがシンの種割れであると触れたように、これはシン成長物語における課題だと見るべきかと。

つまり、逆説的に考えて、本当の自分に真正面から向き合うことができたその時こそ、シンは覚醒するのではないか、その時はじめて、シンのポジティブ種割れが見られるのではないか、ということですね。

13話からですから、今回の時点ですでに30話が経過。オーブからプラントが軍を引いた以上、次回のカガリ&ラクス演説をきっかけとしつつも、完全なシン覚醒チャンスは宇宙戦まで持ち越されるはず。そうなると、約35話もの間、タメにタメまくられることになるわけで。ここまでタメたからには、キラやアスラン、カガリを超える覚醒イベント→真デスティニー発進を見たいものです。闇モードを直進するなら直進するで、完全闇化イベントを見たいものです。


■シンの覚醒ソングは?

で、シンが覚醒するイベントについて考え中。順当に考えれば、キラと同じく『vestige』を使ってくるパターンかなぁ。キラで使われたAパートではなく、シン用と思しきBパートを使ってくる、とかだったらオモシロイのですが。さすがに『Wings of words』『君は僕に似ている』『vestige』『焔の扉』ときて、さらに新曲ってのは考えづらいですし。三主人公制であることを考えれば、三人から外れるカガリ用の『焔の扉』ってのもどうかと。意表をつくところでは、1期OPの『ignited』とかオモシロそう。歌詞を追いかけてみると、今のシンのための曲なんじゃね?と思えるところが多いですから。2期OPの『Pride』もオモシロイところですが、個人的には燃え度が足りんかなと。ま、どれもこれも根拠のない妄想ですけどね。


■覚醒先送り

そんなこんなで「真と偽」なテーマが垣間見えつつも、今回は覚醒に至らず。本当に自分が望んだものは仄見えつつも、それを真正面から見ようとしない、というのが理由の一つかな。ただ、個人的にはもう一つ理由があるんじゃないかなぁと。シンは「本当の自分」に気づくだけで良いのか、もう一つ気づかなければならないものがあるんじゃないか。そう思うわけで。

それが、守りたかった人たちが抱いていた本当の想い。生き残ったシンへの本当の願い。無事に、平和に、生きてほしい。シンはその想いにも気づかなければならないような。つまり、本当の自分だけでなく「本当の他人」にも気づかなければならないような。

個人的には、この提言パートをカガリに期待していたり。ウズミ様が抱いていた本当の想いを知ったカガリにこそ、シンに対して「本当の他人はどこにいるのか」という問いをぶつけてもらいたい。そう思うわけです。ただ、不安なのは、本当の自分すら直視できずに種割れして逃げるシンが、本当の他人を受けとめることができるのかと。ぷらす、そこまでロジカルな問いはラクスの方が適任かなぁと。


■ちなみに

望んだものが失われてしまった現実に対する接し方として、シンの「自分の世界に閉じこもる」パターンの他にもう一つあったりして。自分が見たい現実だけを見せてくれる人の言葉に自分を預け、思考停止する、というパターン。それを利用したのが議長のトーク手法なんですよね。どこまでも甘く、どこまでも心地よい言葉によって、その人が見たいものだけを見せ、誘導するという。

次回予告の「信じたいのは、聞きたい言葉」「それをも選ぶというのなら、人は…」というフレーズは、おそらくそういう意味かと。信じたいのは、聞いた言葉ではなく、聞きたい言葉。けれど、信じるべきは、聞きたい言葉ではなく、聞いた言葉。それを無意識に混同してしまい、見るべき現実=外部と、そうありたい自分=内部をゴチャ混ぜにするもんだから、自分と他人の壁がナァナァに踏み越えられ、争いが起こる。それがデス種で描かれた「争い」っぽいんですけど、その違いを「言葉」「自我」を司るラクスの口から指摘してもらいたいところです。はてさてどうなることやら。


■惑わされるな、シン!

37話宜しく、再びアスランの「声」を妨げるレイ。しかし、こちらもキラ同様、わかりあえる絆がフォローするという。キラがアスランをフォローするという。これがDESTINYの第4クールでしょ、と言わんばかりなキラのフォローがステキに熱すぎます。アスランのフォロー、キラのフォロー。ここでも相乗効果が発揮され、熱さ20割上乗せ。燃え焦げるしかないじゃないか!と言わんばかり。


■真、アスラン、種割れ!

そんなキラのフォローに助けられ ついに ついに! ついに!!! アスラン種割れ!!!!!

長かった、ひたすら長かった。デス種初種割れおめでとうございます。真の自分ゲットおめでとうございます。今後のご活躍をお祈り申し上げます。


■ユウナアボーン

先週からの流れの中で、きれいにアボーン。現実か理想か、どちらを選ぶのもかまわんけど、自分のためだけに道を決めちゃいかんよね、と。で、どこまでも自分のためにしか動かなかった今回の行動によって、自滅に終わる、と。寓話として、まぁ妥当なところでしょう。ただ、個人的には戦後のオーブで愛嬌ある姿を見たかったかも。パジャマな姿とか。


■重要なのは私だ、セイランではない

この人も自分本位きわまれりなお人なんですよね。とりあえず今回は月へと逃れましたが、セイラン父子と同様、最終的にはこの人もアボーン確定でしょうか。


■ルナマリア・ホーク、コアスプレンダー、行くわよ!

個人的にツボだったのはルナマリア。あれですか?ルナの射撃下手はここのための伏線だとでも?と言わんばかりのヘタレっぷり。というか、射撃の下手なルナマリアに狙撃命令って何事?不正人事?不適剤不適所? そのうち糸色望先生にネタにされそうですよ。まぁでも、今のルナは思考依存なネガティブモードに入っていますから、最終的にはポジティブモードに移行し、ヘタレ返上してもらいたいところです。そのためにも、メイリンたんガンガレ。超ガンガレ。


■議長の命じたのは、ジブリールの身柄の確保でしょ。オーブと戦えということではない。

混同しちゃダメなのね〜。でも、議長たんは混同させるように誘導しているのね〜。今回のミーアの演説でも、オーブ側の真意を遮断しておいて「ロゴスは悪だ」「それに与するオーブも悪だ」と決め付けますから。現状ではオーブは悪に見える、だが、本当にそうなのか、それを判断する材料こそがオーブ側の声明ではないのか。その声を遮断しておいて「オーブも悪だ」では、結論ありきの誘導に他ならないわけで。表面上の説得力があるのが厄介なところですけど、結論ありきで議論を進め、判断材料としても「聞きたい言葉」だけを聞く、聞かせる。そういうのは(・A・)イクナイ!のですよ。だ〜れに言ってんのかねぇ…(ナゾ


■「大丈夫ですか」「って言わない方がいいよ、アスランには。絶対、大丈夫だって言うから」「そうですわね」

そういうラクスたん自身が、前回「大丈夫ですか?」って言っていたり。アスランが大丈夫って言うのをわかった上での問いかけな〜のね〜。ラクスってやっぱドSだよ〜、と身悶える今日この頃。ではありますが、そんなラクスの意図すら飲みこんだ上でアスランは出撃しているため、アスランはキラやラクスに対して不平一つこぼさないわけで。

そんな具合に、先週のラクスの語りは鬼厳しい問いかけだったわけですが、それが逆に覚醒後アスランの意識レベルの高さを際立たせまくり。これがステキに熱いのですが、そんなドMなアスランの覚醒を信じ、厳しくも暖かいドSな言葉をかけていたラクスたんもステキに黒い。そりゃ、忍者コスも黒ベースになるってもんです。まぁでも、虫歯の子どもには、甘いお菓子をプレゼントするのではなく、痛い治療を施すのが道理ですよね。


■は、はい

そんな噛みあいまくった友人関係を見て、ただ「は、はい」としか言えず、目をパチクリさせるメイリンたんがプリチーすぎ。傷ついたアスランを介抱する時もそうですが、入りこむ余地ないよ〜、みたいな。でも、本当に入りこむ余地がないのは、アスランとキラ&ラクスの間ではなく、アスランとカガリの間なんですけど…。それすら知らずに空回るメイリンたんが哀れすぎますが、そこでフォローするのが姉妹でしょう! 私にはお姉さまがいるわ、みたいな。はやく姉妹ネタぷりーず。


■反撃の声

シンに対するアスランの言葉を「聞くな!シン!」と遮る。そんなレイの声と同じ種類の妨害が、今回のミーアによるカガリ声明の中継妨害だったり。タリアに対しては「オーブとは、なにか別の交渉手段を考えるべきかな」とリアクションを返しつつも、実は裏でキッチリ中継妨害の準備をしていた議長がステキに黒いっす。

で、そこまでは議長も想定の範囲内でしたが、そんな議長サイドの妨害も想定した上で行動を開始するラクスが熱い。エターナルに議長の目を引き付けておきながら、実はIジャスティスとともにオーブへ降下。議長サイドによる中継妨害まで可能性として念頭に置き、それに対する打開策をキッチリ用意していたという。そして、為政者としてのカガリが、言葉を司るラクスが、力強い「反撃の声」をスタート!

第1クール頃からひたすら待ちわびてきたラクス&カガリの政治家ペア本格始動。二人揃った最初の一言が「その方の姿に、惑わされないでください。私は、ラクス・クラインです」の決め台詞。そして『君は僕に似ている』が流れる中、EDへ。ぐぁ〜、なんつう引きだ。背筋ゾクゾクですわ。次回が待ちどおしいっす。


■議長、衰退モード

チェスマスターとして、全てを計算しながら事態を動かしてきたこれまでの議長。34話でキラを、37話でアスランを盤上から排除し、38話ではロゴスを追いつめて、ニヤリ。ですが、ニヤリするのは頂点の証ですから、そんなものを残り10話以上ある状態で示してしまっては、堕ちるしかないじゃないか!と言わんばかり。

で、キラ復活、カガリ復活、アスラン復活と。ただ、ここまでは想定の範囲内だったんでしょうね。「アークエンジェル、フリーダム、そしてジャスティス」が現れたとの報を聞いてもビックリリアクションしませんでしたし、カガリの会見には前もって対抗手段を練っていたようですから。ラクスについても、エターナルとオーブとの連携を断ってさえいればOK、とでも考えていたのでは。

ですが、チェックメイトになる一歩手前、ラクスが既にオーブへと移動を済ませ、しかも議長サイドのジャミングすら読んで行動を起こしていたという計算外のイベントが発生。この終局一歩手前での読み違いはイタイっすよ。そこから先のラクスの行動を議長は読めていないため、これまで議長が握っていたイニシアティブがラクスの手に移り、今度は議長が後手に回らざるをえないのですから。さぁ「反撃」っすよ〜。


■私にも、もう迷いはありません

前大戦後は隠遁生活、13話ではフリーダム起動を躊躇い、以降はAAでのCICな背景生活。それが、24話の天使湯での鏡面モードな自問を契機に、宇宙での情報収集を経て、今、ようやく本格始動。長かったっす。一ラクスファンとして、本当に長かったっす。京極堂が黒衣を着るまでのタメ期間くらい長かったっす。と同時に、前大戦では事態に流されて本領を発揮できなかった「言葉」「論理」パートの役割遂行を激しく希望っす。議長が起こした騒動を静めるのは、対を為すラクスの役目っしょ、って感じに。


■工エエェ

タリアたんビックリ仰天。ということは、これまでタリアには偽ラクス擁立について知らされてはいなかったようで。ということは、議長の裏の策謀については、まったく知らないと見ていいかと。で、初めてそれを知った、と。

他の聴衆とは異なり、タリアは議長やレイの策謀に薄々感づいていたようですから、欠けていたピースが埋まったような状況になるのでは。ギルバートの真意はここだったのだ、と。ならば、ここで大きくタリア物語も動き出すはず。そしてそれは、議長にとっても真実を照らす光となるはず。むぅ、かなり目が離せん。


■ミーアが本当に願ったもの

アスラン脱走からこれまで、事あるごとに描かれてきたミーアの涙、悔恨。自分の脚で立つことができなかった、ラクスの名にすがるしかなかった。ただ議長の命じるままに、本当の自分を偽ることしかできなかった。焦がれたアスランの手を振り払い、偽りの自分に安住するしかなかった。そんな自分を選んでしまった。その末の、涙。

そういった悔恨描写を見ていると、ミーアも今回のシン同様、本当の自分に気づいているような。ただ、それを素直に肯定することができない、今の自分を変えることができない。変われる事が怖いんじゃないっすかね。ただし、TM『ignited』によると、変われる力を恐れず進んだ先にこそ、大いなる運命(FATEではなくDESTINYの方)は待っているわけで。

そんなミーアの変化に期待しつつ、変化を促すのはなんなのかに注目しつつ。個人的には、やはり「ラクス・クラインとしてでも、ミーアとしてでも」な自律発言に期待かな。

ラクスを騙ることにも意味はあるかもしれない。ラクスの不在時に、ラクスに代わって言葉を投げかけることが必要なのかもしれない。ただし、それを選ぶのもまた、自分。自分が選び、自分が進む道。本物ラクスを尊重し、聴衆の自我を尊重した上での道。そんなミーアの選択を猛烈に見たいです。物語の因果終着点として、バリきれいですもん。とはいえ、因果を大切にしすぎると、ミーアの末路は因果応報による死が濃厚なんですよね…。美味しいとこ取り、ってわけにはいかないもんでしょうか。


■信じたいのは、聞きたい言葉

次回予告が熱い。見た光景、聞いた言葉。人が信じるべきは、確かにそこにある現実。けれど、人が信じたいものは、見たい光景、聞きたい言葉。自分自身の欲望によって歪めてしまった、自分なりの真実。そんな自分への甘えが現実と真実の乖離を生み、そのギャップが争いを呼ぶ。デス種はそんなお話なのねん。

で、そんなお話の中で、選択を迫られた民はどちらを選ぶのか。議長の甘く心地よい言葉を、自分が聞きたい言葉を選ぶのか。それとも、ラクスの痛く厳しい言葉を、自分が聞きたくはない言葉を選ぶのか。前作が「一部の人間が動いたところで本当の解決にはならない」なラストだっただけに、ならばこそ、ここで民自身が何をどう選ぶのかに注目です。個人的には、一般人代表なアーサーたんの選択に注目です。



そんなこんなで43話感想終了。39話以降、どのエピソードでも異常に濃い物語が進行中なのがステキすぎ。感想がまとまらないのねん。まぁでも、大きな枠組と終着点は見えてきたような。要は、リメイク元の「現実を見ろ」と言ったZに対して、ならばなぜ現実を見ることができないのか、どうすれば現実を見ることができるのか、を掘り下げてきたって感じかと。

現実を見ることは、本当に望んだものが失われてしまった悲しみ、痛みと対峙すること。だから現実から目を背け、自分が見たい仮想現実にのみ閉じこもる。そんな偽りの現実しか認めようとしない。けれど、偽りの現実は本当の現実ではないため、人それぞれの仮想現実世界が存在してしまう。そのことを理解せず、自分と他人の見ている仮想現実を混同し、境界線を踏み越え、真の現実世界において異なる仮想現実が盲目的にぶつかり合うため、争いになる。

では、どうすれば争いはなくなるのか。現実を認識している自分自身に目を向けろ。自分自身と向き合え。痛くても、辛くても、哀しくても、自分自身と向き合え。それができた時こそ、他人と向き合うことができる。他人の痛みを、辛さを、哀しみを、理解することができる。他人の存在を認めることができる。世界を閉ざすな、自分の見ている視野に固執するな、他人の見ている視野を認めろ。残念なことに、それができたとしても、争いはなくならないかもしれない。けれど、それでも世界を閉ざすな。解き放て。見ろ。知れ。考えろ。想像しろ。それが最初の一歩だ。

という寓話ではないかと。で、相互理解のあり方をメインテーマとした前作とリンクしてくる、みたいな。そんな全体像がボンヤリ見えてきた今日この頃。ラストはどうなるんかね。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第44話 〜 二人のラクス 〜

真と偽。自立と依存。自由意志と運命諦観。そんなテーマ対立項を整理し、あらためて問題提起してきた感のある第44話。徐々に物語が収束しはじめた香りが漂う一方、終盤に向けての一瞬の凪っぽくもあるようで。そんな穏やかさが、エンタメ的な部分とは別に気持ちいいっす。


■悪いのは彼ら、世界

彼らが悪いのだ、だから仕方ない。世界が悪いのだ、だから仕方ない。相手が悪だから、軍人としての任務だから、それが役割だから、だから、だから、だから。だから、自分は悪くない。悪い者たちを撃つ自分は、悪くない。悪い者たちを討つのは、正義なのだ。それで相手を死なせたとしても、それは正義なのだ。平和のためだ、正義のためだ、当然のことなのだ。

…本当に?…


■あなたではないのだと語られる言葉の罠に、どうか陥らないでください

ロゴスは平和な世界を破壊した。大切な人を奪っていった。平和の敵だ、平和を愛する民の敵だ、だから討つ。それは任務であり、役割でもあるのだから。だから、討つ。

本当に?本当にそれだけなのか?そんな理屈の陰に、もう一つの真実があるのではないか。幸福な生活を破壊された苦しみ、大切な人を奪われた哀しみ。奪った者が憎い、破壊した者が憎い。憎い、憎い、憎い。だから、討つ。そんなもう一つの真実が秘められているのではないか。悪を討つという甘い大義によって、復讐の念を覆い隠し、醜い本当の自分を偽っているのではないか。自分の復讐を正当化しているだけではないのか。悪いのは彼ら、世界だけでなく、あなた自身も悪しき連鎖を生みだす一要因になっているのではないか。


■他責、他罰、自責、自罰

というのがラクスの問いかけ(前半)なのねん。悪いのはロゴスだけなの?みたいな。ロゴスの煽りにのったあなたにも責任があるんじゃないの?みたいな。憎しみの連鎖の正体は自分自身の中に秘められているんじゃないの?みたいな。心地よい他責、他罰に身を委ねるのではなく、厳しい自責、自罰も課そうね、みたいな。自分が見ないようにしている自分と、自分が見ようとしている自分。その二つをあわせた本当の自分と向き合おうね、みたいな。


■本当の他人

そうやって、問いかけの前半部分では本当の自分に気づきましょうと語りかけておいて、〆に「議長の真の目的を知りましょう」と持ってきたのが、またオモシロ。

要するに、本当の自分と向き合うだけでなく、本当の議長と、本当の他人とも向き合おうね、ということでしょう。自分の目から見えているはずの世界、自分が認識しているはずの自分の姿、自分が知っているはずの他人の姿。そんな「はず」を絶対だと過信するのではなく、本当の自分を、本当の他人を、本当の世界を知るように努めねならないのでは?と問題提起しているわけで。


■真実と現実

第2クールあたりから、様々な場面で、自分の見える世界を絶対視する「自分解釈絶対主義」が描かれていて、それが争いを呼ぶ原因の一つだと示されていたり。

自分の持っている世界のイメージ、自分の持っている自分のイメージ、自分の持っている他人のイメージ。そんな自分なりの「真実」が、本来の世界の姿、本来の自分の姿、本来の世界の姿とズレてしまう。そうやって、それぞれの人間がそれぞれの「真実」を絶対視し、現実の世界に押しつけることで、人それぞれの異なる「真実」がぶつかりあい、争いになるというわけですね。

なんで、そんな「真実」のズレから生まれる争いをなくそうとするのなら、それぞれの人間が自分の目から見える「真実」に甘んじることなく、確かにそこにある「現実」に目を向けなければならないわけで。それを(かな〜り持ってまわった言い方で)促したのが、今回のラクスの問いかけだったりするわけで。おかげで、因果の流れにスッポリはまりまくって、かなりキレイっす。

ま、抽象的にボカした問いかけについては賛否両論でしょうが、個人的には、ここまでハショられると脳内補完が楽しすぎ。42話のラストもそうでしたし、前作の「僕たちは何と戦わなければならないのか」にしてもそうですが、全力で「自分で考えろ」と語られまくってるのがステキすぎます。考えるためのヒントは作中に転がりまくっていますから、妄想ではなく推測レベルで補完できますし。漫画『ブラックジャックによろしく』もそうですが、異なる複数の価値観を提示し、それぞれについてネガ面ポジ面を描いておくことで、なにを訴えようとしているのか、なにが正しいのかは自分で考えろ、と語りかける作りなんですよね。13話〜29話あたりが特にそうですが、AAサイドもかなり凹まされ、果てない翼と鎖はよく似て重さで何処にも行けなかったという。


■コニール+男A

ただ、そんな言葉を受けた民衆サイドとしては、そう簡単に自分の過ちに気づくことはなく、本当の他人に目を向けようともせず。それがコニールたん+男Aですね。この伏線処理はかなり見事っす。

たしかに、悪いのはコニールたちを虐げていた連合と、その背後にいたロゴスです。ザフトはコニールたちを助けた。オーブは連合に与していた。これも全て事実です。ただ、解放後、白旗をあげる連合軍の兵士をボコボコに殺っちゃっていた事実も、確かに存在するんですよね。また、コニールたちが見たミネルバの姿が、議長の真の姿だという保障もありません。

人間誰しも、自分が間違っているとは考えないもんです。認めたくもない。指摘されたとしても、俺は違うよ、と他人事のようにスルーするのがデフォ。そもそも気づいてすらいない、なんてことも少なくありません。けれど、そこで自分から見た世界のみを絶対視し、それ以外の世界を閉ざしてしまっては、別の世界を見ている他人とわかり合えるはずもなく。認め合えるはずもなく。

けれども、コニールに代表される民衆たちは、そのことに気づかず、憎しみに拠った己の復讐を無意識に正当化するのみ。己の目から見たザフトの姿こそが全てだと妄信するのみ。それこそが憎しみの連鎖の正体であり、議長の罠であり。ですが、今はまだ、民衆サイドはそのことに気づく余裕もなく。機会もなく。どうなるんかねぇ。


■こちらは予定通り、メサイアに上がる

そんなところまで含めての「予定通り」「だがもう遅い」「既にここまで来てしまったのだからね」なんでしょうね。

見れば、27話の段階で、議長はデストロイとレクイエム(もしくはプラント側の最終兵器?)のデータをチェキしていたり。40話でラクスがサトー隊長のデータ(削除済み)をチェキしていたところも併せると、ユニウス7落とし&デストロイ暴走&レクイエム発射は、議長が裏から操っていた可能性が極大。

他にも、前半パート終了時のニヤリやら、レクイエム発射後のミニガッツポーズやら。このオサーン、新しい世界を作った後のみならず、新しい世界を作るための準備段階からして、計画の妨げとなる存在を淘汰、調整、管理しまくっている気配。というか、計画の妨げでなくとも、必要とあらば殺っちゃう気配です。ラクス襲撃やAA攻撃、アスラン追討、オーブ侵攻なんかも、その一環でしょうね。

そりゃ、元同僚?さんも「だが、我々は忘れてはならない。人は世界のために生きるのではない、人が生きる場所、それが世界だということを」とツッコミますがな。人が世界のために生きるということは、同時に、世界のために死を迫られることもありえるわけですから。


■同じだ…ジェネシスの時と…もう…どうにもならない…

そんなわけで、レクイエム発射(の黙認?)にしても、それ自体が目的ではなく、それによって民衆の連鎖感情を煽りたて、新しい世界作りを順調に進めるための起爆剤、みたいなもんでしょうね。

圧倒的に「悪」なロゴスサイドの所業を民衆の目に焼きつけ、そんな悪な旧システムに対抗する新システムは善だと誤認させる。敵の反対は味方だと誤認させる。悪なロゴスにとってかわる新たな世界、デスティニープランに基づく世界を「ロゴスのような者が再び現れないためのシステムだ」と騙り、それが正しいか否かをきちんと考えさせずに正当化する。そんなオーラが満載です。

そりゃ、アスランも「同じだ…ジェネシスの時と…もう…どうにもならない…」とリアクションするね〜。核発射→ジェネシス発射、レクイエム発射→デスティニープラン発動。同じシチュエーション、同じ展開ですから。


■前作→続編

ただ、そこでナァナァにジェネシスがブッ放されてしまったのが前作SEEDであり、主人公たち個人の力では憎しみの連鎖に囚われた民衆を解き放てなかったのが前作SEEDの帰結であり。それと同じ結末にしてしまっては、続編をやる意味がないんですよね。なもんで、今作こそ、ジェネシス発射=デスティニープラン発動に至る流れを食い止めてもらいたいですし、民衆自身の選択&覚醒を見てみたいですし。

おそらく、前者を担うのが前作では失敗してしまった旧主人公たちの役割であり、後者を担うのがシンやルナマリア、タリア、メイリンたち新主人公たちの役割であり、といったところかと。特に、シンは今の民衆を象徴するようなポジションですから、彼の選択は民自身の選択ともいえるわけで。で、両者をつなぐのが、双方の間で揺れに揺れていたアスラン&カガリと。そんな三主人公体制なのねん。

そんなわけで、シンが主人公なのは、前作で描かれなかった民自身の選択と、選択に至る過程を描くためでしょうから(シン=民の象徴というわけですね)、民の選択にシンの覚醒/完全闇化もかぶせてくるはずなのねん。残り6話になりましたが、ここまで待たされると、逆に大事にタメられている感じすら漂うような。途中段階の惑い、気づき、葛藤も、順を追って描かれていますから、ここはマターリ待ってみる方向で〜♪


■未来を作るのは、運命じゃないよ

そんな流れの中で旧主人公サイドを見てみると、レクイエム発射→デスティニープラン発動という終局が近づいている上、今回示された民の一次選択から見るに、民への問いかけにしてもドン詰まり。かな〜り厳しい状況ですが、そんな逆境に対しても、そしてデスティニープランに対しても、それが運命なんだ、だから仕方ないんだと諦めることなく、あくまで抗いぬく意志を示しています。

それが任務だから、役割だから、運命だから。そうやって思考停止するのではなく、たとえそれが任務だとしても、役割だとしても、運命だとしても、それを受け入れるか否かは自分で決める。どんな道を選ぶにしろ、自分自身の意志で選択することにこそ意味がある、といったところでしょうね。

42話のラストでアスランもそう決断していますが、旧主人公たちの価値観は、まさに「僕が選んだ今を生きたい」な価値観全開。そして、そういった生き方の先でこそ「偶然は運命(DESTINY)になる」というスタンスです。逆に、議長はと見ると、自立的な選択の機会を言葉の罠で奪い、きちんと考えさせることなくナァナァにDPワールドを実現しようと驀進中。DPというシナリオ、遺伝子という定め。そういった「運命(FATE)」に民を縛りつけ、自発的な思考や人間としての意志を放棄させるスタンスです。


■44話エンディングへ

神が記した定めらし運命、FATE。人が作る大いなる運命、DESTINY。FATEを必然として強要する議長サイド、偶然を積み重ねた先にDESTINYがあるとするラクスサイド。そんな二つの価値観が対立しつつ、旧主人公サイドの「神の定めたFATEに世界を閉ざしたくない。偶然の先に作られるDESTINYを信じて!」という燃え価値観がアピールされ、44話はEDへ。

運命への諦観ではなく自由な意志をまとったキラ、本当の自分に目覚めて自立&自律したアスラン、躊躇いをふりはらって戦いぬくことを再度決意したラクス、為政者としてのスタートラインに立ったカガリ、ありのままの存在を受容しあったマリュー&ネオ、自分の想いに殉じる道を選んだメイリン。

そういったAAサイドの同士が順に映しだされ、これまでは「反目しつつも似ている」な関係を彩っていた『君は僕に似ている』が、はじめて「思いを共にする者たち」な関係を彩りながらEDへ。熱い〜。とどめに、キラとアスランが「未来を作るのは、運命じゃないよ」「ああ!」とかたく握手。熱い〜。本格的な反撃スタートですよ〜。その影で、一人迷っているシンもタメ熱い…。次回が「変革の序曲」ですから、ようやっと覚醒へと動きだすんかね。


■君は僕に似ている

そんなED&今回のお話を見ていて、ふと。誰もが誰にも似ている。See-Sawの『君は僕に似ている』は、そんな世界観&キャラクター描写を彩る歌だと思っていたのですが、もう一つ別の意味もあるような気が。自分が見ようとしている自分と、自分が見ないようにしている自分。その二つの存在が、僕であり、君であり。そんな二つの自分を、自分の全てをきちんと受けとめた上で生きていこうぜぃ!な意味も持った歌なんじゃないかしらん。とか妄想してみたり。

というか、デス種の物語自体、いくつものIFなキャラを用意し、互いに補完しあって全体としての解へと話を転がしていく物語構成ですから、IFなキャラクター=もう一人の自分と見れば、当たり前っちゃ当たり前の解釈なんですけどね。


■「君の働きには感謝している」「君のおかげで世界は本当に救われたんだ」「それは、けして忘れやしないさ」

怖ぇっす。過去形っす。全て過去の話になってるっす。未来については「とりあえず隠れてろ」とだけ。ということは、今後の議長の予定表の中には、表だってミーアが登場する機会はない可能性が大。むしろ、再登場→真相暴露された日にゃ目も当てられないわけで。まぁ、順当にいけば暗殺だわさ。ミーアにも選択の時が来る予感〜。


■アーサー&タリア

アーサーたん。いつまでたっても自分で考えようとしないのねん。コニールたち他の民衆と同様に、この人の変革も最後まで持ちこしかねぇ。一回でいいんで、自分で選択するアーサーたんを見てみたいよう。

タリアさんのほうは、混乱しつつも色々と考えてるみたい。軍人として任務を果たしながらも、任務そのものの正当性、任務を降ろしてくるトップの真意についてもしっかり考えますよ、みたいな。この人は最後にどんな決断をくだすんかね。


■真と偽、終着点

上の方で「本当の自分」やら「本当の他人」やら言っておいてなんですが、それはあくまで理想の話。DESTINYがオモシロイのは、理想と現実、ともにネガポジ両面をもっていて、どちらかが間違っているのではない、という話だからなんですよね。真偽テーマにしても、23話&28話で真のオーブ元首であるカガリが登場したがゆえに戦場が混乱したり、10話で偽のラクスであるミーアの語りかけゆえにプラントからの報復が食い止められたり。別に、真でも偽でもどっちでもOKだったりするという。そういった流れを受けての、今回レイが主張した「本物なら全て正しくて、偽者は悪だと思うからか」ですから、これが真偽テーマの核心であり、終着点と見て良いのかも。

そして、そんな真偽テーマの終着点を、フラガパパのクローンと思しきレイが、これまたフラガパパのクローンと思しきクルーゼを回想しながら提示してきたのが静かに熱かった。前作でフラガパパのクローンとして苦しんだクルーゼ。そんな「偽り」ポジションであるクルーゼを、まったく同じ「偽り」ポジションにいるレイが肯定する。これが熱かった。前作では描かれなかったクルーゼへの救い。ここに突っこんできたなぁと。

個人的には、個としての重要性を掲げるラクスの口から「あなたはあなたでしょう」みたいな受容トークをぶちかましてほしかったのですが、クルーゼの分身であるレイ自らが悟っている、というのも良きかな良きかな。というか、レイの議長への心酔は、ラクスのIFである議長が、そうやってレイのオリジナリティ&アイデンティティを受容したからかもね。と同時に、こういったフリを見ていると、レイはクルーゼのような思想、破滅願望からは解き放たれていると見ていいのかも。でも、36話の「生きています」発言なんかを見ていると、クルーゼの思想はレイの胸の中で生きている、とも聞こえるような。どっちなんかなぁ。


■自分本位と他者尊重

ただし、真偽テーマについては「真でも偽でもOK」だと思うのですが、その後につづく「議長は正しい、俺はそれでいい」な語りはどうなのかと。

42話のアスラン覚醒がわかりやすいところですが、戦士として命令に依拠するのも、個人として自発的に行動するのも、どちらが悪いというのではなく、どちらを選ぶかを自分で考え、その上で結論を出す&結果に責任を持つことに意味があるわけで。レイにしても、議長の策謀を知った上で、自分で考え、議長への服従を選んだのでしょうから、その上で選択した「依存」モードは間違っていないんですよね。少なくとも、レイ自身の選択&自律としては。

ただし、きちんと情報を提示しないまま、レイと同じ選択を他の人間にまで要求してしまっては、要求された人間の「知る」「考える」「選択する」機会を奪うことになってしまいます。それでは自律できません。レイ個人の選択&自律がいけないとは言いませんが、自分の選択を他人に押しつけるような言動、他人の自律を阻害するような「言葉の罠」は(・A・)イクナイ!のですよ〜。

つまり、想いと力、真と偽、自立と依存、意志と諦観のどちらか一方が(・A・)イクナイ!のではなく、自分の選んだ選択のみを絶対視し、自分本位に他者否定することが(・A・)イクナイ!わけで。自分を律することなく、自分にとっての真実と他人にとっての真実を混同するのが(・A・)イクナイ!わけで。自律、超大切、というわけで。善悪の基準が複雑に入り組んでいるんで、整理して見ていないと混乱するところですが、これまでの流れを汲めばそんなところでしょうね。

もちろん、上述したものはあくまで推測。真でも偽でもかまわないなら、なにが善悪を判別する大切な価値基準なのか。そんな問題提起に対する解が示されるのは今後のことですが、アスラン覚醒がそれそのものだったので、このテーマ昇華でも、同じように「自分」との戦いをアッピールしてほしいっす。特に注目したいのは、ミーアとクルーゼ&レイ。特に、クルーゼ関係は前作から長きに渡って物語の中核を担うファクターですから、なんとか取りまとめてもらいたいところです。そして、クルーゼを救ってもらいたいところです。その役を担うキャラクターとしても、やはり「自我」「言葉」を司るラクスに期待中。


■フリーダム、そして、アスラン・ザラ

37話以降、シンはアスランを撃ったことを割り切ることができず、ルナはメイリンの死を受けとめることができず。が、アスランとメイリンが生きていたことが(ほぼ)判明し、シンはアスランと、ルナはメイリンと、言葉を交わすチャンスが到来。どちらも物語のメインフレーム絡みのネタ。ぼちぼち盛り上がってきそうですね。あわせて、傷の舐めあいで始まったシンとルナの関係が、これを機にどう変化していくのかにも注目です。


■白黒コンビ

確変中のおかっぱ&ぐぅれいとペア、軍人としてしっかり仕事してるのねん。しかも、35話での「少しは自分で考えろ!その頭はただの飾りか」発言を見るかぎり、タリア同様、自発的に考えることができているようで。アスラン=イザーク&ディアッカ。そんな「反目しあっていた同僚→わかりあえた仲間」繋がりでザフト内部の覚醒が描かれれば、かなり嬉しいんですけど。


■レクイエム

1stのコロニーレーザーのパクリネタでしょうが、1stのんは「直線射撃兵器=攻撃目標からも丸見え」なんで、実は即対応される可能性があり。その点、レクイエムは本体を月内部に隠しており、偏光パーツも廃棄コロニー(?)を利用している上、レーザーが微妙に曲がっているようなんで、いろいろな意味で発見されづらいウマーな兵器だったり。ただ、あれだけのエネルギー、どうやって供給してるんでしょ。核エネルギーを使っているにしてもパワフルすぎる気が…。



そんな感じで44話感想終了。真と偽。自立と依存。意志と諦観。そんなキー概念に触れつつ、シチュエーションを前作ラストに重ね、メインテーマっぽい「本当の自分」「本当の他人」へと踏みこんできた感じですね。民の選択、シンの選択。そのあたりから目が離せなさそうですが、どうなることやら。などと思いつつ、な〜んか最終話あたり、レイ→議長で「議長も、意外と甘いようで」をやらかすような気がしている今日この頃。とりあえず「俺を踏み台にした!?」を早くやってほしいっす。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第45話 〜 変革の序曲 〜

最終決戦!と思いきや、あっさり終戦。ロゴス討伐が終わり、デスティニープランをベースとした「変革の序曲」が奏でられる一方で、そんな議長サイドへの反撃を開始すべく、ラクスサイドも本格的に出陣。いろいろな部分で問題提起が重ねられ、かなり密度の濃い45話です。


■相手は国家ではないんだぞ、テロリストとどんな交渉ができるというんだね

ま、この場合はムリでしょうね。ジブやん、ぶちギレていますから。ただし、AAをテロ認定して撃とうとした34話を振り返ってみると、ミーアの存在や13話の襲撃事件により、議長の「交渉」は裏を感じさせまくり。そんな怪しい一方通行言語をもって「交渉」が成立しなかったとし、テロリスト扱いして撃墜指令を出した議長たん。

裏を知っている人間からすれば、交渉「する気がない」一方通行な殲滅指令なのですが、裏を知らない人間からすれば、交渉「が成立しなかった」末の双方向な攻撃命令。なんで、議長の真意を知らない民や一般軍人の目線から見ると、戦場を混乱させたテロリストを撃つという表の目的ばかりがクローズアップされ、デスティニープランの妨げになる存在を排除するという裏の目的が隠されてしまう。結果、議長の指示は正しく見えてしまう。そういうのが、議長たんの言葉の罠な〜のね〜。


■今日のメイリン

親友キラのタイピングにビビるハカーなメイリンたん。正妻カガリのプレッシャーに沈黙する現地妻なメイリンたん。つまりは、メイリンたんがアスランに入りこむ余地はないと?メイリンたんの本当の居場所は姉妹だと? 全国の姉妹好き垂涎の一品です。姉は男とイチャついていますがね。どうでもいいけど「涎」を「垂らす」で「垂涎」なのね。


■ザフトだって、もう絶対、これ以上のプラントへの攻撃は防ぐと思うけど

もう絶対→思う。微妙な日本語の乱れが笑えますが、キラ、ある意味で議長を信頼しきっています。

レクイエムが一発撃たれ、砂時計が二本破壊された。レクイエムの脅威は示され、ジブリールの危険性も明らかとなった。あとは、悪と戦う正義の味方の活躍を民衆にアピールし、議長の正当性を示すのみ。それが議長の描いた「予定」でしょうから、レクイエムが一発発射され、ロゴスの悪っぷりが知れ渡った現状では、これ以上の生贄は必要なし。あとはダイダロス基地&ジブリールを墜とせば「予定」通りに作戦完了。

と、ここまで読めば、たしかに「これ以上のプラントへの攻撃は防ぐ」と見るのが妥当でしょうね。議長の「予定」では、一発のレクイエムでロゴスの悪をアピった次は、悪を成敗する正義のカッチョ良さをアピールする番なんで、さらなるレクイエム乱射は必要なし。で、そこまで読めているというか、そこまで議長の「予定」を信頼しきっているというか。だからこその「もどかしいね、今はなにもできないとわかっていてもさ」な〆でしょう。前回ラストの「議長を止めなきゃ」宣言には、少なくともここまでの読みは入っていたという。ただし、あくまで状況証拠にすぎないため、物的証拠を求め、再び宙へ上がるという。そういう流れでしょ。


■チェス盤

議長の横に、例のチェス盤発現。白の駒がだいぶ残っていますから、今後は議長VSラクスの構図になっていくんでしょう。ただ、前にも書いたと思いますが、チェスには自軍/敵軍という概念はありますが、正義/悪という概念はなかったり。正義が悪を倒す、もしくは、悪が正義を打ちのめす。そういったゲームではなく、勝者にこそ価値が生まれる仕組みなんですよね。

そんなチェスゲームの仕組みを考えると、議長も、自分の計画こそが正しいとは思ってはいないんじゃないかなぁと。議長サイドが残るか、ラクスサイドが残るか、その結果に人の未来を託している。そう見るのもありじゃないかなぁと。

仮にそうだとすると、それは同時に、議長の中にも、ラクス的な自律ありきの世界観を正しいと思う「自分」がいることになってしまうんですよね。そんなもう一人の「自分」の想いをラクスサイドに託し、計画を推し進めようとする「自分」とぶつけあっている、とも見えてしまう次第。そんな議長の葛藤が、チェス盤という善も悪もないメタアイテムになって描かれているような。そんな気がする今日この頃。


■子連れ艦長

プラントの婚姻統制により子どもを作れない議長と別れ、別の男性と結婚して一児のママンになるも、議長と大人の関係。といったところでしょうか。相手の男が29話の後姿くらいしか出てこず、今回も「タリアママン&子ども」の映像だけなんで、今現在は「夫」の匂いを感じられませんが…。タリアとの別れの後、タリアがどんな人生を歩み、デュランダルがどんな人生を歩んだのか。そこにこそ、議長の真実は隠されていそうですが…。二人の間の感情的なやりとりゼロのまま、残すところは5話。最後の最後で一気に爆発させるんかね。


■はぐはぐ

傷の舐めあいで始まった後ろ向きなラブが、アスラン&メイリン生存の報を受けたせいか、微妙に前向きなラブに。シンが「でもやっぱり駄目だよ」なんて言い出したときには、別れ宣言かと思ったくらい。まぁ、結局はローリングはぐはぐしていましたが、それでも、任務から外れてルナの援護にまわろうとするシンには(というか実際に任務から外れて援護に行きましたけど)、役割メインの議長サイドなスタンスではなく、想いありきのラクスサイドの匂いが漂っています。

役割だから、任務だから、命令だから。そういった諦観に縛られて始まった二人のネガティブな傷の舐めあいが、諦観の根っこであったアスラン&メイリンの死から解き放たれ、なんの負い目もなく素のシン&ルナを見ることができるようになったことで、ポジティブな関係へと変化していっている、といったところでしょうね。シンの根っこが「想い」メインであることも改めて示されましたが、この二人、どう転んでいくのやら。


■月攻略

レクイエムがパワーチャージしている間に、月艦隊が第一中継点となる偏光パーツ破壊を狙い、その陰で、ミネルバが月基地本体に奇襲をかける。当然の如く、月基地本体も大きな戦力を有しており、戦力的にも時間的にも、規模の小さいミネルバ隊だけでは攻略しきれないため、さらにルナインパルスが隠密でレクイエムのコントロール部に突入し、破壊する。

ま、それなりの作戦ですが、デスティニーとレジェンドが強すぎで「規模の小さいミネルバ隊だけでは月の戦力を攻略しきれない」という前提が成り立っていないっす。デスティニーにしても、月本隊への攻撃よりルナの援護に力を割いているもんだから、実際に月の本戦力と戦っているのがレイだけな上、隠密のはずのインパルスもデスティニーのおかげで目立ちまくり。かなり笑えるっす。デスティニーとレジェンドだけで本戦力を撃破できるなら、ルナの隠密行動、意味ないじゃん、みたいな。作戦はまともなのに、実際の戦闘は大味すぎっすよ(笑


■「なんであれ、時は戻らない。そう思うなら、同じ轍を踏むなということだな」
■「俺たちも可能なかぎり援護はする。だが基本的にはアテにするな。すれば余計な隙ができる」
■「急げよ」


今回の発言といい、42話の「今のアイツに、おまえは邪魔だ」発言といい、ルナ、レイに嫌われまくっています。戦士であるシンに「想い」ファクターはいらんよ、みたいな。ルナ、そのうちレイに撃たれるんじゃ…。というか、この一連の発言といいシンの「守る」宣言といい、外といわず内といわず、ルナに死の香りが漂いまくっていた45話です。まぁ、キラ&アスラン式「守る」とシン式「守る」の第三次バトルはこれからですから、それまでは死ななさそうですけどね。


■ルナのせいじゃないさ、悪いのは、匿ったオーブだ

前回のコニールたんにつづき、自分たちの非を認められない人発見。凹んでいるルナへのフォローとしてはナイスですが、この場合、フォローのための方便ではなく、マジで「悪いのはオーブだけ、俺たちは悪くね〜よ」と思っていそう。本当の自分から目をそらしまくっています。そういうダメフォローばかりしているから、いつまでたってもルナの射撃は上手くならないのねん。

しかも、本当のオーブを知ろうとしないのも、本当のザフトを知ろうとしないコニールたんたちとソックリ。実際には、カガリオーブもジブを匿ったセイランを抑え、逃げようとしたジブリールを押さえようと動いていたわけで。実際、逃げるジブのシャトルをオーブのムラサメも撃っているわけですが、シンはそれをスルーし、悪いのはジブを匿ったオーブだと、オーブはそんな国だと、そう断言。

先週の感想でも、ラクスの「悪いのは彼ら、世界。あなたではないのだと語られる言葉の罠に、どうか陥らないでください」「我々はもっとよく知らねばなりません、デュランダル議長の、真の目的を」について触れましたが、本当の自分を知り、本当の他人を知らなければ、争いはなくなるはずもなく。けれど、今のシンは、本当のルナ(自分サイド)も本当のオーブ(他人サイド)も、どちらも知らず、目を向けようともせず。前回のコニールとあわせて、最後に示されるであろう民自身の選択&覚醒に向けたタメ要素だと思われますが、シンにしろ民衆にしろ、どう変わっていくんかね。


■「戦闘の情報は、随時市内に流してくれ」「皆知りたいはずだ、自分の運命、その行く末を。そして権利もあるはずだ」

レクイエムの発射を黙認し、ジブリールの悪をアピールする。アピールした悪に抗う存在として、自分のカッチョよさをさらにアピールする。敵の敵は味方だと、悪に抗う自分は正義だと。そう民の認識を誘導し、再び悪が現れないよう、正義の政策を、デスティニープランを発動させる。そのためのプロパガンダ全開なのね〜。

どこぞの国も、内圧が高まると外へ撃ってでますが、原理は同じ。どこぞの政党も、他政党の悪っぷりをアピールし、それに抗する自分たちは正義だとアピールしていますが、原理は同じ。でも、知らせるのは敵の悪なところと、自分のカッチョイイところだけなのね〜。自分たちの非については隠匿しようとするもんなのね〜。悪の敵も悪かも。その可能性からは目をそらさせようとするのね〜。

それと、自分以外の「悪に抗う者」の存在は隠すのね〜。34話の破壊VS自由の映像削除。その映像を見れば、民は「AAもまた悪に抗う正義かも」と考えてしまいかねないため、議長こそが絶対無二の正義だとは思考を誘導できない。第一、AAやオーブをロゴスに与する者として討つこともできなくなる。なんで、破壊VS自由の映像を削除しようと。そんな一石二鳥な情報遮断だったっぽいのね〜。


■ありがとうジブリール、そして、さようならだ

ジブリール絡みのデストロイ暴走&レクイエム発射について、議長が誘導なり黙認なりしていたことがほぼ確定。ただし、あくまで視聴者だからこそ知りえる情報であり、議長やレイ以外の登場人物は知りえない情報であり。登場人物は状況証拠しかつかめていないため、情報収集に動き出す、と。

ただ、議長はロゴスという悪を葬ることで偽りの正当性(悪の敵は正義)をアピールしましたから、次は、本来の目的であるデスティニープランを発動させてくるはず。AAやオーブ同様、DPの妨げになるような民を、ロゴスを討つことで確保した偽りの正義の名の下に淘汰、調整してくるでしょうから、それによって、議長の正当性にも揺らぎが生じてくるはずなのねん。

もちろん、議長にすれば、そんな揺らぎは想定内のファクターでしょうが、そこで生まれる隙に対してラクスサイドがどう食いついていくのかが見所かと。ミーアの存在を足がかりとして議長の暗部が晒され、そこで生まれる疑念を起点に、最終的には「カガリ→シン」「ラクス→民」のコンボで民サイドの選択が示される。無標なところでそんな展開が予想できますが、はてさて。議長に疑念を抱く勢力をまとめる為政者としてのカガリの活躍。前作で描かれなかった民自身の選択を問う言葉&自我マスターとしてのラクスの活躍。個人的にはそのあたりが見てみたいところですが、残り5話、どう話が転がり、どう話が収拾していくのでしょう。かなり楽しみっす。


■種50話、再現

殲滅兵器をぶっ放そうとするジブ、レクイエムの中核に突入するルナ、それをフォローするシン、強MSを退けるレイ、思想的な根っこになっている議長。微妙なズレはありつつも、内容的に「言葉による和解はできず、煽り屋さんを叩くこと&殲滅兵器を破壊することしかできなかった」な種50話そのまんま。

違うのは、政治的な大義を持っているか否か、その先に具体的なビジョンかあるか否か。この二つを持った議長がジブリールという悪を退けたことで、議長が今回選択し、前作でのラクスも選択せざるをえなかった「敵を討つ」ことでの平和な世界作りも、あながち間違いではないと示されたわけで。これはこれで一つのやり方だよね、みたいな。

ただし、敵を討つ形での平和作りでは、憎しみの連鎖そのものが消え去ることはない、というデメリットも抱えつつ。議長は言葉の罠によって憎しみが目立たぬよう隠蔽しましたが、民が己の憎しみを消し去ることはないため、根本的な解決にはなっていないという。逆にラクスサイドは、民自身に己の憎しみを気づかせ、自浄作用による平和な世界作りを進めるようですから、二つの手法はまさに真反対。

アニメエンタメ物語としては、どちらか(というかラクスサイド)に旗をあげて一つの解答例を示すことになるのでしょうが、問題提起の段においては、双方のネガポジを示して「オマイ(視聴者)はどう思う?」と問いかける形になっているわけで。両者のネガポジが示された以上は、仮にラクスサイドに旗が上がったとしても、それはあくまで制作者なりの解答例にすぎず、視聴者ごとの解答は視聴者まかせになっているという。個人的には、こういう投げっ放しジャーマンな手法は好みですが、ネガポジ整理をしながら見ていないと、問題提起されたということ、ラクスサイドのスタンスも解答例の一つにすぎないということに気づかないかもね。


■デスティニープランの到達点

想いがあるから争いが起こる。欲望を奪えば争いは起こらない。そのための、デスティニープラン。人を遺伝子に縛りつけ、役割で囲いこみ、人形のような生を与えるシステム。これを語るシーンで、エクステンデッドの存在が描かれているのがオモシロ。ここまで見えた状態で振り返ると、エクステンデッドはデスティニープランにおける理想の存在だというのが理解できるもんで。

たしかにDPが実現すれば、人は争う必要がなくなるのですが、その究極であるエクステンデッドの存在を見せつけられると、運命に縛られ、役割や命令以外ではどこにも行くことができない箱庭世界のイヤさ加減も理解できるんですよね。現代日本に置きかえれば、仕事ばかりでプライベートのない会社人間、命令のためなら不正もみすごす歯車になることを強要されるに等しいのですから、そりゃ、組織の中から「想い」を抱いたストライクフリーダムな社員も出てきます(ランゲージダイアリーさんのパクリです。あいばさん、スンマソン)。


■夢、願い、希望、欲望

ただ、同時に、プライベートオンリーで生きていくというのも、不健全といえば不健全。キラもそのことを自覚しているようで、第2〜3クールで示された「想い」のネガ面を「欲望」という言葉に置き換えて、それはそれで(・A・)イクナイ!ことを提示。このシーンが示されたことで、41話後半パートの矛盾に満ちた在り方も、ようやく形が見えてきました。

想いは必要だけれど、想いだけを振りかざせばエゴにまみれた欲望となる。どこかで世界のための役割を全うすることも必要。その役割が、想いを失わない世界を作ろうとがんばっているラクスやカガリを助け、戦うこと。それが「いつか、全ての戦いが終わって、誰もが心から笑って手を取りあえる時を、迎えるために。僕たちは、その日のために、ここにいる。そうでしょ、アスラン」「果てしのない戦いの連鎖から、世界を解き放ち、自由な未来を築くために」な滅私奉公モードであり、そう在ることがキラの信念(≠正義)であるという。


■人が生きるということ

たしかにDPが実現すれば、人は争わなくなるわけで(少なくとも種世界においては)。そういう意味ではDPにもポジ面はあり、逆に、キラの「欲望」という表現から窺えるように、想いを抱いて生きる生にもネガ面があり。この「欲望」という表現を聞くに、キラもそのことはわかっていて、議長サイドが絶対悪だとも、ラクスサイドが絶対善だとも思っていないという。それでも、自分の信念(≠正義)を貫くというスタンスです。だから、そんな信念が「わがまま」なんだという。

でも、そんな「わがまま」な生こそが、人が生きるということ。そこにこそ人の尊厳が在り、人が人として生きられるのだから。だから、そんな人の尊厳を守るために「わがまま」でも戦うという。間違っているかもしれなくても、人として生きるために、世界だけを生かそうとする議長と戦うという。その戦いは間違っているのか、想いを抱いて生きることは間違っているのか。最後の最後、終盤になって、とんでもなく重い問題提起してきましたよ〜。

この問題、コアになるのは、議長式世界の先がけとして自我を議長に委ねたミーア&レイでしょうね。また、自我を運命に委ねるか否かを迫られるシン&民も、人として生きることの意味を問われることになりそう。ですが、さらなる先駆けとして存在したエクステンデッドを見ると、ステラはシンとわかりあうことができたという。想いを抱いてしまった、想いを抱くことができたという。どれほど抑圧された中であっても、ステラは人として生きたのだという。カガリやラクスは、道を示すのみ。選択するのは民であり、シンであり。自分とどう向き合うのか、他人とどう向き合うのか、その上で、人としてどう生きるのか。いくつもの意味を持った重〜い選択になりそう♪


■31話、マリューさん

でも、大切な誰かを守ろうとすることは、けして馬鹿げたことでも、間違ったことでもないと思うわ。

世界のことは、確かにわからないけど。
でもね、大切な人がいるから、世界も愛せるんじゃないかって、私は思うの。

きっと、みんなそうなのよ、だからがんばるの、戦うんでしょ。
ただ、ちょっとやり方が、というか、思うことが違っちゃうこともあるわ。その誰かがいてこその世界なのにね。

アスラン君もきっと、守りたいと思った気持ちは、一緒のはずよ。
だから、よけい難しいんだと思うけど、いつかきっと、また、手を取りあえる時が来るわ、あなたたちは。

だから、諦めないで、あなたはあなたでがんばって。ね♪


■「みんなの夢が、同じだといいのにね」「いや、同じなんだ、たぶん。でも、それを知らないんだ、俺たちはみんな」

10話のシン&カガリのシンクロ壁叩きが典型ですが、だれもが平和を望んでいて、その夢は同じだという。議長もまた、議長なりの平和を夢見ている。その根っこは同じはずなのに、アプローチが違ってしまう。ならば、そんな相手とどう向き合えばいいのか、どうすればわかりあえるのか。

平和への想いは一緒であること。それを肯定しつつも、そのアプローチ方法に多様性があることもまた、肯定している。その上で、アプローチ方法の異なる相手とどう向き合えばいいのかを問うている。日本語的にそういった問題提起に見えるのですが、そうではなく「全てが同じになればいい」という偏った均一化推進だと見る人も多いようで。誤読を元に叩いてどうしたいのやら。

それはいいのですが、これに対して、実は31話でマリューさんが同じ問題提起をしつつ、一つの解を示していたり。このシーン、背景に『君は僕に似ている』のメロディーが流れて「きっと、みんなそうなのよ」を彩っているのですが、振り返ってみるとかなり重要な会話かと。大切な人がいるから、世界も愛せる。大切な想いがあるから、世界も愛せる。その原点を見失っちゃいけないよ、と。その原点を見つめあいましょう、と。もちろん、大切な人が失われてしまった場合、世界を愛せなくなるかも知れないので、その場合はどうすればいいのか?という問題提起を踏まえなければなりませんけどね。いくつもの問題提起が複雑に絡み合いまくっていますが、どんな解を示してくるのやら


■自由、自立

言葉の内容については、今さら言うことはないっすね。想い、真実、自立、自由意志。それがラクスサイドのスタンスなんで、それがカガリの口からきちんと語られたことが嬉しいっす。決起集会での「オーブは、なにより望みたいのは平和だが、だがそれは、自由、自立での中でのことだ。屈服や従属は選べない」という宣言全体にしても、ウズミ様を髣髴とさせるもんで、カガリ、順調に成長してるなぁと。言葉を使えてるなぁと。一人地上に残りましたが、どんなアプローチをしていくのやら。個人的には「言葉」を介して反議長勢力をまとめあげるという「為政者」としての活躍、ウズミも為しえなかった新しいオーブの姿を見たいっす。力なく蹂躙されたウズミオーブの為しえなかった、世界的な平和への働きかけ、成るか?


■指輪物語

指輪=焦り。そんなネガティブメタアイテムだったのね。焦りゆえに、苦しむカガリの力になりたいとオーブへ戻り、けれども戦場ではすれ違い、それでも許しあえた38話以降の再会を経て、ワンクッション置くことを決意し、今は指輪を外したという。そういうことでしょうか。それでも許しあえた二人の絆を信じ、力強く「夢は同じだ」と受け入れたと。また、カガリサイドとしては、為政者という「役割」を全うするためにルージュからアカツキへと乗り換えたように、女性としての「指輪」を外し、今は為政者として力を尽くすことを意味してもいるんでしょうね。

ただ、アスランが「焦り」を捨てて本当の想いを見すえた時、カガリが為政者としての「役割」から解き放たれた時、そこでは指輪を外している必要もなく。むしろ、指輪の持つポジ面である「強い絆」を使って、相互依存から解き放たれた健全な二人の仲をアピールするのはありありでしょう。アスランはプラントで復興に尽力し、カガリはオーブで為政者たらんと努める、そんな二人のラブなつながりを「遠く離れてるほどに近くに感じてる」と彩る演出アイテムになればバリステキかも。なんですが、どっちかがあの世逝きになった場合も成立するネタであるだけに、微妙な緊張感も醸しだしつつ、みたいな。


■真「アークエンジェル、発進します!」

ぎゃぁ。熱い〜。同じように皆を載せて発進しながら、海中深くへと潜航していったネガティブモードの14話発進。アスラン未覚醒のまま、片翼落ちで発進した42話。そこから、42話ラストのアスラン覚醒を受け、44話ラストの旧主人公+メイリン集結の『君は僕に似ている.同士ver』を経て、今、全ての揃ったアークエンジェルが、澄みきった青空へと発進! 13話と異なり、完全にポジティブ演出ですよ〜。こんな晴れの舞台から外された虎&ダコスタとドム三人組が哀れ…。特にドム三人組。結成式でも姿がなく、存在意義がパクリ要員だけだという。彼らの次の見せ場は「踏み台」だということでFA?


■悲しき涙、忘れるな!ハロ!

うっわぁ〜…。今週のルナ以上に死の香りが…。セイラン父子もアボーンしたことですし、ミーアもヤヴァイなぁ。と同時に、真偽テーマの一翼を担うラクス&ミーアネタだけに、テーマ昇華の行方も気になりまくり。ミーア・キャンベルとしても、ラクスとしても。真でも偽でも構わない。その上でミーアがたどりつくミーアなりの真実の歌、か…。バリ切ないエピソードになりそうじゃ。



終盤だけあって、テーマに絡む「自由」「自立」「真実」という直なキーワードが乱舞中。特に後半パートの月攻防戦終了後は、話の密度がエライことになりまくり。が、そんなラクスサイドの言葉が乱舞する中、議長サイドの計画も最終段階。議長の当面の相手だったロゴスが倒れたことで、両者、ようやっと本格衝突に至る模様。議長サイドはここまでは「予定通り」に事を運んできたのですから、なにもなければ、ロゴスにつづいてラクスサイドも「予定通り」排除できるはず。ラクスサイドがこの状況を覆すためには、議長サイドの「予定」にないファクターが絡んでくる必要があるでしょう。なにが想定外のファクターになるのか。もしくは、なにも想定外のファクターなしに議長サイドの勝利に終わるのか。む〜ん。

さりげにアレレレレ?なのは、ムウ=ネオ物語。ジブ死んじゃいましたけど…。43話のあれで終わりっすか?




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第46話 〜 真実の歌 〜

真と偽、想いと力(役割)、自立と依存、意志と諦観。キラとアスランの会話で、その両方の価値観を認めながら、それぞれの極にいたラクスとミーアが邂逅し、さらに大切な価値観を提示してくれた46話。提起された問題に対して解を示し、因果が噛みあいながらテーマ昇華していく構成がバリステキです。個人レベルの変化ではあったものの、内容的にはテーマ昇華の最終回に等しいのねん。おかげで感想を言葉に落としこむのに時間かかりすぎ。2日て…。言語化能力ないなぁ、自分。


■それらは一旦、月軌道にでも集めておいてくれ

レクイエムの中継コロニーは残したまま(あと3機?)。廃棄前に集めておいただけなのか、それとも。


■まさかそんなことにはなるまいという安易な思い込みが、とてつもない危機を生む

自分の思っている世界、現実にそこにある世界。その乖離が、とてつもない危機を生む。この台詞がかなりツボ突いています。自分、他人、世界。きちんと見ようぜ、みたいな。思い込み(・A・)イクナイ!みたいな。


■悪の再発を防ぐために

今度のことをまたも未然に防げなかった→失われてしまった多くの命に詫びねばならない→今度こそ本当にもう二度とこんなことの起きない世界を作らねばならん→それが亡くなった人々へのせめてもの償いだろう

悪のロゴスを倒した議長閣下が実行する計画は、正義の計画であり、亡くなった者も望んでいる計画なんだ。などという保証はなく。けれど、レクイエムレベルの危険を見せつけられた後で、それを防ぐためにと言われれば、深く考えることなく受け入れてしまいかねないんですよね。間違っているかもしれないと、他に選択の余地があるかもしれないと、そう疑うこともせず。それこそが正しい選択だとして。

現実レベルでも、どこぞの甚大テロ事件の後、深く議論を交わすことをせず、正確な情報に基づくかどうかもはっきりしないまま、どこぞのA国やI国が討たれましたが、討ったという結果の是非はともかく、きちんと考えずしてナァナァに対応策を受け入れてしまうという過程そのものが怖いんですよね、というお話。


■ちょっと、話したいと思っただけよ

とりあえずの休息を迎えた今、アスラン&メイリンが生きていたことを受けて、ルナ葛藤モードです。命令だった、疑いは晴れていない、だから気にしなくていい、シンは悪くない。表面的な言葉としては、そんな議長サイドのキーワードを連呼しながらも、内心では割りきれていない模様。なもんで、一度シンと話しあいたいと来たのに…

けれど、当のシンはお子ちゃま朴念仁を再発。そりゃ、ルナもイラっとくるでしょ。で、結論だけをさっくり語り、過程については言葉を交わそうとせず。当然、シンとしてはルナの出した結論を諾々と受け入れることしかできませんが、ルナとしては過程について悩んでいるため、シンの受けとった結論とルナの悩んでいる過程の間にズレが生じるという。休息の中、ワンクッション置いたことで微妙にズレはじめた二人。どうなっていくんでしょ。というか、ルナにしろシンにしろ、37話で二人を撃った行為が悪くないというのなら、再びアスラン&メイリンが目の前に現れたとき、また撃つことになるのかと。どうなるんかねぇ。


■キラとアスラン

とりあえず状況が一段楽した今、38話の「僕たちはまた話せる、いつでも」を受けるようにして、言葉を交わす二人。第2〜3クールでズレてしまった二人の意識差を埋めるように言葉を交わす姿、言葉を交わすことで議長の欺瞞について意識共有していく二人、これが静かに熱かった。言葉による相互理解、言葉のポジ面が全開しはじめています。また、31話で示されたキラの躊躇いや、AAとの対立からプラント脱走へと至るアスランの心境も訥々と語られているもんで、話がしっくりつながりますね。

さらに、話はそこから議長の「正しさ」へ。議長式の「正しさ」を認めつつも、言葉の罠&計略&軍事力を利用しながら「正しさ」を他者へと押しつけてくる議長手法の「おかしさ」に言及。さらに、そこから抜け出せないでいるシンへと話を広げ、キラ&シンの第3ラウンドを匂わせつつ、もう一人、そこから抜け出せないでいるミーアエピソードへと切り替え。ここのシーン切り替えは( ゚Д゚)ウマーでした。

それにしても、前作ではイザーク、今作ではアスランが顕著ですが、種では覚悟や決意の度合いによって戦闘力が変化するシステムです。二人の会話の中でも直に語られていて(?)、これが今後の戦闘で効果を発揮しそう。アスランの言葉を受けとめることができず、思考停止するように種割れするも、自律信念を抱いて種割れした覚醒後アスランに完敗したシン。悩みを抱いた現状ではキラ&アスランに劣るシンの戦闘力ですが、闇化にしろ覚醒にしろ、真種割れへと至った時、どれほどの強さを見せることやら。


■あいつも夢があって、そのためにがんばるやつだから

皆が平和に生きられる世界を作りたい。そんな夢があって、そのために頑張るシンだから。だから、その夢を認めてくれる議長に依拠し、議長のために戦っている。逆に、議長はそんなシンの夢を甘い「言葉」を弄して認めることで、自分の計画に役立てている。そういう関係でしょう。

ミーアのアイドル化もそうですが、議長、人が抱いている夢(想い、願望、欲望)に見あった環境を作りだし、夢をエサにして人を動かすのが大得意。今回のアバンでも、レクイエム発射を阻止できなかったことを悔やむザフト将官に、本人たちの責を追及しない旨の甘い「言葉」を投じ、悪いのはこんなことが起こる世界なのだと責任を全転嫁して、世界改革の必要性を論じています。


■夢使い?

こういった描写を見るに、シンやミーアだけでなく、第2クールのAAやロゴス打倒へと動く民にしても、同じようにして誘導した気配すら漂うような。

争いをやめさせたい、そんなAAの想いを逆手に取り、想いが実現できる状況へと誘って、戦闘阻止に介入させる、結果、テロリストのレッテルぺたり。世界が平和になってほしい、そんな民の想いを逆手に取り、平和を乱すロゴスの悪行を見せつけた上で、ロゴスを倒せば平和になると誘い、ロゴスを倒させる、結果、ロゴスに変わるシステム管理人の座をゲットしつつ、悪と戦う議長は正義だと刷りこみ、DPは再びロゴスのような悪が現れないための正義のシステムだと誘導する。直接的な描写はありませんが、そんなところでしょうね。


■欺瞞の正体

人が抱く夢にあった環境「だけ」を提供し、最も簡単に夢を実現できる方法「だけ」を提示した上で、夢どおりの自己を実現できる状況へと誘う。そんなおいしいエサを目の前にぶら下げつつも、議長自らは「食べようぜ」とは言わず、あくまで「食べるか食べないかは君次第だよ」と語りかけ、本人の意志に基づく選択であると思わせる。それが議長の話術ですね。

この場合、最終的に選択したのは本人です。しかし、選択の前段階において、夢を実現するための最も簡単な方法「だけ」を議長は提示し、それ以外の選択肢を除外していますから、実はそれ以外の選択はできない状況へと誘導されていることになります。さらに、そこで「君は夢を実現したいんだろう」と語りかけ、夢の魅力をアピールするのですから、その魅力に抗しきることができないのもむべなるかな。

仮に、あとから振り返って選択の正否を考えたとしても、選択の指針となったのは自分が「正しい」と思っている自分の夢であり。夢の実現方法を選択したのもまた、自分自身の自発的な意志であり。なもんで、自分の夢が正しいと思っている限り、自分の夢が間違っているかもと疑わない限り、自分以外の他人が抱く夢にも正当性があることを慮らない限り、自分の「正しい」夢や意志に基づく選択もまた「正しく」見えてしまうんですよね。

というように、悪いのは彼らだと、世界だと、自分を取りまく環境なのだと、そこだけを見つめ、悪い「彼ら」「世界」「環境」を正すための「正しい」行為なのだと自分自身を欺瞞しているかぎりは、絶対に気づかない、破れない。それが、議長の欺瞞ならぬ、民自身の欺瞞の正体でしょう。民が己の欺瞞に、甘えに気づかぬ限り、永続する罠。議長は、そんな民自身の欺瞞に拍車を掛けているだけなのねん。


■虫歯の子には

この欺瞞、甘いもの大好きな虫歯っ子をイメージすると早いかも。民は虫歯っ子、議長は際限なく甘いものを与えるお祖母ちゃん。虫歯っ子は大好きな甘いものをくれるお祖母ちゃんが大好きで、お祖母ちゃんもまた、虫歯っ子に好かれたくて甘いものを与えつづけます。だから、どこまでも虫歯が増えつづけます。そんなループでしょう。

そこで、お母さんラクスの出番です。子どもには甘いものを食べるのを止めさせようと、お祖母ちゃんには甘いお菓子を与えるのを止めさせようと。そうして孤軍奮闘するのですが、大抵の場合、お母さんは嫌われます。お母さんがくれるのは、甘いお菓子ではなく、厳しい言葉ですから。

ただし、事は子どもの虫歯レベルの話ではなく、人の未来がかかっているわけで。甘えに浸る民が選ぶのは、甘えを認めてくれる議長の心地良い言葉か、はたまた、甘えを認めないラクスの厳しい言葉か。今後の展開の中で民自身の選択が示されることになるのでしょうが、はてさて、どうなることやら。


■静かな夜に

で、場面は、民を象徴する一人、ミーアのもとへ。葛藤するミーアは『静かな夜に』を詠っていますが、この歌、全力で今のミーアの反対路線を突っ走るもんだから、ミーアも「思い出が優しく」から先を歌えません。ラクスになれなかった自分。思い出せば思い出すほど、辛い、甘くない、優しくない。そんなミーアの心境をピンポイントにアピるもんだから、背筋ゾクゾクもんです。ほんと、歌の使い方がうまいねぇ。


■ミーア、葛藤

ラクスになりたかった、なれたと思った、けれど本物のラクスが現れた時、自分はラクスではいられなかった、議長もそんな自分に見切りをつけ、隠棲を命じた。

それでも、自分がラクスでないことを受け入れられないミーア。自分だってラクスを演じることができたんだ、ラクスでいられたんだ、あの人でなく、私が、私がやったんだもん、と。けれど、脳裏の片隅では、アスランの最期(とミーアが思っている)の言葉がフラッシュバックする。だが君だって、ずっとそんなことをしていられるわけないだろう、そうなれば、いずれ君だって殺される、と。事実、アスランは殺されたんだ、と(ミーアは思っている)。

それでも、それでもそれでも、現実を受け入れることができないミーア。そんなはずはない、そんなこと、絶対と。まさに「まさかそんなことにはなるまいという安易な思い込みが、とてつもない危機を生む」モードなのですが、今のミーアは、その現実を認められず。自分がラクスにはなれない現実も、危機が近づいている現実も、どちらも受け入れられず。そんな厳しい現実からは、目をそらした方が楽ですから。


■「ラクス様って、本当はそういう方ではありませんでしょう」「そうでないラクス様なんて、それは嘘ですわ」

厳しい現実と、甘い思いこみ。その間で揺れるミーアに対して、議長的な甘い言葉の罠を弄するグラサン女。民が望むラクスは、開戦以来ミーアが演じてきたラクスである。民から望まれないラクスは「嘘」であり、民の望むラクスの「役割」を演じてきたミーアこそが「本当のラクス」である。だからミーアは正しいのだ。

ラクスでいたい、ラクスでいつづけたい、ラクスでいられるはずだ。そんなミーアの欲(夢)を受け入れ、その夢(欲)は正しいのだ、皆もそれを望んでいるのだ、そう望まれるラクスの「役割」を演じることが正しい在り方なのだ、そう説くグラサン女。虫歯がズキズキ痛みだした虫歯っ子に、それでも甘いものを与えつづけます。そして、役割を果たすことこそが幸せなのだという議長のDP価値観をアピールしつつ、最後に「今はそうでなくては、皆、困るのですから」と突っこんできました。

優先すべきは、真か偽かではない。大切なのは、民が、そして議長が必要とするラクスという「役割」である。その「役割」を果たさないラクスは、真でも偽でもなく「嘘」なのだ。そんな「嘘」のラクスがいては、皆が困るのだ、と。先々週のレイの台詞が思い出されるところですが、議長サイドは、真か偽か以上に、与えられた「役割」を全うすることこそが大切なのだ、与えられた「役割」を全うすることで成り立つ世界こそが大切なのだ、という価値観なわけですね。

そんな世界の究極が「人が世界のために生きる」ことを強要するDPでしょう。世界を動かすための「役割」を果たすことが幸せなのだ、というわけです。そして、DPを実現するためには「そうでない=役割を全うしない」「嘘」のラクスがいては民も議長も「困るのですから」…殺っちゃいやしょうと。画面上で完全に示されてはいませんが、そうやってミーアを操り、ラクスに罠を仕掛けてきたんでしょうね。


■認識のズレ

民の望むラクス。ラクスはこういう人だ、こういう人に違いない、だからそんなことはしない、そんなことはしてはならない。そんなことをするラクスは、嘘だ。民の目から見たラクスの姿に、そういう民自身の願望&思いこみが入りこむことで、本当のラクス(実像)とは異なる民の望むラクス(虚像)が生まれ、一人歩きしてしまう。そうであってほしいという願望が、メガネのレンズ宜しく実像を、現実を歪めて見せてしまうというわけですね。まさに「誰もが崩れてく、願いを求めすぎて、自分が堕ちていく、場所を捜してる」な世界です。

誰もが自分の望む自分しか、自分の望む他人しか、自分の望む世界しか見ようとしない。だから、本当の自分と、本当の他人と、本当の世界と認識のズレが生じてしまう。第2クールあたりで自分解釈ばかりを発揮していたキャラクター描写がネタふりとなっているわけすが、この場合、認識のズレを生む原因は自分の願望&思いこみにあり、その願望&思いこみを生む原因は自分自身の甘えにあります。自分にしろ他人にしろ世界にしろ、そうあってほしいと願う形に思いこむ方が楽で、そうでない現実を見ることは辛いから。だから「そうであってほしい→そうなのだ」と思いこもうとしてしまい、そこから認識のズレが生まれる。

このくらいならまだ大丈夫なのですが、この「そうであってほしい→そうなのだ」という思考がさらに自己中心的になると、そこには「そうであってほしい→そうなのだ→そうでないものはおかしい→排除」という思考&行動ルーチンが生まれます。つまり、そうでないものこそが「現実」であるにもかかわらず、その「現実」を受け入れることを拒否し、自分が望む「仮想現実」のみを認めるようになるという。最悪の場合、確かにある「現実」を排除して「仮想現実」の方を具現化することさえ厭わなくなるんですよね。そうなると当然、訳もわからず排除される側にまわされた「現実」と、自分中心的な在り様を押しつけてくる側の「仮想現実」との間で、衝突が起こるわけで。そういうのは(・A・)イクナイ!そういう衝突を生む根っこにある自己中心的な甘えは(・A・)イクナイ!というのが、DESTINYのお話であり、DESTINY風の「戦争」描写であり。だからこそ、44話冒頭のラクスも、民の「悪いのは彼ら、世界。あなた(自分)ではない」という思考に対して問題提起しているのでしょう。


■デスティニープランの暗部

役割を演じることを逡巡しているミーアは調整し、役割を演じることを断固拒絶するラクスは淘汰する。ということで、与えられた「役割」を全うしない者を淘汰&調整するというDPの裏側面が牙をムキムキ。DPの暗部が見え隠れ。これまで「議長>旧主人公」だったパワーバランスでしたが、議長の正当性が落ちこむことで相対的に旧主人公サイドの正当性が高まり、均衡が取れてきたようで。これで、ユニウス7落とし&デストロイ暴走&レクイエム発射の真相が明らかとなれば、大義的には「議長<旧主人公」となるんじゃないっすかね。ミーア擁立やラクス襲撃の事実も、ラクスサイドの「相対的な」正当性アップにつながるでしょうし。

ただ、正当性のバランスは、あくまで「過去の行動」についてのものであり、それぞれの「主張」についてのものではなく。役割を全うすることと、想いに殉ずること、どちらの主張を是とするか。その選択自体とは、直接の相関はないんですよね。イデオロギーの是非、イデオロギーを具現化する手法の是非、イデオロギーを発信する者の是非、これらは全て別ものであり、論点の異なるお題ですから。


■「話してると、彼らの言うことは本当に正しく聞こえる」「だよね、それはわかる。実際正しいんだろうし」

そういう意味では、今回のエピソードから具体的に晒されはじめたDPの暗部は、役割&真実&依存&諦観な議長サイド、想い&真実&自立&意志な旧主人公サイド、どちらの「イデオロギー」が正しいかを決定づけるファクターではないんですよね。イデオロギーを実現するための「手法」における議長サイドの問題点、それを指摘するためのファクターといったところでしょう。ですから、この手法でなければ、DPを中心とした議長サイドのイデオロギー自体(役割&偽り&依存&諦観)も正しいとも言えるわけです。

システム全体を滑らかに運用するためには個人が「役割」をきちんとこなすことも大切、役割をきちんとこなすためには本物でなく「偽り」でもかまわない、役割をこなすためには個の部分を「委任=依存」することも必要、場合によってはそういった「妥協=諦観」にも意味がある。与えられた軍務をきっちり達成してきたシン、与えられた役割を全うしてプラントからの短絡的な応戦を抑えてきたミーア、彼&彼女らの行動は、そう評価できる面も示しているわけで。シンへの名誉のフェイス叙勲という形でも示されたように。

上のほうで「議長の正しさは、議長の言葉を受け入れる者にとっての正しさに依拠する」といったことを述べましたが、それ以外に、こういった面でも議長は「正しい」と言えるんですよね。そういう意味もあって、今回のキラとアスランの会話の中でも、議長もまた「正しい」ということが触れられているという。もちろん、それはあくまでイデオロギー的な正しさであって、イデオロギーを実現するための「手法」としての正しさではありませんが。


■イデオロギー面での問題提起、解の在り処

想い、真実、自立、意志、そこに拠って立つ旧主人公サイド。力&役割、偽り、依存、諦観、そこに拠って立つ議長サイド。迷いながらも不確定な未来に生きようとする旧主人公サイド、約束された安寧な今日を生きつづけようとする議長サイド。この二つは、イデオロギーに基づく行動やイデオロギーを具現化する手法を見れば、それぞれに「正しい行動」「間違った手法」はあれど、イデオロギーそのものについてはどちらも「正しい」と言える。

というのが、これまでの流れなのねん。だからこそ、前回後半のキラ&アスランの会話であり、今回キラが口にした「実際正しいんだろうし」なのですが、だとすると、それは同時に「ではどちらのイデオロギー(もしくはそれ以外)を選択すべきなの?」という問題が提起されたことを意味するわけで。

そうやって問題提起を整理した上で話を振り返ってみると、42話のラクス節&アスラン覚醒こそが、そんな問題提起に対する解を示しているという。つまり、なんであれ選ぶのは…あなただと。どちらを正しいと考えるか、どちらを選ぶか。それを選ぶのもまた、あなたなんだと。二つのイデオロギーが持つネガポジの可能性を示した上で、そっから先はテメーで考えろと。それぞれのイデオロギーのネガポジを知った上で、自分で考えることこそが大切なんだと。自分こそが、イデオロギーとしての解の在り処である。そんな投げっぱなしジャーマンなテーマ昇華なのねん。


■議長サイドの非

つまるところ、SEED-DESTINYはそういう内容&長編構成のお話かと思われ。そして、そういう意味では、どちらを選ぶにせよ、さらに別の道を選ぶにせよ、最も大切なのは、42話でレイが示した「議長は正しい」や今話でグラサン女が示した「役割を全うすることが幸せ」な価値観ではなく、42話でラクスが示した「なんであれ、選ぶのは」につづく言葉。自分。

たとえ自立していたとしても、その自立の元となるものが「閉ざした自分」であってはならない。役割を全うすることもまた、その道を自分で選択してこそ意味がある。自分の目線から世界を閉ざすな、本当の自分を、本当の他人を、本当の世界を知れ。世界を閉ざしてしまう自分自身と戦え。自立よりも、さらに一歩深めた、自律。それこそが必要なんだ。

というのが、因果のいきつく先でしょう。そして、議長サイドの非とは、甘い言葉と策を弄し、議長サイドのイデオロギー&イデオロギーを実現するための手法「だけ」を唯一絶対な「正しい道」であると説いてくる部分であり、そんな一元的な在り方を拒んで自律選択しようとする「強い国」「強い人間」を淘汰&調整してまで「正しい道」を民へと押しつける部分こそが、議長サイドが否定的に描かれる価値基準の在り処なんでしょうね。


■個人から全体へ

そうして、両サイドのネガポジ描写を前提に「どちらを選ぶのかを自分で決める=自律(≠自立)することが大切」という最重要価値観がラクスからアスラン個人へと届きつつも、議長の言葉の罠&DPの暗部によって民自身の自律選択が阻害されている状況が、今現在の種世界の趨勢ですから、逆説的に言えば、そういった状況からいかに民全体が脱するのか(もしくは没するのか)、いかにして民全体が自律選択を見せるのか(もしくは見せずに終わるのか)、が今後の見所になるのは確かでしょうね。

並んで、前作では真価が発揮されずじまいで終わった「言葉」や、主人公周辺でしか見られなかった「相互理解」が、いかに力を見せるのかもまた、同様に注目ポイントでしょう。前作ではクルーゼやパトリックに「言葉」を示しえなかったラクスが、躊躇いから立ち直った今、民に向かってどんな「言葉」をかけるのか。シンと同じ過去を持つアスランが、シンと別の角度からオーブ崩壊を見たカガリが、いかにシンと相互理解へと至るのか。そのあたりが、SEEDとDESTINYを合わせたゴールとして熱くなるところかと。

といったように、前作のような旧主人公周辺の覚醒だけでなく、民自身もまた「解」へと至れるか否かが焦点となるわけですが、だからこそ、民を象徴するシンもまた、三主人公制の一角を占めているのでしょう。前作で示されなかった民自身の選択を示す者がシンであるからこそ、今作の主人公はシンである、というわけですね。そして、シンと並んで民を象徴する存在として、ミーアがいるという。そして今、物語はミーアの選択編へ。そういう流れでしょ。

ちなみに、そう考えながら見てみると、示された二つの価値観に対し、そのどちらか、もしくはどちらとも異なる道を選ぶことを求められた視聴者もまた、主人公であるっぽいっのですが(こういうアニメって今まであったのかな?かなりオモシロイ試みだと思うのですが)、その上で勧善懲悪なエンタメエピソード面を見てみると、イメージとして「旧主人公サイドは正しい」「シンやミーアは愚か」といった描かれ方をしているのがなんとも…。誰の代弁者として位置づけられているのやら(謎


■ラクス&議長のポジショニング

そういう風にお話を見てみると、ラクスにしろ議長にしろ、黒幕とか白幕とか悪玉とか善玉とかいう以前に、民に対して選択を迫る問題提起ポジションの人なのねん。行動的には自律選択を阻害する立場にいる議長にしても、前作的正義へのアンチテーゼを示すことで前作的正義以外の「正しさ」をアピールし、選択そのものの幅を広げる側面もありますから。なんで、エンタメエピソード的な勧善懲悪面としては、DPの暗部によって議長は裁かれるでしょうけど、内実的な脱勧善懲悪面としては、議長もまた「正しい」位置にいるのですから、それを因果応報理論のプラス評価につなげてもらって、わずかでいいんで議長にも救いを描いてほしいっす。


■休息モード

情報収集の前にちょびっと休息モード。急に色気づいたエロおやじに笑いつつ、マリューさんの「なんかやっぱり、別人なんじゃない」にホノボノしつつ、ネオが「ずっと船の中じゃ、アンタだってきついだろう」と言いながらエクステンデッド3人組を回想するシーンに燃えつつ。

仮面かぶって冷徹に軍務をこなしながらも、その必要のない場面では、できうるかぎりネオ個人として3人組を思いやっていたのね。軍人モードなネオの罪が消えるわけではありませんが、こういった描写を見てしまうと、裁かれるにしても救いがほしいなぁ。というか、今がその救いパートのような。43話のハグでネオ物語終了ってのは救いエンドすぎる気がするんですよね。アカツキで迎えにいったときに「ムウさん」と呼ばれて微妙なりアクションしたり、自分と同じように「偽り」の「役割」を演じたミーアの死を見つめていたりで、ここがムウ=ネオ物語の最終起点になってもいいと思うんですけど。どんな形にしろ、軍人モードなネオへの裁きはほしいところです。

ショッピングについては、着せ替えラクスがエンタメモード。ダブルデートはダブルデートでも、キラ&ラクスペア、アスラン&メイリンペアではなく、キラ&アスランペア、ラクス&メイリンペアなのに爆笑。と同時に、重ね重ねアスランから女性扱いしてもらえないメイリンたんに涙。そりゃ、銃撃シーンでの「ほんとうに、いつもごめん」にも「いえ、はい、まぁ」としか言えん罠。さぞかし鈍感っぷりに呆れたことでしょうが、でも、メイリンたんもメイリンたんで女性としてのアスランラブな意志表示&アプローチはしていないんで、どっちもどっち。ラクスサイドにいるなら、アスランへの「意志」をきちんと「言葉」で語ってもらいたいところですが…。


■罠

議長たんのチェス盤が登場したところからもわかるように「なんか思いっきり罠」ですが、どこかでいずれちゃんとしなければならないことですから、これを機にとラクス出陣。罠だってわかって警戒していれば罠にかからないってもんじゃないだろ〜なツッコミ入れ放題なのはどうにかしてもらいたいところですが、接触する上で罠があるのは当然なんで、むしろ罠があるとわかっているほうが警戒しやすいというのは事実だったり。

だからといって警護しきれるなんて保障はありませんけど、これを逃しては接触&情報収集するチャンスがなくなってしまうのも事実だったり。というか、ショッピング前の準備で武装モードが描かれていますから、キラたちも事前に襲撃の可能性を考慮しているというか、バカンスだけが全目的ではなく、襲撃→情報収集チャンスゲットな囮モードも込みでフラフラしているという。このあたりの思いきりの良さは、いかにもラクス&キラという感じ。いろいろ考えて常識的に行動しようとするアスランも、素で「なんか思いっきり罠ですね」とぶっちゃけるメイリンも、いかにもアスラン、いかにもメイリンって感じ。けっこうツボ。


■アスラン!?

あ、そっか。ミーアはアスラン生存を知らんのね。この後にラクスの直球トークが炸裂しますが、憧れのアスランが再登場したことも、36話でアスランの手を振り払ってしまったことを後悔していたミーアにとって、一つのきっかけになっていたっぽいっす。それを受けるようにして、この後、銃撃シーンからミーアの死を号泣するシーンに至るまで、アスラン大活躍なのが熱いっす。

まぁ、そんな流れを受けてアスランメインで活躍させているのに、ミーアの被弾直前に「さぁ君も」とミーアに手をかざしたのがキラだったのには、激しく萎えましたけど。そこはアスランだろ、どう見ても。

でも、結局は、アスランがミーアを「守る」ことはかなわず。それでも、今のアスランなら、ミーアの復讐のためでなく、ミーアの想いを継いで「戦う」ことができそうなのねん。このあたり、真偽の対だったミーア→ラクスだけでなく、あまりにミーアと「似ている」者だったアスランエッジでも、ミーアの想いを継いで戦ってもらいたいところです。残り4話、これが活かされてきたらかなり嬉しいんですけどね。


■お手紙には助けてとありました、殺されると。なら、私と一緒に参りましょう

いかにもラクス。ど真ん中。そんなど真ん中ストレートを受けても、まだ「あれは私よ、私だわ!」と「ラクス」であることを捨てられないミーア。10話では「今いらっしゃらないラクスさんの代わりに、議長やみんなのためのお手伝いができれば、それだけで嬉しい」と思いながらも、ラクスを演じることの喜びに浸り、ラクスであることの自分に拘り、そうして作られたエゴの殻は、単発ストレートでは破れず。自分はラクスの「役割」を演じることはできた、ここで本物のラクスが消えれば、自分こそが本物のラクスとなれる。声も、顔も同じなんだもの。役割なら、私のほうが何倍も上手にこなせるんだもの、と。


■ラクス節

名がほしいのなら差し上げます、姿も。

でもそれでも、あなたと私は違う人間です。それは変わりませんわ。
私たちは誰も、自分以外の何にもなれないのです。

でも、だからあなたも私もいるのでしょう、ここに。
だから、出会えるんでしょう、人と、そして自分に。

あなたの夢はあなたのものでしょう?
それを歌ってください。自分のために。

夢を、人に使われてはいけません。


■ミーア、選択

ラクスを前にしても破れなかったミーアの殻。エゴイスティックに、自分がなりたかった自分にこだわるミーア。それでも、ラクスの「言葉」を受け、自律選択。議長サイドの人間に、初めて届いたWings-of Words。これがメラ熱かった。

役割を全うするのも構わない、偽りであるのも構わない、依存するのも、諦観するのも、それが自身の選択であるのならば、構わない。けれど、自分が自分であることだけは、どこまでいっても変わらない。どんな選択をするにせよ、自分以外の何者でもない存在としての選択を。どこまでいっても、選ぶのは自分自身なのだから。だから、人は生きているのだと。それこそが、人が生きるということなのだと。だから、人は、人と、そして自分に出会えるのだと。わかりあえるのだと。そうして、長い時の中、人は生きてきたのだと。

真偽テーマだけでなく、ほぼ全てのテーマにおいて(愛する者との別離をどう受けとめるかについては未決)、ここに完結。対象がミーア個人ではありますが、このラクス節、ミーアに限らず、善悪を議長に委ねて盲従しているレイに対しても、役割に囚われて自我を失いつつあるシン&ルナに対しても、自分本位に変革を進める議長に対しても、そして、フラガパパのクローンとして怨讐に生きたクルーゼに対してもアンチテーゼとなり、且つ許しにも、救いにもなる、そんなステキフレーズです。

なんで、42話のアスランへの語りと同様、個人レベルの変化(自律選択できた)として、事実上の最終回といっても差し支えないものでしょう。あなたはあなたでしょう、だからあなたは生きているんでしょう、自分が自分で在ること、自分の境界、他人にも自我が在ること、他人の境界、それを守って生きていきましょうね、そうすれば人はわかりあえるのだから、と。あとは、ここで奏でられた「真実の歌fromミーア・キャンベル」を、いかにして民に、そしてシンに届けるのか。クライマックス、近し!

それにしても、前作8話の「あなたが優しいのは、あなただからでしょう」といい、前作34話の「私はラクス・クラインですわ、キラ・ヤマト」といい、前作37話の「ザフトのアスラン・ザラ」といい、常に個人としての自立を説いてきたラクスですが、今回もかなり楽しませてもらいました。音楽的にも、ラクスの「名も姿もあげますよ」という「え?」な疑問感じまくりの台詞にグラサン女の狙撃照準あわせをかぶせ、疑念を感じさせるネガなバックミュージックを流しておいて、そこから「違う人間です」なラクス節に切り替わると同時に、一気にポジなバックミュージック化。これが上手かったっす。銃撃シーンの音楽も、同じように銃撃バトルだった1話のガンダム強奪シーンで使われていた燃え音楽を使っているもんで、熱かったっす。


■救い

他の誰でもない存在として、自分として、ミーア・キャンベルとして。自ら選択を下し、再び立ち返ることができたミーアの初めて取った行動は、身を挺してラクスを守ることだったという。このシーンが涙腺直撃。ひたすらつД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚です。それでも、ミーア・キャンベルによって奏でられた確かな「真実の歌」は、切なく、それでいて力強く響きわたり、わずかではあるものの、たしかな救いの光を感じさせてくれたという…


■真実の歌

私…私の…歌…命…どうか…忘れない…

もっと…ちゃんと…お会いしたかった…みんな…

ごめん…な…

残ったものは、たった一枚の写真とディスク。それでも、一人の少女が、ミーア・キャンベルが生きていた証が、そこに。議長の「ラクス」としてではなく、ミーア・キャンベルとしての、明るい、優しい笑顔。議長の「ラクス」として生きていた中でも、消すことのできなかった、偽ることのできなかった「ミーア」としての真実。

奏でられた「真実の歌」が無音に響く中、切なく『君が僕に似ている』が唱えられ、エンディングへ。そこにはたしかに、ラクスと同じポーズで佇むミーアの姿が。それを見て、もうもう…

つД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚


■君は僕に似ている in 46話

前回、前々回の「想いを共にする者たち」という側面での『君は僕に似ている』も良かったのですが、今回の「異なる立ち位置にいた者としての各々のシンクロ」という側面での『君は僕に似ている』もバリ良かった。

真偽の対であったラクスはもちろんのこと、議長の言葉に踊らされていた者同士なアスラン、想い/役割の対極にいたキラ、36話で自立選択できたか否かの対にいたメイリン、同じように偽りポジションにいた罪を清算しきっていないネオ。ミーアを核としての、それぞれの「似ている」関係。そんな共通項をベースに、一瞬ではあってもミーアと相互理解しあえた者たちが、ミーアの奏でた「真実の歌」を継ぐ。ラクスの、アスランの、キラの、メイリンの、ネオの胸の中で、ミーアは生きている、生きつづけているのだと。そう訴えかける『君は僕に似ている』がもう、もう…

つД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚

最高でした。ミーアの死は切ないですが、お話として大満足。自律選択した個人、その上で止揚していく多様性。もう大々満足です。


■メイリン←ルナマリア→ミーア

みんなと一緒にショッピング♪ショッピング♪ヤッホー♪ヤッホー♪なメイリンと、ひとり孤独に考えこんだ挙句に死んでいったミーア。この差が、36話で自立→44話で自律選択したメイリンと、最後の最後まで自律選択を拒みつづけたミーアの差、ってわけですね。自律選択したからこそ「人と」「出会え」たハッピーメイリンと、ギリギリまで自律選択を拒んで「人と」「出会え」なかったバッドミーア、って具合に。ショッピングネタ、囮モードな情報収集のフリにもなりつつ、メイリン⇔ミーアの対比描写にもなりつつ。

これが( ゚Д゚)ウマーなんですが、今のところ、ルナも自律選択できていなかったり。ルナの場合、議長サイドの誘導によって多少なりとも情報制限されていますから、仕方ないといえば仕方ないのですが、偽ラクス擁立や本物ラクス襲撃を知っているところから、多少なりとも自律選択しうる余地はあるわけで。順当に行けばメイリンとの再会イベントがあるはずですが、それがルナにとっての自律選択のチャンスということになりそう。第2クールでのミーアとの不毛なラブバトル→偽ラクス発覚。そのあたりがルナ→ミーアのネタふりになりつつ、再会イベントでのメイリンの「言葉」や偽ラクス=ミーアの死をどう受けとめるかが、ルナのラストを左右するっぽいっす。どうなるんかなぁ。



そんな感じで46話の感想終了。っつか、34話の壊れシンでも感じましたが、声優さんって凄いやね。田中理恵さん、ラクスとミーアを完全に演じわけていますよ。前作の桑島女史もそうですが、もう凄すぎるっす。ステキすぎるっす。役割を演じるのもいいもんだ、とか思いながら、次週は「役割」をポジティブに受け入れていたスタートラインの頃のミーアから掘り下げてくれそう。主人公/ヒロイン待遇の名前タイトルだということもあり、かなり期待できそうです。そこで、議長サイドの「役割」「偽り」「依存」「諦観」も自律して受け入れればいいんだよ、みたいにまとめてくれれば嬉しいところですが、はてさて。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第47話 〜 ミーアの日記 全文転載 〜

■ミーアの日記(前半)

▼10月11日。今日やっと包帯がとれた。なんだか不思議な感じ。鏡を見たら、そこには本当にラクス・クラインの顔が映ってた。不思議…不思議…。だってこれはもう、どこからどう見たってラクス・クラインだわ。大ファンのアタシが言うんだもの、間違いないその代行、身代わりなんて仕事、本当に大変だろうけど、アタシ、がんばる!絶対バッチリやってみせるんだから!

▼声は大丈夫、もともと似てるって言われてたんだし。問題は、しゃべり方とか仕草よね…。ラクス様は、歌われる他はほとんどメディアに出ないから、ふだんがまったくわからない。演説の時みたいに、いつも凛々しいのかな。うぅん、そうんなことないよねぇ、ラクス様だって女の子なんだし。化粧品とかどこの使ってるんだろう。できればそこまでちゃんと調べておいてほしいんだけどな。

▼お仕事は、ほんとにある日突然やってきて、夢だったデビューとはちょっと違ったけど、でも考えてみれば、これってそれよりスゴイことよね。アタシ、ラクス様みたいになりたいって、ずっと思ってたんだし。ほんとにアタシなんかにできんのかなって、心配は心配だけど、でもずっとここで夢見てるよりいいじゃない。先のことなんてわかんないんだもの、なんでもまずはやってみなくっちゃね。よし、がんばるぞ。ラクス様のお仕事は、まずは歌うこと。じゃなくて、プラントや世界の平和ためにいろいろな活動すること。大変なんだろうなとは思っていたけど、やっぱり大変。

▼昨日、ついにギルバート・デュランダル最高評議会議長(ワ〜ォ♪)に呼ばれて、少しお話を聞いたけど、なんだか、地球にユニウス7が落ちちゃったとかで大変なんだって。本物のラクス様は今、プラントにいらっしゃらないと言うし、もしかして、マジアタシの出番なわけ?こんなに早く?うわぁ〜だったらどうしよう!?

▼今日は今日はもう大変♪やっぱりいよいよ、やんなきゃなんなかったし、アスランよ、アスラン!アスラン・ザラ!議長はそのうち会えるよって言ってたけど、すんご〜い♪本当に会えるなんて♪やっぱり、まじめそうでかっこよくて、ステキな人〜戦争のせいか、今日はずっとブスッとしてたけど、でもお父さんを裏切っても、ラクス様のとこへ行っちゃった人だもんね〜ラクス様にはやさしくて、ラブラブなんだろうな〜♪くぅ〜、ミーアも仲良くなりた〜い♪

▼お仕事の方は本格的に始まって、ちょっと緊張。大変〜。戦争の中でお仕事するのって本当は大変なのね。でも、みんな本当にラクス様のことが大好きなのね。すっごく大事にしてくれる。アタシ、嘘だから、ちょっと気が引けるけど、でも、みんなを励ましたいって気持ちは嘘じゃない。がんばらなくっちゃ。ラクス様のように。ラクス様のように。アタシの声も、みんなに届きますように。早く戦争が終わるように、みんな、がんばろうね!

▼アスランと会うのも久しぶり〜♪ちょうどミネルバが入港してラァッキー♪でも、アスランってけっこう照れ屋さんでおかしい婚約者なんだから、もうちょっとそれらしくてもいいんだけどなやぁっぱラクス様一筋なのね。でも、こんな人とマジラブラブだったらいいよね〜♪

▼慰問のコンサートは、どこへ行ってもすごい人。地球の人もみんな待っててくれて、声かけてくれて、ほんとにうれしい。アタシ用のピンクのザク、はじめて見たときはもう感動しちゃったよ〜。アタシももっと、がんばらなくちゃ!


■ミーアの日記(後半)

▼でも、戦争はなかなか終わらないし、けっこう大変よね〜。議長の言ってることは正しいんだからみんなちゃんとそれを聞けばいいのに

▼連合のやってること、たしかにちょっとひどすぎ。アタシだって許せないと思う。今のアタシの言葉は、ラクス・クラインの言葉。本当にこれで世界が変わるなら…あぁ…どうか変わって。みんな、どうかアタシの声を聞いて

▼このごろはつくづく思う。この仕事ってほんとにスゴイ。ただ歌うのとは違う。議長とアタシの言葉で、世界がどんどん動いてく。まぁみんな、ラクス様が言ってるんだと思って聞いてるんだろうけど。でも、今言ってるのはアタシ、原稿書いてるのはアタシじゃないけど、でも、アタシも本当にそう思うから。今いるのはアタシ。だからこれはアタシの言葉。で、いいのよね?

▼でも、なんで?なんでこんなことになるの?アスランっておかしい…。 (確かに俺は、彼の言うとおりの戦う人形になんかはなれない) なんでなの!?だって、議長の言うことは正しいのよ!?なのになんで、こんなことするの!? (略〜そうなれば、いずれ君だって殺される。だから一緒に!) そんなことない!…ぁ、ぅん、もしかしたらそうなのかもしれないけど、でも、絶対そんなことない! (アタシは、アタシはラクスよ!アタシはラクス!ラクスなの!ラクスがいい!

ラクス・クラインって…ラクス・クラインって…本当はなんだったんだろう。誰のことだった?アタシ!?議長は大丈夫って言ってた。アタシが、世界を救ったって。そうだよね、アタシがやった、だからアタシは、アタシが…!

▼(アタシ…アタシの歌…命…どうか…忘れない…)




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第47話 〜 ミーア 〜

人の愚かさ。無知と欲望。前半部分のミーアの日記で愚かさの実態を描いておいて、後半部分の議長の語りへと収束。起承転結、見事にそろった構成が( ゚Д゚)ウマーな47話です。第2クールの焼き直しみたいなもんですね。ちなみに、ドムパイロットもAAに搭乗しているらしいです。なら、姿だけでも出陣式に出してやればよかったのに。


■ミーアの日記から抜粋〜その1〜

▼ミーアの目から見た他人の姿、世界の姿

その代行、身代わりなんて仕事、本当に大変だろうけど
演説の時みたいに、いつも凛々しいのかな。うぅん、そんなことないよねぇ、ラクス様だって女の子なんだし
ラクス様のお仕事は、まずは歌うこと
大変なんだろうなとは思っていたけど
地球にユニウス7が落ちちゃったとかで大変なんだって
まじめそうでかっこよくて、ステキな人〜
戦争のせいか、今日はずっとブスッとして
お父さんを裏切っても、ラクス様のとこへ行っちゃった人だもんね〜
ラクス様にはやさしくて、ラブラブなんだろうな〜
ラクス様のように。ラクス様のように
アスランってけっこう照れ屋さんで(おかしい)
婚約者なんだから、もうちょっとそれらしくてもいいんだけどな。やぁっぱラクス様一筋なのね
議長の言ってることは正しいんだから、(みんなちゃんとそれを聞けばいいのに)
・(そんなことない!…ぁ、ぅん、)もしかしたらそうなのかもしれないけど、(でも、絶対そんなことない!)


■ミーアの日記から抜粋〜その2〜

▼ミーアの目から見える世界だけがスタンダード、それ以外は異常。という傲慢さ

大ファンのアタシが言うんだもの、間違いない
・(アスランってけっこう照れ屋さんで)おかしい
・(議長の言ってることは正しいんだから、)みんなちゃんとそれを聞けばいいのに
みんな、どうかアタシの声を聞いて
アスランっておかしい…
・(議長の言うことは正しいのよ、)なのになんで、こんなことするの
そんなことない!(…ぁ、ぅん、もしかしたらそうなのかもしれないけど、でも、)絶対そんなことない!
アタシは、アタシはラクスよ!アタシはラクス!ラクスなの!ラクスがいい!


■ミーアの日記から抜粋〜その3〜

▼自分の目から見える世界と、確かな現実としてそこに在る世界。その混濁

まぁみんな、ラクス様が言ってるんだと思って聞いてるんだろうけど。でも、今言ってるのはアタシ、原稿書いてるのはアタシじゃないけど、でも、アタシも本当にそう思うから。今いるのはアタシ。だからこれはアタシの言葉。で、いいのよね?
ラクス・クラインって…ラクス・クラインって…本当はなんだったんだろう。誰のことだった?アタシ!?議長は大丈夫って言ってた。アタシが、世界を救ったって。そうだよね、アタシがやった、だからアタシは、アタシが…!


■種のキャラクター描写

ざっくり区分けしただけなんで、上の箇条書きにも「その表現はその区分じゃないだろ」な箇所はあると思いますが、所詮は「ざっくり」ですから、大枠を見ていただければ。概容としてはこんなものかと。

要するに、47話のメインは、ミーアの心境を、ミーアという人間のドラマを伝えることではなかった、ということでしょうね。これは47話に限った話ではなく、種全体の人間描写に言えることですが、種の人間描写は、泥臭く生々しい葛藤や人間らしい感情の機微をそれほど盛りこまず、人間らしい感情や行動原理を度外視してまでも与えられた役割を優先させる、もろにロールプレイングな描写手法でしょう。

人間描写というよりキャラクター描写、記号描写といった方が適切かもしれませんが、寓話として成立させるために人間性が削られているという。どこぞのメロスや亀が休憩も取らずに走りつづけたようなもんですね。で、今回のミーアの描写を見ても、まぁ見事にそのまんま。ラクスという役割、ミーアという存在。その狭間で葛藤しはじめた36話以降の回想描写は、11分ほどある回想全体の中で、わずか3分に満たない程度。ミーアというキャラクターの人間性を掘り下げる気なんて、さらさらないでしょ、これ。


■世界の中心で天を動かす獣

なら何をメインに描いているのさ?と見てみると、ざっくり分けて三要素。一つは、ミーアの目から見た他人の姿、世界の姿。一つは、ミーアの目から見える世界だけがスタンダード、それ以外は異常、という傲慢さ。一つは、自分の目から見える世界と、確かな現実としてそこに在る世界の混濁。

ミーアの目からはこう見える、けれど、実際とは微妙に違う。最初はその繰り返し。ミーア自身は違いに気づきはしないものの、自分の目から見えるものこそが正しいと決めつけるような言葉は特になし。けれど、音楽が変わったあたりから、自分こそが正しい、自分の価値基準こそが絶対、という言葉が増えていく。自分は正しい、皆それに従えばいい、従わないものは「おかしい」のだ、という具合に。

そうして、自分の目から見える自分だけの世界と、自分以外の人間も生きている現実の世界が混濁してしまい、最後には、二つの世界の区別がつかなくなる。自分だけが生きている世界、自分以外の人間も生きている世界。その区分けができなくなり、自分だけが生きている世界を、自分以外の人間も生きている世界へと押しつける。

というのが、47話のメインの内容かと。自分だけの仮想現実と、皆が生きている絶対現実。その境目を乗りこえて、仮想現実を絶対現実へと押しつけるから、争いが起こるんだよね〜、といった内容でしょ。で、そんな仮想現実と絶対現実の混濁について、キラは「ラクスはこうだからって、決められるのは困る。そうじゃないラクスはいらないとか…。そんな世界は傲慢だよ」と語り、議長はそれこそが「いつになっても克服できない我ら自身の無知と欲望」の正体だとして告発する、という構成ですね。


■クルーゼという問題提起

なんというか、この仮想現実と絶対現実の混濁こそが、クルーゼが説いた「正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、引かず!」「知らぬさ!所詮人は己の知ることしか知らぬ!」という「人の業」でしょう。こうして見ると、DESITINYという物語は、クルーゼという文脈に対して真正面から向き合ったお話だったこと痛感させられます。

前作では、クルーゼの「人は己の知ることしか知らぬ!」という主張に対し、それでも「守りたい世界がある」「生きる方が戦いだ」と叫び、生きることへの渇望をもって「血の道」である生を肯定したキラたち旧主人公サイド。ですが、それはあくまで感情を振りかざしただけにすぎず、理性的な言葉による反論はできないまま、物語は終わりました。

そして今作。すべての登場人物が「己の知ることしか知らぬ」ままに生き、キラたちもまた、己が信ずる「正義」を振りかざして戦場を混乱させ、多くの犠牲者を出すことに。その報いとして、混乱した戦場から生まれたシンという「もう一つの正義」によって断罪された、というのが第3クールまでの顛末でしょう。


■クルーゼへの解

この時点では、誰一人として「正しい」存在がいなかったわけですが、その後の覚醒エピソードを経て、誰にも絶対的な正義などないことを踏まえた上で、なにが正しいかを自律して選ぶことが大切なんだよ、という地点に着地。互いの「正義」を、互いの「存在」を、ありのままに認めあうことこそが必要なんだよね、といったところでしょう。

が、このままだと単なるトートロジー。それが容易にできないからこそ、クルーゼは破滅を願ったのですから、ここで示すべきは「どうすれば互いを認めあうことができるのか」という具体的な方法論になるわけで。まぁ、これまでの話を汲めば、前作で力を持ちえなかった「言葉」こそが、相互受容を導く鍵になるんでしょうけどね。

ボンヤリ感じるところでは、種の相互理解は、同じ知識や経験を抱くことで到達しうる境地ですから、言葉を用いて互いの知識と経験を共有しましょうね、といったオチになるんじゃないかなぁと。そうした言葉による相互理解によって、クルーゼの説いた「正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、引かず!」「知らぬさ!所詮人は己の知ることしか知らぬ!」という主張に対し、アンチテーゼを示すんじゃないかと超予想中。


■技術の力、人の想い

正直、これまで議長は一貫して「自分ではなく他人が悪いんだ、世界が悪いんだ」「だから仕方ないことなんだ」と呼びかけてきましたから、ここで議長の口から「自分が悪いぜ!」とズバリ語られたのにはやられまくり。ここに持ってくるためのタメだったのね〜。ミスリード上手し!って感じです。

こうなると、42話で「悪いのは彼ら、世界。あなたではないのだという言葉の罠に、どうか陥らないでください」と提言したラクスと、今回「我ら自身の無知と欲望」を抑えようと提言した議長とでは、ほぼ同地点に到達。異なるのは、自分自身の間違いをどう克服すればいいのか、という「How」の部分でしょう。

で、議長サイドはデスティニープランという「技術の」による他制を推し、ラクスサイドは「どうか陥らないでください」という言葉どおり「人の想い」による自制を推す、と。これも例によって例のごとく、制作サイドからの「議長サイドの力重視、ラクスサイドの想い重視、どちらか一方が正しいのではない、どちらを選ぶかは視聴者が自分で考えましょうぜ」な問いかけなんでしょうが、はてさて。


■個人的には

どっちもどっちやね。規則やシステムなどを絶対規範として集団を管理するスタンスも、理念や目的意識などを共有することで集団を活性化させるスタンスも、どちらも大切なアプローチ法。好みとしては目的意識を共有するスタンスを押したいところですが、かといって、なんの規範もない状態でバラバラに動いても、統率も責任もあったもんじゃなく。あくまで戦争を知らない一日本人としての、特に仕事面での考え方ですけど、まぁ順当に「想いだけでも力だけでも」ってやつです。あ〜でも、大学時代にエリート主導の管理社会について考えていた記憶もあったりなかったり。


■白の女王、始動

今回の『君は僕に似ている』は、ここ数話で「同士」を強調してきたのに対し、もろに「反目」しあう関係を歌ってきました。ラクス再襲撃&ミーアの死によって、デスティニープランの暗部(役割を全うしないものは淘汰&調整)が明らかとなり、ラクス、議長にマジギレしています。悲壮な表情というのは何度か描かれましたが、怒りのラクスって今まであったかなぁ。

とはいえ、暗部が明らかとなりつつも、それが公にされないまま、デスティニープランは本格導入へと加速していく一方。デスティニープラン「だけ」が唯一無二の施策として、民へと示されつづけます。この調子だと、デスティニープランの導入を拒否しようもんなら、ロゴスの残党呼ばわりされた挙句、残ったレクイエムが「正義の鉄槌」を下しそうですな。そうすりゃ、悪を正義が討ったことにできるしね。一気に最終バトルの雰囲気全開です。


■ギルバート…

キタ━(゚∀゚)━ッ!! デュランダルでもなく、議長でもなく、ギルバートというファーストネーム。タリア&議長物語、本格始動の予感。物語は最終局面を迎えますが、タリアたんはどう動くんかねぇ。決断をせまられる局面で、8話でマリューさんが語りかけた「先のことはわからない」「今をもって信じたことをするしかないですから」「後で間違いだとわかったら、その時はその時で泣いて怒って、そしたらまた、次を探します」なんかが回想されたら燃え燃えなんですが。


■未消化伏線

前回の感想で「個人レベルの解は既に提示済み」といったことを書いたのですが、今回の話を見て、あらためて実感。あとは民全体の解をどう示してくるか。それが大きな見どころであって、それをシンの覚醒/闇化と絡めて描いてくるのが、残り3話のメイントピックになるんでしょうけど、そんなメイントピックとは別に、準メインの未消化伏線もいくつか。

ざっくり挙げると、ホーク姉妹、ギル&タリア、人造人間の悲哀、アスラン&カガリ、PP隊長としてのネオの罪清算、あたりかな。メイントピックに絡むあたりでは、ラクスの「言葉」発動やカガリの為政者モード、ラクスVS議長、なんかも必須事項でしょう。ミーアの真実もどこかで絡めてほしいっす。

残り3話、90分か…。粗筋として進めにゃならん部分もありますから、一シーンに複数のネタを盛りこむ構成にしないと、全部には手が回りきらんだろうねぇ。まぁ、個人的にはメインである「民全体&シンの選択」をきっちり描いた上で、残りの時間で準メイン要素を五つ六つも消化してもらえれば満足かな。というか、アスランとミーアの選択=個人レベルの解提示を描いてくれた時点で、7割がた満足している自分もいるんですけどね。そういう意味では、民を象徴するシンが選択→民全体は迷いながら考え中、みたいな得意の投げっ放しENDでもいいかも。


■20話と47話

47話を見て感じたイメージは、20話の「PAST」にかなり近いかなぁ。あれも、シンというキャラクターの心境を伝えることがメインだったのではなく、背景に前作の映像を流しながら、シンに自分の目線「だけ」から前大戦を語らせ、そんな自分の目から見える戦争観「だけ」を絶対視するシンの姿を描くことで、自分の目から見える世界こそが絶対だと盲信する人の愚かさを示すことが主な目的だったようですから。心情描写メインにしては、アカデミー時代の掘り下げが皆無ですしね。

で、シンは自分の目から見える世界こそが絶対だと盲信してしまい、たった一つだけシンに語りかけられた他人の言葉、トダカさんの「君だけでも、助かってよかった。きっとご家族は、そう思ってらっしゃるよ」には耳を貸さない、貸せない。赤一色に染りつつある内面世界に落とされた、穏やかな白の一滴。そこには目を向けず、完全なる赤へと変貌を遂げ、怒れる瞳を世界へと向ける。それこそが、それ「だけ」が、大切な全てを守り、世界を平和へと導く「唯一の」方法だと信じて…。

といった感じで、メインで描こうとしたものは同じじゃないっすかね。20話と47話。そんな具合に「人の愚かさ」を垣間見つつ、現実と幻想、その狭間でせいいっぱい生き、そして死んでいったミーアの「真実」が感じられて、ぶっちゃけボロ泣き。演出としては先週の方が細やかな手法が使い分けられていて楽しめたのですが、今週分で「陰」が示されたからこそ先週の「光」が際立ち、先週分の「光」が示されたからこそ今週の「陰」が際立って、そんなコントラストの妙が涙腺直撃。20話の時もそうだったのねん。ただ、世間一般では両話ともに「中身のない総集編」という扱いで叩かれているようで。どうなんかね〜。


■ミーアにとっての第1〜2クール

それと、47話を見ていて強烈に感じたのは、アスランにとっての女難パートだったミーア絡みのネタは、ミーアにとっての因果応報的なご褒美パートだったぽい気配。ラクスの代わりに平和に尽くす、というミーアの初心に偽りはなく、第1〜2クールでは、悪行三昧な連合への報復を阻止し、泥沼の殲滅戦を回避させる働きをしていたのも事実。そのご褒美が、因果応報理論的に「らぶりーアスランとの擬似恋愛」というご褒美パートとして与えられていたようです。女難ネタ、ルナの議長サイド伏線やら、メイリンの姉妹コンプレックスやら、ミーアのご褒美パートやら、いろいろ意味あったのね〜。



そんなこんなで47話感想+αを終了。他所の感想サイトをいくつかまわって見ていると、今回の話のどこをどう見て感想を書いているか、まさに十人十色。その人の感想書きとしてのスタンスがよくわかるんですよね。あと、話のどこを中心に見ているのかも。ある意味、感想書きにとっての鏡みたいな一話です。まぁでも、そんなことをボケボケ考えていられるのも今回までかな? 残り3話、末脚一気に差しこまれそうなのねん。

どうでもいいけど、自分で書いた「仮想現実」って表現、どこぞの○学会が連想できてイヤだなぁ。スタンス真反対なのに。あと、さらにどうでもいいのですが、次回タイトルの「新世界へ」って聞くと「通天閣?」とか「風俗?」とか連想してしまうんですけど。今夜は豪遊だぜ!みたいな。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第48話 〜 新世界へ 〜

ユニウス7テロ、ブルコス&ロゴス、正義をかざして暴走したシン&キラ、アスラン。次々と映し出される人の無知と欲望。そんな人の弱さを抑制するため、デスティニープランの導入へ。一概には否定できない議長サイドの正義を描いてきた、あまりに切ない一話です。13話でのシンの種ブレイク並みに切ないです。でも、内容的に価値観の再シャッフル一本に絞られていたので、感想の量はいつもより少なめ。というか、前回視聴後に期待していた伏線処理は、レイネタ以外はほとんど進まず。かなりヤヴァ気なんですけど…。


■ガイド放送

聞く者を誘導しようとするオーラ全開のDPガイド。美点ばかりを誇示し、問題点は公表しない。悪者ジブリールを排除し、正義の議長が評価される。そんな権威主義にまみれた誘導トークに、DP「だけ」を強引に押しつけようとする議長の「傲慢」さが垣間見え、そういうのは(・A・)イクナイ!とアピっているのですが、ただし、内容的には、たしかにDPの良さを簡潔に表現しているんですよね(あくまでフィクション世界の虚構としてですよ)。

自らの先天的資質を知り、その資質に見あった役割を知り、個々人がその役割を果たすことで、人類全体への利と為す。人が己の資質に見あった役割を果たし、歯車として機能さえすれば、システムは円滑に運用され、世界は調和を見る。そこに争いはない。世界は生きる。穏やかに、乱れのない、永遠の今日を。

基盤となる設定についての虚構はともかく、目指す方向性としては、そういう生き方にも確かに一理あるわけで。細かい故障は「調整」し、それでも治らなければ壊れた歯車を「淘汰」し、新しい歯車に交換する。そういった暗部とセットでありつつも暗部を明示しない、反対する者を力によって排除していく。そうした提示&導入&実行段階での傲慢さは問題なのですが、DPの内容そのものは、一つの正義で【も】あるという。そんな一つの正義が、終わらない明日を求めて生きようとする人と、もう一つの正義と、戦う。どちらが正しいとも、どちらが間違っているとも、一概には割りきれない話です。


■そのパイロットに選ばれたのは、お前なんだ

「議長の目指す、誰もが幸福に生きられる世界、そしてもう二度と戦争など起きない世界、それを作り上げ守っていくのが俺たちの仕事だ。そのための力だろう、デスティニーは。そして、そのパイロットに選ばれたのは、お前なんだ。議長がお前を選んだのは、お前が誰よりも強く、誰よりもその世界を望んだ者だからだ。」

そう語りかけ、シンの役割はそこに在る、だから戦えと、考えるなと、議長サイドの役割重視な思考依存モードを説くレイ君。毎度毎度の誘導トークが、いかにも議長的。いきなりのDP提示に惑うシンには、そんな誘導トークも即効果発揮とはいきませんが、そこでステラの死を口上に、シンの「守れなかった過去」というトラウマを掻き毟り、力&役割へとシンを呪縛、調整。そうして議長的傲慢さをアピールしてしまうレイの語りが、レクイエムによるアルザッヘル滅殺と併せて、ここ数話と同様に「自律選択を許さない議長サイドの傲慢さは問題ですよ〜」な勧善懲悪の香りを放っています。


■でなければ、救われない → であったから、救われた?

ですが、DPの内容的な正当性が提示されたことと同じで(ベースとなる設定は虚構ですが)、こちらでも、単に議長サイドの傲慢さだけが示されたのではなく、その裏に秘められたレイにとっての正義が、議長サイドの正当性が、タメにタメられた「こういう正義もあるよ〜」という一側面が描かれたという。

クローンとして、生まれながらに与えられたFATE。今日という現実、明日という夢。そのどちらでも、生きることを許されなかった命。変わらなかった、変われなかった、だから、救われなかった…

おそらくですが、そんなレイの命を、魂を救ったのが、議長なんでしょうね。以前、感想に「レイを通じてクルーゼへの救いを描いてほしいなぁ」と書いたことがありましたが、今回の話を見るかぎりでは、既に議長がレイを救っていた気配です。どの道、明日はない、ならば、せめて今日という現実だけでも、と。これもおそらくですが、ラクスと同じように、あなたはあなた、レイはレイ、アル・ダ・フラガのクローンとしてではなく、レイ・ザ・バレルとして、今日を生きて良いのだ、と。

絵を見るかぎり、クルーゼが同じような試験体であったレイを連れ出し、(ある意味で)信頼している友人であるデュランダルに託したように見えますが、レイも明日なき今となって、自分亡き後の「今日を生きる世界」の維持を、クルーゼがレイをデュランダルに託したことと重ねるように、レイはシンへと託しているような。心の底から信頼しあえる友ではない、けれど、背中を、遺志を託すことのできる、たった一人の戦友として…


■もう一つの正義

そんな具合に妄想中ですが、ま、確定するのは次回でしょう。

けれど、今ままでわかっているところだけでも、5話の「お前が言ったことも正しい」や35話での「なにが敵であるかそうでないかなど、陣営によって違います、人によっても違う、相対的なものです、ご存知でしょう、そこに絶対はない」などから、レイが「全ての正義は相対的なものである」ということを認識しているのは確か。

それでも、42話の「議長は正しい、俺はそれでいい」や今回の「正しいのは、彼(議長)なんだからな」といった正義を掲げるあたり、自分を救ってくれた議長に尽くし、議長の望む世界を実現すること、自分と同じ「今日を生きる世界」を作ることが、レイにとっての選択であり、正義であり、DESTINYなんじゃないかなぁ。

その選択や正義を他人にも押しつける傲慢さは問題ですけど、DPの内容面での正当性(あくまで虚構設定上ですが)や、レイの掲げるAAとは異なるもう一つの正義を見るに、二者択一な勧善懲悪でザックリバッサリというわけには行かなくなってきたのねん。最終決戦ということでキャラも何人かは死ぬことになるでしょうし、エンタメアニメとしてだけ見ているとしんどくなりそうじゃのう。自分正義を押しつける傲慢さは断罪しつつも、自分正義そのものには救いを持たせる。そのあたりのバランス処理を、描く側はもちろんのこと、見ている側もきちんと追いかけないと、かな〜りストレスたまりそうです。


■人としての精神への侵害/全ての命は未来を得るために戦うもの

で、そんな議長やレイの正義に対して、もう一方の正義であるカガリ&ラクスから問題提起の声。フラワーアレンジメントやドライフラワーのように「今」であることを固定されてしまっては、野に咲く花のように「明日」を生きることはできない。そこに「生」はないのだ、と。

とはいえ、それも正義の一つなのですが、そこで重ねられたレイの姿が「未来を望むことが最初から否定されている者はどうしたらいい?」と全力でアンチテーゼ。もちろん、わずかに残った「未来」に生きることも可能だけれど、レイからすれば、そんな綺麗ごとは自分の苦しみを知らない「無知」からくる「傲慢さ」以外の何物でもなく。今回の話は、ここまでレイ目線で見進めてきたもんだから、ラクス&AA&オーブ的正義の正しい側面だけでなく、それ以上に間違っている側面が強く感じられ、さらに価値観がシャッフルされまくり。イイヨイイヨ〜♪


■俺は…クローンだからな

そうして善悪価値観が再度シャッフルされた末に、クルーゼと同じ発作を起こし、薬を服用して命を永らえさせるレイ。シンの「それじゃドラマの死んでくオヤジみたいだぞ、やめろよ」という軽口に、思いつめるようにして「テロメアが短いんだ」とこぼし、シンの目を見据えて「俺は…クローンだからな」と告白。そこに重なるレクイエムの緑光。

示される人の業。奪われた明日。いくら綺麗に花が咲いても、人はまた吹き飛ばす。ならば、今だけでいい。今日だけでいい。穏やかな今日を作るために、今日を乱す昨日を討つ。穏やかな今日を作るために、今日より不安定な明日を拒む。今日を守ることこそが、正義だと信じて、今日以外の、全てを撃つ。それもまた、人の業だと知りながら…

そんなレイの姿に、もう一つの正義の在り方に、8話のラストと12話のシン種割れが全力でオーバーラップされ、もう、もう…

つД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚


■集結!

そうした議長サイドの正義が示される一方で、ラクスサイドも戦力を集結。前作では三隻だった。けれど、今はオーブという支えがある、ファクトリーの援護もある、ドム3人組に代表される同士もいる。

S自由やI正義、暁といった個々のスーパーMSだけでなく、艦隊規模の同士も参戦するあたり、個人レベルの覚醒にとどまった前作ラスト→民全体への覚醒を求める今作ラストという進捗が感じられ、これがバリ熱かった。と同時に、さらなる賛同を期して動くカガリも在り。ここでのカガリの動きが、終盤、どう意味を持ってくることやら。かなり楽しみっす。


■デスティニープランの導入、実行に向けて

地道に防衛→ミネルバを中心に戦力強化→ロゴス公表→ロゴスが極悪っぷりを発揮→極悪ロゴスを倒す→正義の味方ポジション&レクイエム獲得→DPを宣言する→反対勢力が現れる→正義の名の下に反対勢力にはロゴスのレッテルべたり→レクイエムで殲滅→個別勢力にはミネルバ他で対応→反対勢力根絶→デスティニープランの導入&実行。

これまでのロゴス討伐によって「議長は信用あります」から、その権威を利用して「我は正義、逆らう者はロゴス(悪)、平和を愛する人類の敵」というレッテルぺたりんこ。一日にしてDPを導入&実行するために、ロゴス討伐で名を上げ、レクイエムを解体しないまま保持し、ミネルバ組をはじめとする「力」を揃えて、反対勢力根絶に向けて準備を重ねていたという。

チェス盤とセットになっているところからして、ここに至る経緯はまさに予定通り。いろいろな意味で、まさに「ありがとう、ジブリール」です。デスティニープランの導入&実現に向けて、反対勢力登場→根絶までを狙い、計画を練っていたわけで、実に用意周到。ラクス襲撃やAA&エターナル撃墜、アスラン追討、オーブ壊国に失敗し、反対勢力の核となりうる者たちを残してしまったことが響いていますが、それはあくまで結果論。マキャベリズムな一日改革を為すために、よくまぁここまで計算してきたもんだわさ。


■君は僕に似ている in48話

そうして48話はEDへと、そこで描かれたシンとレイの関係は、議長とクルーゼの関係に「似ている」という。集った多数の同志は、AA&エターナルメンバーと「似ている」という。議長&レイサイドも、ラクス&AAサイドも、互いに「望んだ世界を、守る」ために戦う「似ている者同士」だという。みんなの夢は同じ。それを知らないまま、最終決戦へ。そこで開かれる運命の扉は!?



そんなこんなで48話感想終了。こうして見ると、レイの過去や議長との関係が隠されてきたのは、この終盤でレイにとっての正義を示し、勧善懲悪モードを中和→脱勧善懲悪モードへと移行するためのタメだったのね。こういう長期タメ→タメてタメて→解放というのは好きなのですが、解放された結果が素直に楽しめなくなるのが脱勧善懲悪ものなんで、素直に喜べないような気も。結末が楽しみな反面、ストレス耐性を意識しとかんと凹みそうです。人死も多いでしょうし…。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第49話 〜 レイ 〜

届かぬ言葉、譲らぬ正義。故に、争う。そんな人の業が全力で炸裂する第49話。前半〜後半5分ほどをかけて、クルーゼの「正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、引かず、その果ての終局だ!」が木霊するかのような戦場を描き、人の業を伝え、議長の正義を示す。そうした戦場を、人の業を見せつけ、やはりDPによる去勢処置しかないのか!?と思わせておいた上で、そこからゴロリとひっくり返し、二つの正義を均衡させる。このタメ→解放→バランスな構成が、いかにもデス種。バリ熱かった。


■でもやるしかないわ、彼らに負けたくなければ

勝ちたいわけではない。負けたくないだけ。デスティニープランのみを唯一絶対とし、拒絶すれば淘汰、調整。そんな正義の勝利だけは、認めない、認めるわけにはいかない。そこに、人の尊厳は、人の明日はないのだから。そうして、ラクスの「私たちはこれより、その無用な大量破壊兵器の排除を開始します。それは人が守らねばならないものでも、戦うために必要なものでもありません。平和のためにと、その軍服をまとった誇りがまだその身にあるのなら、道を明けなさい!」という停戦勧告とともに、ラクスサイドの正義発揮。


■撃て!撃ち落すんだ!ザフトのために!これは命令だ!

平和な世界のために。デスティニープランのために。議長の掲げる正義のために。それを乱す身勝手な正義など、認めない、認めるわけにはいかない。その果てに、平和な世界は、穏やかな今日はないのだから。艦隊司令の「あれはロゴスの残党、議長の言葉を聞かず、自らの古巣と利権を頑なに守らんとする、やつらの残存勢力だぞ!撃て!撃ち落すんだ!」という攻撃命令とともに、議長サイドの正義発揮。


■正義の形

そうしてぶつかる、二つの正義。届かぬ言葉、交わす砲火。光瞬く戦場に、クルーゼの「正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、引かず、その果ての終局だ!」が、哀しく木霊します。人はそんなものなのだ。それが人なのだ、と。

そんな戦場を、人の業を背景にして語られる議長&レイの正義、正当性。レイは言う。デスティニープランが実行されなければ、世界は再び混沌と闇の中へ逆戻りする。嘆きながらも争い、戦いつづける歴史は終わらない。変わらない。人々が平和と幸福を求めつづけるその裏で、世界は新たなロゴスが生むのだ。クルーゼを、レイを生むのだ、と。

この言葉に、種34話でキラが示した「なにもできないって言って、なにもしなかったら、もっとなにもできない、なにも変わらない、なにも終わらないから」が透けて重なり、キラ、クルーゼ、そしてレイと、三者三様の「正義」が戦場で交錯するという。


■Vestige/君は僕に似ている

そんな正義の交錯に重なり、フェードアウトして消えていく『Vestige』の「掲げたそれぞれの灯を命と咲かせて運んでいくことが運命」という歌詞。クルーゼも、議長&レイも、キラやラクスたちも、己を呪縛するFATEを拒み、DESTINYを望んでいる。そういう意味で、45話で語られた「夢は同じ」が、あまりに熱く、同じく45話で語られた「同じなんだ、多分。でもそれを知らないんだ、俺たちは皆」が、あまりに切ない。

31話でマリューさんも「きっと、皆そうなのよ、だからがんばるの、戦うんでしょ」「ただ、ちょっとやり方が、というか、思うことが違っちゃうこともあるわ」「その誰かがいてこその世界なのにね」「守りたいと思った気持ちは一緒のはずよ」「だから、よけい難しいんだと思うけど」「いつかきっと、また手を取りあえる時が来るわ、あなたたちは」「だから諦めないで、あなたはあなたでがんばって」と語っていますが(このシーンのBGMも『君は僕に似ている』だったり)、自分は自分でがんばるからこそ、異なる正義と正面衝突してしまうという。


■示される正義

結局はそういう話なんですよね>DESTINY。そこに、クルーゼの説いた「人の業」の本質があり、そして今回もまた、戦場にて、異なる正義が正面衝突しあうという。いや、異なる正義が正面衝突しあった場所が、戦場になるという。戦争になるという。

そういった人の業に対し、議長はデスティニープランによる変革を掲げたわけで。個人の夢を、欲望を、正義を抑えつけ、遺伝子という唯一無二の絶対正義によって、穏やかに統治された世界を実現する。そうして人を去勢し、正義を一元化すれば、異なる正義の正面衝突など起こりはしないのだから、と。そうして示される、議長サイドの正義。シンとレイに向けて議長が「そんなやりきれないことばかり続いた、この戦いの世界も、もうまもなく終わる」「いや、どうか終わらせてくれ」「君たちの力で」と語りかけるシーンなんて、議長サイドの正義が輝くザフト目線での最燃えシーンでしょう。


■レイ

さらに、追い討ちをかけるようにして示される、レイの正義。

レイのような存在が作られたのは、人が夢を追ったから。夢を盾に、好奇心を追ったから。その結果として生まれる人工生命。痛み、苦しみ、哀しみ、恐怖、死。そういった他者の存在に想いを馳せることのないまま、自分勝手な夢を振りかざしたから。だが、その一方で、そうしてFATEに縛りつけられた命は、その身を蝕む呪縛に抗うこともできず、ただ消えていくのみ。

もう一人の自分は、そんな人の愚かさを呪った。自分以外の存在に想いを馳せることを知らない人の愚かさを呪い、愚かに生まれた人の定めを呪い、全ての「人」を壊そうと戦って、死んだ。

だが、それは違う。誰が悪いわけではない。人が悪いわけではない。人が生まれもった愚かさを計算せず、ありのままに放置する「世界」が悪いのだ。明日を夢見て今日を踏み台にする、そんな人の愚かさを許してしまう世界が悪いのだ。そんな世界の欠陥が、人が愚かでいつづけることを許し、FATEを生んでいるのだ。今、そんなFATEから逃れられぬまま、自分は消える。ならば、せめて、二度と哀しい命が生まれないように。哀しいFATEが生まれないように。この「世界」を、壊して、変える。明日という夢を追うことなく、永遠の今日でいつづける世界を、創る!


■そして…

そうして、議長サイドの正義を突きつけ、選択を迫る議長&レイ。議長の「君はどうかな?シン」「やはり君も同じ想いか?」という問いかけが、シンだけでなく、問いかけに重ねて描かれたタリア、AA&エターナル組、イザーク&ディアッカ、ルナマリアにも、暗に突きつけられます。さらに、レイのモノローグが議長サイドの正義を補完。圧倒的に強まる議長サイドの正義。そして…


■選択

はい、俺も、レイと同じ思いです。

これより本館は戦闘を開始する。インパルス発進、全砲門開け、照準、アークエンジェル!
ザフトの誇りにかけて、今日こそあの艦を討つ!

今オレが殴りたいのはアイツだけだ! よくもまたおめおめと、あんなところに!
┐(´ー`)┌

ルナマリア・ホーク、コアスプレンダー、行くわよ!


■人の業

そうして示された議長サイドの正義に、シンもタリアもイザーク&ディアッカもルナも傾く(一組はミスリード狙いのダミーですが)。さらに、ただ自分の正義(夢)を信じて戦い、今は相手を撃つことしかできないでいるラクス&AAサイドの姿も。夢を掲げて争いつづける人の姿、人の業。そんな人の愚かさが、議長やレイの語る「世界を変える必要性」を強く感じさせます。やはり議長の説く正義こそが「正しい」のか。世界はデスティニープランによる統治が必要なのか。


■光

そうして議長サイドの正義が強まった末に、ミネルバのタンホイザがアークエンジェルをロックオン。議長サイドの正義の勝利か!と思われたその刹那、宇宙に光が舞う。

言葉なくても飛ぶ翼はなくても 乱す風に負けぬ様に 進んだ道の先 確かなを見た

前作ラストで、そこにいた者たちが「見た」光。人と人との絆。相互理解の可能性。パンドラの箱に残った、たった一つの希望の光。甦った記憶が、友との絆が、今、漆黒の宇宙空間に煌く。暁の防御結界として! レクイエム中継コロニーの爆砕光として!!!

( ゚Д゚)ウマー( ゚Д゚)ウマー( ゚Д゚)ウマー( ゚Д゚)ウマー( ゚Д゚)ウマー( ゚Д゚)ウマー( ゚Д゚)ウマー

前半〜後半5分を使って議長サイドの正当性を示してきた分のタメが、というか、SEED最終話〜DESTINY第49話後半5分までタメにタメられたストレスが、この瞬間に解放。最高に気持ち良かったっす。


■示される正義2

そして示される、ラクスサイドの正義の在り処。

確かに、人の本質は「正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、引かず」にあるのだろう。けれど、人はわかりあえるのだ。自分たちはわかりあえたのだ。ならば、明日には、この異なる正義同士の衝突も、和解へと至れるかもしれない。明日が無理なら明後日に。明後日が無理なら明々後日に。その可能性を、今日だけを以って否定し、異なる正義に立つ者を薙ぎ払ってはならないのだ、と。

それをいかに民へと語りかけるのか。最終話にもってくるであろうラクス&カガリの演説が待ち遠しい限りですけど、ようやっとバランスのとれたラクス正義⇔議長正義が「レクイエムの爆砕光⇔その中から浮かび上がるメサイア&放たれる創世の光」のシーンに凝縮されつつ、物語は最終話へ。そういう意味で、この「レクイエムの爆砕光⇔メサイア参上&ネオジェネシス発射」のシーンが、メラ熱かった!


■最終決戦!

議長&レイサイドの正義とラクス&AAサイドの正義がともに示され、ようやっとバランスのとれた二つの正義。揺るぎない今日、終わらない明日。世界を創るのは、メサイアから放たれる創世の光か、それとも…


■光2

とまぁ、シンやタリア、ルナあたりは議長サイドを選択したわけですが、彼/彼女らにしても、単純に割りきることのできない「想い」があり、断ち切れない絆があるんですよね。

・は〜い、マユで〜す。でもごめんなさい。今マユは、お話できません。

・これでいいのよね、これでいいのよね、シン…!。
・お姉ちゃん、やめて!なんで戦うの、なんで戦うのよ、どのラクス様が本当か、なんでわからないの!

・(ギルバートとの関係、息子の存在)

こういった想いや絆が、今回の話の中でも「携帯を握りしめて葛藤するシン」「アークエンジェルに銃を向けられないルナ」という描写につながっているわけで。一旦は議長サイドを選択しつつも、完全に割り切れてはいないシン&ルナ&タリアたん。この三人、最終話でどんな解を見せることやら。


■ignited

・優しいその指が 終わりに触れる時 今だけ君だけ 信じてもいいんだろう?

・誰もが崩れてく 願いを求め過ぎて 自分が堕ちてゆく 場所を捜してる

・傷つけて揺れるしかできない ざわめく想いが 僕らの真実なら

・哀しい眸のままで 口吻けてしまう度 もっとずっともっとそっと 守れる気がした

・孤独の途中で 見失う世界がある

・変われることが 怖くなる

・壊れあうから 動けない

     ↓

変われる力 恐れない

・交わす炎よ 描かれた 運命に届け


■変われる力

こうしてみると、一期OPにこの歌を持ってきた意味がよくわかるのね。この歌こそ、シンを、そしてDESTINYの物語を謳った歌だったんで。ならばこそ、50話タイトル「最後の力」は、この歌で謳われた「変われる力」のはずなのね。タリア=マリューの会話回想でも、後半の「後で間違いだとわかったら、その時はその時で泣いて怒って、そしたらまた、次を探します」の部分が、奥歯にもの詰めたような感じでスルーされていますし。

なんつ〜か、ここまで「iginited」に沿って話を進めてきたんなら、最後の最後のシン覚醒シーンで、この「iginited」を使ってくれんかな。元曲からして、背景にミサイル爆発音やらレーザー射撃音やらも重ねられていますしね。んで、DESTINYの物語を辿りながら「変われる力」を示してもらいたい。さらにそこから、シンだけでなく、タリアや議長、レイ、ルナ、旧主人公、民衆などなど、いろいろな人間の「変われる力」を連鎖的に示してもらいたい。そうすれば話もきれいに落ち着いて、タイトルどおり「燃える」ことができるんで。とか妄想期待中。


■キラ・ヤマト、おまえの存在だけは、許さない!

で、そうして異なる「正義」同士の衝突をアピっておいて、最後の最後に「私怨」を持ち出す、と。レイも十分「想い」に生きているんじゃまいかん、みたいな。戦争には、正義同士の衝突という側面だけではなく、私怨の側面もあるよね、みたいな。

しかも、〆に来たのは、やはり…クルーゼ! 心底、クルーゼに付き合い尽くす物語なのね。8話の「いくら綺麗に花が咲いても、人はまた吹き飛ばす」から始まったSEED-DESTINYの本編。そのゴールもクルーゼでした。背筋ゾクゾク、バリ気持ちよかった。


■足の速い二隻が先行して、中継ステーションを落とし、オーブ旗下の主力が、レクイエム本体を破壊
■勝敗を決めるのはスピードです。敵の増援に包囲される前に、中継ステーションを落とします


と、レイクイエム攻略作戦を立てたまでは良いのですが、しばらくたつとミネルバ他の増援組に囲まれて、作戦ご破算。また、議長はさらなる切り札としてネオジェネシスを隠し持っており、ここでも想定外のファクターが登場。そんな感じで、ラクスサイドの作戦は二重に失敗しているんですよね。

が、そこはさすがの種クオリティ。スーパーMSの力で状況打破。さらに、議長が居するメサイアが自ら訪ねてきてくれたおかげで(ジェネシスなら超遠距離攻撃が可能なんで近寄る必要なんてない)、移動の手間が省けて時間節約。といった具合に、当初の作戦なんぞお構いなしに戦闘が進みます。まさにハッタリエンタメバトル。緻密な戦略なんて求めちゃいかんのね〜。

とはいえ、VSレジェンド&デスティニーの個人戦闘モードになると、前作プロヴィデンス戦の経験からか、ミーティア脱ぎ脱ぎ。このあたりは気を使ってるらしいっす。まぁ、スーパーMS同士の戦闘ではミーティアが役立たないから、という理由だけでなく、背中に巨大装備つけているとMSそのものが映えないから、みたいな理由も感じますけど。


■問題は数でも装備でもないのだ。問題は…

う〜ん、これ、どういう意味だろ。単純に対比描写だとするのなら、議長の「問題は…」のあとにつづくのは「相手のスピードをいかに殺すか」的なフレーズなんだろうけど、この台詞に、キラやアスラン、ラクスが重ねて描かれているんですよね。しかも、ラストで「今度こそ消えていただこう、ラクス・クライン」と〆ていますし。議長としては、個人のスーパーMSやラクスの言葉を最重要視している。ってことかなぁ。う〜ん、考えすぎか…?

それと、議長サイドにも正義があるのはわかるのですが、議長がこの計画を動かした動機がイマイチはっきりしないんですよね。タリア絡みだってことは想像できるのですが、生殖能力なくて女に振られたのが原因って…あまりに個人的すぎないかい? まぁ、英雄伝説5(日本ファルコム)のラスボスのように、個人的な動機でエライことしでかすやつもいるっちゃいるんですけど、英雄伝説5の場合、それをテーマにした側面もあったからこそ許されたわけで。デス種の場合、どうもそういった側面は弱いような…。他に動機があるんかね?


■Realize

奇しくも、前作でムゥが散ったのも49話。たどり着く場所さえもわからないまま、届くと信じて奔らせた想いが、今、50話の時を経て、届きました。過ちも切なさも越える時、願いが未来を呼び覚まして、今、50話の時を経て、ヒカリを抱きしめました。あの日と同じこの空は、50話たっても、君へと続いていました。(form 『Realize』 by 玉置成実)。

ムゥ&マリューさん、おめでとうございます。PP隊長としての咎清算がスルーされそうなのはイマイチですが、ま、前作で命を散らせた分を使って帳消し、ってところですかね。ムゥに限らず旧メンバー全員がそうですけど、前作分で核&ジェネシス炸裂他をくい止めた分が因果応報にプラス補正を働きかけているのかな。


■昨日、今日、明日

49話を見ながらふと思ったのは、マユ、ステラ、ルナマリアって、シンにとって、昨日、今日、明日を象徴する存在なんじゃないかな〜とか。昨日の喜びと怒り、今日の安らぎと苦しみ、明日の希望と惑い、みたいに。そういう意味で、戦後、ルナと一緒に生きていくシンの姿も見てみたいような。らぶりーバカップルでなく良き友人、みたいな関係になったら、まさに「間違いだとわかったら(略)次を探します」な感じになって気持ち良いのですが。

とか思いつつも、上で記したように「iginited」がDETINYの物語を謳っているなら、Bパートの「守れる気が『した』」って反語全開な過去形が激しく不吉。メンタルなフォロー、という意味なら無問題なのですが、フィジカルなガードだとすると…。守れる気がした→反語→守れなかった→結果→死な伏線DEATHか?


■心配しなくても、ルナマリアは無事だ。もっと信じてやれ、彼女は強い

なんだこれ?惑うシンを懐柔するための餌か?それとも本心か? レイの中にあるのは「シンを議長サイドに導くためにはルナは邪魔」って計算だけかと思っていましたが、レイもルナを(一応)戦友扱いしているってこと? イマイチよくわからん。来週に期待っす。


■おまえが救ってやるんだ、あの国を

そして、最後は当然カガリ⇔シン。シンにとって、全ての始まりですからねぇ。宇宙と地球、距離的に離れていますが、どうつなげてくることやら。やはりアスランか?



といった感じで49話感想終了。サブキャラの消化は一通り見えたかな。あとはメイン、特にシンを中心として、それぞれが己の選択にどう向き合うか。シンが、民&視聴者を象徴する主人公として、49話の選択をどう貫く/翻すか。そのあたりが話の核になりそうですね。タリアたんもそうですが、順当にいけば、シンも「後で間違いだとわかったら、その時はその時で泣いて怒って、そしたらまた、次を探します」をできるかどうかがポイントになるでしょ。そうして、自立(前作)→自律(42話)→変われる力(最終話by-ignited)といった具合に、もう一歩掘り下げてくれるんじゃないかな。

というのは脳内妄想ですが、そんな感じで脳内妄想しつつ、脳内補完しつつ、一年間、たっぷり楽しませてもらいました。残り一話、見る側としても気合入れて見るとしますか。

可能ならば、前作最終話で見せた、クルーゼ「知れば誰もが望むだろう、君のようになりたいと、君のようでありたいと!」→フレイ&サイカットイン→キラ「僕は、それでも僕は、力だけが僕の全てじゃない!」→クローン実験施設&本当の母&カガリ&育ての親カットイン→クルーゼ「それが誰にわかる!」→フレイカットイン、みたいな神演出&構成を見せてくれんかな。んで、前20分で本編終了→後5分で戦後のエピローグ、みたいにしてくれれば嬉しいのですが…高望みしすぎですかね。エピローグは「星のはざまで」のようにDVD特典になるでしょうし。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY 第50話 〜 最後の力 〜

ラクスサイドと議長サイド、均衡した二つの正義が刃を交える中、示された最後の力は、やはり「変われる力」でした。人は変われるのか。その答えの在り処は…


■未消化伏線

楽しむ前に、とりあえず未消化伏線あげつらって、文句言っとこう。物語の核である「ラクスVS議長」「カガリVSシン」を直に描かなかったのはスッキリせんよね。というか、ラクスとカガリの「言葉」は、またしても発動しなかったという。カガリは、為政者としてのスタートラインに立つことに重点を置かれていたんで、他国と共に言葉を紡ぎ「はじめた」という終わり方でも納得いくのですが、ラクスがねぇ。45話や49話の語りも、結局は聴衆を変革へと導くには足りんかったし。結局はアスランとミーア(個人レベル)の変革につながったくらいっしょ。

もちろん、そういう「個人の言葉が世界規模の変革を招く力にはなりえない」という現実を描いたってことなわけで、それが「ラクス→ミーア」「キラ→レイ」という個人レベルの変革とセットになり、種必殺の「世界規模の効果発揮は難しいけれど、個人レベルで効果発動することもあるんで、諦めちゃいかんよ」な閉じ方になっているんでしょうけど。

また、ラクスVS議長はキラVS議長によって、カガリVSシンはアスランVSシンによって代弁したってことなんでしょうが、それぞれ言葉による相互理解へと至ることはなく、結局は銃を向けあい、力によって相手を倒すしかなかったわけで。これも、そうして「言葉で全てが片付くわけでもない」という側面もありつつ、その一方で「ラクス→ミーア」「キラ→レイ」により「言葉で片付くこともある」という側面も描きつつ。言葉の力は絶対じゃないよ、ってな閉じ方になっているんでしょうね。

ただ、そういう「問題提起→完全には問題解決できませんでした」という閉じ方も一つの答えなんで、伏線を消化しているとも言えるわけですが、それでも、その閉じ方は前作で見たわけで。今回こそは「世界規模の変革を招きうる言葉の力」「個人レベルで絶対の効果を示す言葉の力」を見たかった、というのが、47話段階で未消化伏線として挙げた中での最終未消化分かな。細かいところで「アスラン&カガリの指輪物語」「ムゥVSレイ」「議長の行動原理&タリアとの過去が不鮮明「ドムが踏まれていない」「ジオングが登場しない」なんてのもありますが、指輪物語は「想いは同じ」で一段落し、議長絡みは29話から推測可能、ムゥVSレイはキラVSレイによって一応消化されているんで、このくらいならスルーされてもいいような気も。もちろん、あと1話あれば綺麗なエピローグにまとまりそうなんで、それが勿体ないっちゃ勿体ない気もしますけどね。


■ハッタリエンタメ燃えバトル

クルックル回って射撃、ドラグーンによるビーム乱舞、ムチャな回避能力、当たりそうになったらビームシールド防御、射撃の的にしてくれと言わんばかりの一直線な剣戟、ビジュアル要素オンリーの光翼、なぜか当たらない戦艦射撃。緻密な情報量や質感溢れるMS描写などは、カケラもないわけで。そういうのを求めてもしょーがないのね。逆に、見た目のハッタリを重視して情報量を削りこみ、ライトな視聴者が楽しめる方向を向いているのですから。

それと、中盤では人間関係をかきまぜたり伏線を混入するための場として戦闘シーンが使われていましたが、後半では、逆に人間関係が落ち着いたり伏線が回収されたりで、個々のキャラクターの想いがぶつかる場、ぶつかった想いのケリをつける場として働いていたのねん。そういう視点で、今回もバリ熱かったっす。まぁ、レクイエム内部をジャスティスのバックパックとアカツキのドラグーンで完全破壊したのは( ゚д゚)ポカーンでしたけど。


■だが、君もラウだ。それが、君の運命なんだよ/オレは、ラウ・ル・クルーゼだ!

キラは、人の夢、人の未来、その素晴らしき結果。だが、どこまで先へと行こうとも、人は今の自分から逃れることはできず、過去の自分へと戻ることもできない。ならば、揺るぎない今だけがあればいい。それが正しい人の姿、世界の形。だから、世界をあるべき形へと返し、人を正しい姿へと戻す。そして、造られた命も。全ての始まり、無の世界へと…

というのが、レイの行動原理だったようで。生まれながらにして過去も現在も未来も奪われていた、けれど、ギルが確かな今を認めてくれた、だから、確かな今のために、確かな今を認めてくれたギルのために戦う、といったところでしょうか。


■でも違う!命は、何にだって一つだ!だから、その命は君だ!彼じゃない!

けれど、同じ造られた命であるキラは、最高のコーディネーターとしての今だけには生きていなかった。キラ・ヤマトとして、どこも皆と変わらない「ただの一人の人間」として、明日に向かって生きていた。昨日を受け入れ、今日を抱いて、明日に向かって生きていた。そこにレイは、もう一つあった自分の可能性を、造られた命にとってのDESTINYを見てしまう。

自分にもあった明日への可能性、それを否定し、ラウである今に縛りつけたギル。ギルは今日を認めてくれた、けれど、明日は与えてくれなかった。今日を認めることは、今日に縛りつけ、昨日に目を向けさせず、明日を否定することでもあった。キラが「ただの一人の人間だ!」と叫んだ瞬間、彼の明日は最高のコーディネーターとしてのものではないと知った刹那、レイの今日を認めてくれた恩人は、昨日を遠ざけ、明日を否定した怨敵となった…


■ごめんなさい、でも、彼の明日は…

そして放たれた一発の銃弾。愛憎、恩讐、入り乱れた複雑な想いが放たれ、全てが終わる。そして、タリアの「あなたも、よくがんばったわ、だからもういい」によって、過去も受け入れてもらったレイは、過去そのものである「お母さん」へと帰っていったという。それが、レイの答えだったという。

もちろん、その答えは「彼じゃない」レイだけのものであって、クルーゼが同じ答えと至ったかどうかはわかりません。ただ、それでも「造られた命」に対する一つの解たりえるものでした。この答えは。とことんクルーゼという文脈に付き合いつくした物語がDESTINYであっただけに、ここで一つの解が示されたことはスッキリサッパリ。と同時に、生まれの呪縛や赦しあえる友と出会えなかった悲運ゆえに、こういう生き方しかできなかったレイのFATEに涙。

惜しむらくは、レイの心境を掘り下げてこなかったことで、全力で「カカロット症候群かい!」とツッコミ入れたくなるほど突発的な印象を与えてしまう終わり方になってしまったことでしょうか。ぐらすも48話の感想で「レイは議長によって、レイ・ザ・バレルとしての今日を認められ、救われていたのでは」と読み違えています。終盤までタメた上で、レイの本心を明かす。それによって得られる効果もありますから、一概に「前々からレイの心理を掘り下げておけば良かった」とは言えないのですが、せめて「昨日」「今日」「明日」という暗喩なキーワードをレイの口から頻出させるくらいなら可能なような。あと、レイではなくクルーゼの声を発しておくとか。それとも、そういう前ふりはあったけど、単にぐらすの記憶&読解力がないだけとか?


■二つの正義

デュランダルキラ
やめたまえ、やっとここまできたのだ。
そんなことをしたら、世界はまた元の混迷の闇へと逆戻りだ。
私の言っていることは本当だよ。
-
-そうなのかもしれません。
でも僕たちは、そうならない道を選ぶこともできるんだ。
それが許される世界なら。
だが、誰も選ばない。人は忘れ、そして繰り返す。
もう二度とこんなことはしないと、こんな世界にはしないと。
一体誰が言えるんだね。
誰にも言えはしないさ。むろん君にも、彼女にも。
やはり何もわかりはしないのだからな。
-
-でも、僕たちはそれを知っている。
わかっていけることも、変わっていけることも。
だから明日が欲しいんだ。
どんなに苦しくても、変わらない世界はいやなんだ。
傲慢だね。さすがは最高のコーディネーターだ。 -
-傲慢なのはあなただ。
僕はただの、一人の人間だ。どこも皆と変わらない。ラクスも。
でも、だからあなたを撃たなきゃならないんだ。
それを知っているから。
だが、君の言う世界と私の示す世界。
皆が望むのはどちらだろうね。
今ここで私を撃って、再び混迷する世界を、君はどうする?
-
-覚悟はある。僕は戦う。


■銃弾

言葉になって衝突した二つの正義。制御せずして人を生かせば、秩序の失われた明日には、人は滅ぶ。そう説く議長。人はわかりあえる、変わっていける、自分はそれを知っている、どこにでもいる普通の人間として。そう説くキラ。均衡しつつも、互いに銃を向けあう行為によって、言葉だけではわかりあえないことが証明され、わずかに議長の正当性が上回るような状況。

そして放たれる一発の銃弾。これがキラの銃から放たれたものであれば、議長サイドの正義の完全勝利でした。前作でキラがクルーゼを討ったように。討たれたクルーゼが笑いながら散っていったように。ところが今回はそうならず。誰よりも議長を信じた者、誰よりも議長の正義を信じた者、レイによって放たれた銃弾が、身喰らうように議長を討つ。そんな結果に終わりました。キラの正義も絶対ではない、議長の正義も絶対ではない。そんな結果に。


■そうかぁ…

それを知り、驚きながらも受けとめる議長。誰よりも自らのFATEについて知り、受け入れていたレイですら、今日だけに囚われる生を拒み、明日を望んだ。ならば、今デスティニープランを導入しようと、必ず破綻の時は来る。人はFATEを拒む存在なのだ。自分自身がそうであったように…。

そうして、タリアの「しょうのない人ねぇ。でも本当、仕方がないわ。これが運命だったということじゃないの。あなたと私の」に対し、自嘲気味に「やめてくれ」と応えながら、消えていく。なによりも望んだ女性とともに、なによりも欲した子とともに、なによりも願った明日とともに…。それが、ギルバート・デュランダルの答え。どこまでも運命に抗った、一人の人間の答えでした。


■この人の魂は、私が連れていく

そんなギルバートとセットになって示された、タリアの答え。過去に母として子を選び、前回は将官として軍令を選んだタリアが、最期に示した変われる力。タリア・グラディスとしての答え。タリアたんのダサい宇宙服も、スッキリした白服とは違う余裕のある作りで、女性らしさを演出したってところでしょうか。

正直、母であることよりも女であることを選んだタリアさんの答えは、かなり納得いかんのですよ。ただ、それは「今をもって信じたこと」にすぎず、あくまで「今は」そうせざるをえないということであって、絶対的に正しい選択として描かれたものではないわけで。それに対して賛否どちらのリアクションを示そうと、結局は「何が正しいかは自分で考えれ」というデス種の趣旨に沿ったリアクションになってしまうという。お釈迦様の掌の上でゴロゴロしていた暴れ猿と変わらんのよね。


■擬似家族エンド

そうして、為政者から個人へと立ち返ったギルバート、母よりも女であることを選んだタリアさん、子としての過去を与えられたレイと、三人が擬似家族となって終幕へ。それぞれに対して死という断罪は為されたものの、三人ともが望んでいた明日を、家族としての瞬間を与えられた結末には、赦しの残り香が漂い、切なくも綺麗で、そして優しい終わり方でした。


■僕は戦う!

遺伝子を模ったメサイアを破壊していくフリーダムの姿に、逃れられない自らの遺伝子、FATEに対し、それでも抗いつづけようとするキラの決意、DESTINYが垣間見え、かなり( ゚Д゚)ウマー。

そうして議長サイドが幕を閉じていく一方で示された、キラの決意。平和を望みながらも、不安定な明日を願う。そんな矛盾との戦い、矛盾を生む人の業との戦い、自分との戦い。それが、キラ・ヤマトの答え。41話ラストの「戦いからは、なにも生まれないんだ」「だから僕は、まだ戦っているんだ。いつか、すべての戦いが終わって、誰もが心から笑って、手を取りあえる時を、迎えるために」という矛盾モードが、いい具合につながっています。戦うのはよくないことだけど、戦わなきゃいけないときもあるんだぜ、みたいな。

種最終話では「守りたい世界が『ある』んだ」と叫びつつ、前大戦後には戦うことを忌避してオーブで隠遁していたキラ。オーブの慰霊碑と向き合うことすらなく、ただトンズラーしていたキラが、デス種最終話では、守りたい世界が「ある」だけでなく、その世界を守るために「戦う」ことを宣言。これがバリ熱かった。39話でキラにSフリーダムを託したり、43話で「もう迷いはありません」と発言したりで、ラクスも同じ境地に至っているのでしょうが、今回は戦後の活躍に期待できそうです。


■なんであなたがメイリンを…よくもメイリンを!

メイリン・ホークの言葉を、変化を受けとめきれず、それはアスランのせいだと思いこもうとして、アスランへと銃を向けるルナマリア。が、ルナとしては、議長サイドの言葉によってメイリンへのスパイ疑惑を植えつけられつつも、ストーカー行為によって誰が本物のラクス様かを知っていたために、メイリンやアスランが絶対に間違っているとは思えていなかったようで、それが「ちょっと話がしたかっただけよ」「これでいいのよね、これでいいのよね、シン…!」という言動になっていたわけで。

そんな迷いが、前回の「お姉ちゃん、やめて!なんで戦うの、なんで戦うのよ、どのラクス様が本当か、なんでわからないの!」によってさらに揺さぶられ、それでも「そんなメイリンはメイリンじゃない、アスランが騙したんだ」と思い込むことでバランスを保っていたのですが…


■シン!もうやめて!アスランも!

今回、アスランがシンに叫んだ「もうお前も、過去に囚われたまま戦うのはやめろ!」を横で盗み聞きし(つくづく盗聴好きですな)、今のメイリンを受けとめることを決意したという。それがルナマリア・ホークの答え。断片的な情報をパズルみたいに組み合わせにゃならんのがイラつくところですが、ルナが他人(特にアスラン)のことを自分勝手に思い込んで爆走するのは第2クールでも描かれていましたから、そこから始まった問題提起に対する決着のつけ方としては妥当なところでしょうね。(盗聴でもなんでも)人の言葉はきちんと聞きましょう、自分勝手に捻じ曲げてはいけません、と。本人は汎用的には気づいてなさそうですけど。


■よくもルナを、ルナをやったな!

これがオモシロ。最終話でのシンの行動原理は、ルナを守るという部分しかクローズアップされていないんですよね。というか、ルナに限らず、19話で語ったように「普通に平和に暮らしている人たちを守る」というのが、シンの行動原理だったはず。ところが、いつの間にか「DPを実現する」という目的とイコールになり、さらに「オーブを壊す」という目的へと摩り替わっているという。その結果として、オーブで「普通に平和に暮らしている人たち」を死なせることになるかもしれないのに…。


■もうお前も、過去に囚われたまま戦うのはやめろ!そんなことをしても、なにも戻りはしない。なのに未来まで殺す気か!お前は!お前がほしかったのは、本当にそんな力か!

そんな行動原理と行動が噛みあわないシンに向けて、自らの過去を重ねながら、自己啓発セミナーばりにシンの本当の想いを問うアスラン。43話でも「お前は本当は、何がほしかったんだ!」「その怒りの、本当の訳も知らないまま、ただ戦ってはだめだ!」と語りかけていますが、シンの「怒りの本当の訳」は、行動原理は、どこにあるんだと、改めて問います。

そして、43話同様、フラッシュバックする本当の想い。ステラの笑顔、マユの声。シンが本当にほしかったものは、愛する人たちとの、暖かい時間。もう二度と戻ることない、幸せな日々だった…。

だが、そんな時間は、もう二度と戻らない。取り戻す術はない。ならば、せめて二度と同じ過ちを繰り返さないように。そのためにはオーブを討ち、DPを実現させなければならない。そうしなければ守れない。だから、仕方ないと割りきって戦う。そうして、アスランへと刃を向けるシン。そんなシンが振りかざした力は、なによりも忌み嫌った力だった。幸せな時間を奪った、フリーダムと同じ力だった…


■儚く散った光が 僕らを今呼び覚ます 哀しみは音を立て 消える あの場所から

そして、間に入ったルナマリアという「明日」を討ちかけるシン。そんなシンにアスラン先生の鉄拳制裁が炸裂し、シン、トリップモードへと移行。そして姿を現わす、儚く散った光。その光は語りかける。昨日をもらった、それは嬉しいこと、だからわかる、明日も生きていいのだと。

おそらくですけど、ステラたん、霊ではなく、シンの胸に生きているステラの幻影なんじゃないかな。シンには元々ラクスサイドの傾向が強く見られましたから、そんなシンの潜在意識の中では、家族やステラの死はオーブのせいでないことに気づいていて、そんな想いがアスランの自己啓発セミナーによって頭をもたげた、といった感じじゃなかろ〜か。

それが「光の粒子が集うようにして形を成したステラたん」という演出になっているように思えてならないのですが、もちろん、実際に霊体ステラたんだったと見ることもできるわけで。ただ、どちらにせよ、旧主人公たちだけではなく、シンにとっての相互理解の光も生きていて、それがシンに「本当の想い」を気づかせるキッカケになったことは確かでしょう。そして、本当の他人の「言葉」によって、本当の自分の「想い」に気づいたシンが目を明けた時、そこにいたのはルナマリア(明日)だった、と。前回の感想で「シンにとって、マユは昨日、ステラは今日、ルナは明日を象徴するんじゃないかな」と触れていたのですが、もろヒットして気持ちいいっす。


■選ぶのは…

そして、虚空に立ち昇る、鎮魂の光歌。散った光たちが望んだ、本当の想い。ただ、ただ無事に、平和に生きてほしい。そんなレクイエムが奏でられる中、35話で自らが「泣いて哀しめって言うんですか!祈れって言うんですか!」と否定した姿で、泣いて哀しむシン。そして、崩れゆくメサイアを見つめる二人の姿…

その時、シンはただ涙を浮かべるだけでした。何を考えているのかもわからず、シンの哀しみが音を立てて消えたのかもはっきりせず、ただ、ただ、ステラの本当の想いを抱いて、そこに佇むのみ。そこから一歩を踏み出す時、再び「怒れる瞳」を抱くのか。それとも、全てを受け入れ、昨日(マユ)を忘れず、今日(ステラ)を抱いて、明日(ルナマリア)に生きるのか。それは、なに一つ語られませんでした。

シンがどんな道を選ぶのか。それを選ぶのは…あなただと。そう語りかけるように…


■主人公

そうして、キラの、ラクスの、アスランの、カガリの、デュランダルの、タリアの、レイ&ステラ&クルーゼの、マリューの、ムゥ&ネオの、ルナ&メイリンの、それぞれの答えが示される中で、ただ一人、答えを出すことなく終わったシン。そんなシンの姿に重ねながら奏でられた、最後の『君は僕に似ている』の調べ。この瞬間、誰が「君」で、誰が「僕」なのか、わかったような気が。

おそらくですけど、君というのは、問いを突きつけられた視聴者。僕というのは、問いを突きつけた制作スタッフ。この歌は、そんな意味をこめた受容の歌だったんでしょうね。

そして、歌を「僕は君に生かされてる」と纏め、宙に舞うフリーダムの姿を描き、制作スタッフからの一つの解答例にして、挑戦状を突きつけたという。あなたは、誰を正しいと思いますか?と。何を選びますか?と。そういう意味で、やはり主人公はシンであり、各視聴者だったなぁと、そう思える終わり方でした。難を言えば、最後にメサイアを見つめるシン&ルナのシーン。あのシーンのシン(&ルナ)は、正面から映さず、背後からの描写だけで止めておくべきだったかな。流れ的に、あの瞬間のシン&ルナの表情を考えるところからリスタートすべきですからね。逆に、さりげにオモシロかったのはアーサーたん。場に流されるのは相変わらずでしたけど、自分から敬礼できたところに微かな自立の芽。シンと同じく民衆を象徴するキャラクターとして、アーサーなりの答えが見られて嬉しかったです。


■大成功?

とはいえ、多少の難はあれど、ほぼ制作サイドの思惑どおりっぽいというか…。直後の祭りで、各視聴者が「キラやラクスは間違っている」「議長サイドの言い分が正しい」「いや、どちらも馬鹿」などと繰り返すたびに、監督をはじめとする制作スタッフは喜んでいると思われ。そういったリアクションをもって大成功と言えるわけですから。

ただ、きんきら金に飾りたてたラクスサイドのMSを映し、あたり前のように「あいつらが正義なわけないやんけ!」というリアクションが生まれるシチュエーションを作りだして、各視聴者が考えざるをえない必然の状況へと追いこむ演出とセットにしているのが、上手くもあり、厭味でもあり、そこはかとない悪意が感じられるようでもあり。挑発しているというか、公共の電波で釣りをしているというか、実は「僕は君に生かされてる」なんて思ってなさそうというか。上手いっちゃ上手いんですけど、かなり笑かしてもらいました。


■古池や 蛙飛びこむ 水の音

そんな感じで、ギリギリまで正義を相対化しつづけた上で、最後の最後で絶対正義をアピールし、反発が生まれうる必然の状況へと視聴者を導くあたり、いかにも「何が正しいと思いますか?」と問いかけつづけたDESTINYらしい最終話でした。まぁ、言葉の力が発動されず、民全体の変革も明記されなかったので、その点では微妙にスッキリしませんでしたけど、前者は個人レベルでの発動、後者は変革直前までの描写は済んでいますから、こういう閉じ方もありっちゃあり。というか、ここで言葉の発動や民の変革まで描いてしまうよりも、あえて描かないことで考えさせる技法なんでしょうね。古池や蛙飛びこむ水の音、みたいな。水の音だけを追っかけてしまうと古池の静けさはイメージできないよ、みたいな。古池の静けさは各自が考えようぜ、みたいな。



といったところで、最終話の感想終了。結局、主人公のシンは50話終わって始発点に戻ってきましたとさ。ただ、立っているポジションは同じですが、自分も他人も知らないままに軍へと身を投じた1話と異なり、今は多少なりとも自分も他人も知ることができていますから、その点では成長しているんでしょうね。DVD特典で40分のエピローグ?が描かれるらしいのですが、どうなるんかな。最後に答えを出したメンバーについては、その答えを具現化する過程をチラっと見せてほしいのですが、シンについては…。作品テーマを全うするなら、シンなりの決意(答え)は描かずに流し、ただ、シンが踏みしめてきた道を顧みる程度にしてもらった方が綺麗だと思いますけど。ま、なにはともあれ、来年2月末までマターリ待ちます。

全体を振りかえってみると、二〜三話で完結するエピソードを作らず(エンタメ的に盛り上がる場所は作っているんですけどね)、テーマを何層にも折り重ねすぎて、複雑でわかりづらい要脳内補完な内容にしたところが( ゚д゚)ポカーンだったかな。最終回も異常に話を詰めこみすぎた感があるんで、あと一週あれば、細部まで余裕を持たせたエピソードを描けたような。ムゥ物語やフラガ因縁ネタ、カガリ為政者モード、姉妹物語なんかは、一応のまとまりはついているものの、結末までは手をつけられなかった気配ですしね。議長の行動原理やタリアとの過去も、今一つはっきりしませんでしたし。

とはいえ、なんだかんだで一年間、週一で息抜きしながら楽しめるエンタメを提供してもらったことに感謝。福田監督をはじめとする制作スタッフの皆様、一年間お疲れ様でした。ありがとうございました。




機動戦士ガンダムSEED DESTINY Final-Plus 〜 選ばれた未来 〜

園の全ての木から、採って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない、食べると必ず死んでしまう。だがやがて、共に造られた野の生き物のうちで、一番賢い蛇がこう言ったという。決して死ぬことはない。それを食べると目が開け、神と同じく、善悪を知る者となる。そのことを神は知っているのだと。そうして始まりの人は、その実を食べたのだという。

食べた人は善悪を知った。善悪を定めること、善を遇すること、悪を処すること。それを知った。だが一方で、善悪は失なわれた。全ての答えは、皆が自身の中に既に持っている。自身にとっての善、自身にとっての悪。だがそれは、決して交わることはない。交わることのない互いの善、交わることのない互いの悪。

人類は、善悪という価値を失った。


そして衝突しはじめる互いの善。ジョージ・グレンの食べた禁断の木の実。そこから始まった争いの世界。

ラウ・ル・クルーゼが絶望した人の運命。その行く末は? 未来は? 真実の在り処は?

最終話から3ヶ月。ガンダムSEED-DESTINY FINAL-PLUS。感想です。
っつーか13話感想でネタにしたまんまに「禁断の木の実」キタ━(゚∀゚)━ッ!


■キラ・ヤマト…お前の存在だけは…

本編49話のラストでも見られたレイの「キラ・ヤマト、お前の存在だけは…」の台詞。本編を見たときは気づきませんでしたが、この時のレイの表情って、ステラを埋葬した後にシンが見せた表情やフレイ(霊?)との邂逅後にキラが見せた表情と同じなんじゃ…。台詞的にも、フレイを殺されたキラがクルーゼに向けた「あなたは!あなただけは!」の台詞と、このレイの「キラ・ヤマト…お前の存在だけは…」は被っているんですよね。つまり、同じなんですな。キラがクルーゼに抱いた憎しみと、シンがキラに抱いた憎しみ、レイがキラに抱いた憎しみは。

シンの時も書きましたが、キラは「力だけが僕の全てじゃない!」と言いながらも、結局は力による憎しみを招いてしまったわけです。ではキラはどうするのか? その問いが、本編50話を前にして、そして今回のFINAL-PLUSを前にして、改めて問いかけられていた、と。

何度か書いてきたように、これまでのDESTINYの物語はクルーゼの預言と付き合いつづけてきたわけですが、最後の最後までクルーゼ祭りじゃー。という意味を持った「キラ・ヤマト…お前の存在だけは…許さない!」だったわけで。そして、それを補完するが如く、禁断の木の実トークや自分正義の暴走映像を並べ、クルーゼの預言を強調していたのでしょう。本編視聴の際には気づきませんでしたが、禁断の木の実、自分正義の暴走、そしてレイの台詞という三つをセットにして問いかけられることで、ようやっと理解できた気が。なかなかヒネったアバン(本編49話ではヒキ)だったのねー。


■OP

TMの『Vestife』ですか…。第4クールの間で『Wings of words』に慣れきっちゃっているもんで、微妙にズレているような変な感覚。第4クールが始まったときはケミの歌がズレているように思えましたが、慣れってのもあるようで。絵と歌詞の内容もケミ以上にズレているような箇所もありましたが、それでも、S自由→I正義→運命→議長→運命飛翔と映像が切り替わるあたり、歌詞で言うと「掲げたそれぞれの灯を〜運んでいくことが運命」のあたりは、まさに歌詞そのもの。さりげに燃えつつ、タイトル表示前の自由&正義&運命の三機同格描写とあわせて、あいばさんが語っているように、改めて三軸物語+二正義相対化物語であることを実感。

絵的には、マリューさんとムウのカットは49話感想で触れたまんまに前作SEEDからひっぱってきた絵だったんでプチ燃え。キラとラクスの裸カットは( ゚д゚)ポカーン。深夜でGO!って感じ? んでも、それに重ねられたアスランとカガリの腕交差は良かったですね。45話以降は放置されていた感のある二人の関係でしたが、よりを戻したって事でいいんでしょうか。種のOPはミスリードもあるので100%信用することはできませんが。ラスト手前の追加戦闘映像は、ピュンピュン飛び回って→ビーム乱射ってのが実に種っぽくてカッチョ良かったです。誰もが優しい刻の傷跡ー♪には見えませんが。


■戦況

自由&正義VS運命&伝説。その脇で他隻連合の旗艦であるエターナルに集中攻撃をかけるザフト。カバーに入るアークエンジェル。そのサポートに徹するアカツキ。同行してきたオーブ艦隊は一部連絡不能(撃沈?)、戦線離脱する艦もあり。そんなオーブ艦隊にもザフトのMSは攻撃を仕掛ける。ムラサメ隊が奮戦&抵抗するも、それで手一杯。レクイエム本体の破壊は思うように進まず。このままではオーブが撃たれる。

そんな状況でアークエンジェルにインパルス接近。さらにミネルバも。エターナル周辺ドム3人組が援護に入ってカバー。本編49〜50話だとアークエンジェル&エターナル周辺の争いしか把握できなかったのですが、追加された戦闘映像によって戦局の全体像が掴みやすくなりっ☆ けっこう崖っぷちだったのね。戦況を整理してその中で各戦力を動かす、ってのはこれまでの種では見られなかった(と思う)戦闘描写なので、ピコっと新鮮でありつつ、深夜枠にあわせてターゲット層を変えたのかな?とか思いつつ。

まとめ感想でも書きましたが、種本編の戦闘は、MSの重量感や迫力を削ぎ落としてピュンピュン動かしつつトドメにバンク!とか、戦闘前に作戦会議を描いてそれっぽさを押し出しておきながら実際の戦闘では作戦度外視でスーパーMS大活躍!とか、そんなライト視聴者向けの大味な戦闘描写だったんですよね。戦局整理(というほど複雑ではありませんが)をしてくるようなタイプとは対極にあるライト視聴者向けの戦闘描写だったわけですが、深夜枠に持ってきたことで少しベクトルを変えたのかな? まぁ個人的にはこちらもアリというかこちらの方が好みなんで、深夜枠になったおかげで少し得した気分です。同じ深夜枠効果(?)でも、OPの裸キラ&ラクスは( ゚д゚)ポカーンでしたけど。


■キラ「えっと、命令です」
■イザーク「エターナルを援護する!ザフトの船だ、あれは!」、炒飯「なるほど(笑)」
■ラクス「私たちはそのためにここにいるのです、だから行ってください、アスラン、ラミアス艦長、さっ、早く!」
■アスラン「わかった」、マリュー「ではまた後で。必ず…!」、虎「あぁ、必ずな!」


そうして拮抗した戦線を切り開いたのは、キラとラクスの覚悟であり、イザーク&ディアッカの相互理解ペアであり、それに応えた各個の意志であり。拮抗した戦線を切り開くのは物量ではなく信念、というのが種シリーズらしい手法ですね。キラの覚悟や元クルーゼ隊の友情(相互理解)といった物語上の重要ファクターに基づいて未来を切り開く。正しくスーパーロボットな展開で、メラ熱かったっす。そりゃ音響もアゲアゲになる罠。戦局整理をしたことで少しだけ内容の伴った戦闘描写になりましたが、根っこの方向性は変えていないのねん。


■「フリーダムは、俺が撃つ!」「あぁ、わかった!」

そんな旧主人公組に立ち向かうのは、レイの覚悟であり、シンの決意であり。そして衝突する自由と伝説。ここでもアゲアゲ音響で二つの正義がバトります。残り35分ほどの〆に向けた「タメ」ですな。どちらの正義が上回るのか!?と。

ただねぇ、相変わらずキラやアスランなんかに比べてレイやシンの扱いが若干ヘチョイっす。レイやシンの正当性を強くアピールさせてキラやアスランの正義と拮抗させる。そんな意味をこめたシーンでしょうから、もう少し時間を割いてカッチョ良く描いてもよかったんじゃないかなぁ。

一応は「レイのクルーゼへの想い、キラへの憎しみ」「シンのマユ&ステラへの想い」がカットインされたり「キラとクルーゼの再戦」がアピールされたりしているので、今作主人公組の正義の根っこや新旧正義の拮抗という構図になっていることは理解できるのですが、それでも尺的に扱いが小さいような。今作主人公組!扱い小さいよ!何やってんの!とブライト風に文句を言ってみる。


■「なんであなたがメイリンを…よくもメイリンを!」→「シン、もうやめて!」

メイリンは変わってしまった(ように思える)。それはアスランのせいだ(と思える)。確かに一時アスランに憧れていた。だが、メイリンを変えてしまったのはアスランだ(と思える)。ので、今はアスランを撃つ。

軍令を遂行するためだけでなく、妹メイリンを変えてしまったアスランが憎いという理由でもアスランを撃つ。そんな自分正義全開なルナたんですが、46話でシンと会話しに行ったあたり(ちょっと話したいと思っただけよ)を見るに、ルナもそれが正しいのかどうか悩んでいた模様。同時に、オーブを撃つという軍令自体にも疑問を持っているんじゃないかな。


■過去に囚われたまま戦うのはやめるんだ!そんなことはしても、何も戻りはしない!

そんなルナVSアスランの間に割って入り、種割れ戦闘モードに突入するシン。37話で見せたような思考停止型の種割れではないようです。カガリとのシンクロ壁叩きや16話の収容所開放と同じように、この種割れを見ても、土壇場に来てシンのオーブ寄りな価値基盤が発露したようで。第4クールに入ってルナもシンも葛藤し続けてきましたが、ルナもシンも、根っこにあるのはオーブ寄りの価値観なんですな。

そんな二人に突きつけられたアスランの言葉。アスラン自身に向けたかのような台詞。それを表わすように挿入される、アスランママ、ニコル、ハイネ、マユ、ステラの映像。過去に囚われて戦っても、過去は取り戻せない。ステラの笑顔、マユの笑顔、家族との穏やかな時間。二度と取り戻せぬ過去。そんな過去のために戦ったとしても、そんな過去に囚われてオーブを撃ったとしても、得られる未来などない。

それは、元来オーブ寄りの考え方を持ち、第4クールで葛藤もしつづけたシンが、誰よりも知っていること。マユの笑顔。ステラの最期の言葉。水底に沈んでいったステラ。シンが本当にほしかったもの…。それはわかっている。シンが本当にほしかったものは、オーブを撃っても返ってこない。それはわかっている。わかっているけれど、どうしようもない。シンは言う。だけど…だけど!と。その後に続く言葉はないと知りながら…

わからない。どうすればいいのかわからない。議長やレイの主張が正しいのか、アスランやオーブの主張が正しいのか。何が正しいのかわからない。ただ、ただ考えることを止め、目の前にいる敵を撃つことしかできない。そうして考えることをやめたシンの放った一撃は、マユを殺した炎、ステラを殺した力だった。シンが本当に恐れたもの、シンが何よりも憎んだ力だった…

そうして振るった力によってルナを殺しかけてしまった時、シンは本当の意味で理解したんでしょうね。その力は未来(ルナ)をも殺す力なのだ、と。そうして解放されたシンの心は、議長の与えてくれたデスティニー(運命)から離れ、本当の自分と出会う。それがシンの幽体離脱映像なんでしょう。たった1カット、シンの意識がデスティニーから離れていく映像が追加されただけでしたが、受ける印象やわかりやすさはだいぶ変わったのではないでしょうか。


■ぐらす30話感想より

そんなことを書いてて思い出したのですが、30話感想でこんなことを書いていたりして。

(デスティニーの項より)

超妄想ですが、神に与えられた運命=今確かに存在する現実は真正面から受け止めた上で、未来に関しては、人の意志で作り上げていく道を選ぶんじゃないかと。そして、未来を作り上げようとする瞬間(←ステラ絡み?)、シンは「デスティニー」のコクピットから抜け出して、生身の人間として行動するんじゃないかと。そう思えるんですよね。

当たーりー。ちなみにその下(夕焼け+対峙=すれ違いの項)も当たーりー。あいばさんの所でもトピックにされていますが、例の「夕日→朝日」演出ですよー。どちらも本編では描かれませんでしたが、FINAL-PLUSにて昇華完了。見ながら武者震いしてしまいました。


■シンとルナマリア

そんなシンの横で、いち早く変化を見せたのがルナマリア。シン同様、第4クールの中で葛藤をつづけていたわけですが、そんなルナを「シン、もうやめて!」へと至らせたのは、アスランの「過去に囚われたまま戦うのはもうやめるんだ」でした。メイリンは生きている。だから、今のメイリンを認めることができる。シンと違い、認められる今がある。取り戻すことのできる過去がある。その違いが、決して叶わない穏やかな過去を求めてショート→思考停止したシンと、いち早く「もうやめて!」と行動に出ることのできたルナを分けたのでしょう。

どちらも「妹(大切な人)を失った」という共通体験からシンパシってラブった二人が、今度は「妹(大切な人)が生きている/生きていない」という違いでズレてしまう。そして、道を別ったルナに、大切な人にシンが向けてしまった刃は、シンが何よりも忌み嫌った力、フリーダムと同じものだったという…。皮肉なことですが、それがシンの葛藤に終止符を打つ形となり、しかも今度は死別せずに済んだわけですね。そして、明日を生きることを選んだシンは、ルナと共に未来を生きることができる、と。

このあたりの物語の相関は非常に見事でした。妹を失ったシン、死なせてしまったフリーダム、ルナとメイリンの姉妹設定、アスランとルナの関係、メイリンのアスランへの想い、アスランとメイリンの逃亡、二人の死(という誤情報)、二人の生、アスラン&メイリンとシン&ルナのそれぞれの再会、そして、戦いに割って入ったルナに刃を向けてしまうシン。結末としてオーブの碑の前でルナとメイリンが笑みを交わしあったことを除けば(冗長な蛇足にならない程度の小ネタだったのがポイントでしたね)、特に既放送分と変わったところはなかったと思いますが、改めて見て、描いておいた出来事を巧くつなげた構成が実に( ゚Д゚)ウマーでした。


■明日

そうして議長から与えられた運命から意識を解き放ったシンが垣間見たものは、光り輝くステラの姿。エクステンデッドとして造られ、過去も現在も未来も与えられなかったステラ。ステラは言う。シンに出会って昨日をもらったのだと。そしておそらく、現在も、そして未来も。その上でステラが選んだものは、明日。それが嬉しいのだと。だから、だから…

そう語りかけながら姿を消すステラ。目を開いたシンの眼に映ったものは、ルナマリア。月の聖女。シンにとっての未来。そして立ち昇るレクイエムの爆光。ステラが望んだ明日。シンが本当に望んだ明日。オーブを撃たない。撃つ必要などない。そんな選択。そんな未来。儚く散った者たちが、過去から差し伸べた光。死者たちが本当に望んだ鎮魂歌。マユが、ステラが、そして誰よりシン自身が、失われた過去を取り戻すことではなく、光り輝く明日を望んでいた…

本編50話を見たときもそうでしたが、もうボロ泣き。第4クールの間をかけて葛藤し、二つの正義の間を彷徨い、答えを出したように見えながらも葛藤をつづけたシン。そんなシンに突きつけられたアスランの一言。ルナに向けてしまった刃。その瞬間すべてを悟ったシンの心が、霊体ステラの形となって具現化したんでしょうね。そうして全てを自覚したシンは、35話で自身が否定した姿そのままに、泣いて悲しむ。50話の刻を越えて。そして、悲しみは音を立て、消える、あの場所から…

といったように、ハイカラ『PRIDE』のままにオチを迎えつつあるシン物語。つづくフリーダムのメサイア破壊シーン(キラが遺伝子(を模したメサイア)という運命を否定する意味をこめているんでしょうね)もそうですが、このあたりは台詞を使わずに伝えたいことを表現する種シリーズらしい演出で激燃え。これがあるから種視聴はやめられません。50話越しのシンの涙と併せて、ぐらす的ベストオブDESTINYです。


■SEED50話演出

唐突ですが、まずこれを。

1)SEED50話前半、キラとクルーゼの会話より
- 台詞背景映像
1知れば誰もが思うだろう
君のようになりたいと
君のようでありたいと!
サイ、フレイ
イザーク、ディアッカ
2僕は、それでも僕は!
力だけが僕の全てじゃない
造られたSCとしてのキラの過去
キラ・ヤマトを受け入れてくれたキラの義父、義母
兄妹カガリの存在
3それが誰にわかるフレイ
4何がわかる!わからんさ!誰にも!!! -

2)SEED50話ラストシーン
- 台詞歌 中島美嘉『Find the way』背景映像
1-Find the way
輝く宇宙に手は届かなくても
響く愛だけ頼りに進んだ道の先
光が見つかるから
-
2僕たちは
どうしてこんな所まで
来てしまったんだろう…
- 涙を流すキラ
3-Find the way
言葉なくても飛ぶ翼はなくても
乱す風に負けぬ様に
進んだ道の先
-
4-確かな光を見た
You'll find the way
虚空から光に重なり飛来するルージュ
笑みを浮かべるアスラン、カガリ
笑みを返すキラ

この二つの演出、ぐらすはベストオブSEEDの演出だと思っています。

クルーゼの指摘、キラの答え。どこまでも抽象的な言葉を、背景に挿入された映像が補足して、視聴者に理解を促す。けれど、登場人物目線ではその映像を見ることができず、ゆえに(登場人物目線では)「誰にも」「わからん」形になっているでしょう。

キラはクルーゼの主張を否定することができない。クルーゼの「何がわかる!わからんさ!誰にも!」には答えを返すことができない。50話後半の会話でも、クルーゼの「それが人だよ、キラ君」という言葉に、キラは「違う!人は…人はそんなものじゃない!」と返しますが、さらに重ねられた「何が違う!なぜ違う!」「この憎しみの目と心と、引き金を引く指しか持たぬ者たちの世界で!何を信じ、なぜ信じる!」の言には言葉を返すことができず、論の上ではクルーゼの完全勝利に終わります。キラは「力だけが僕の全てじゃない」と言いますが、結局はキラの「力」によってクルーゼをボコることしかできませんでした。

ただし、サイやフレイとの相互理解が果たせたこと、両親の存在、カガリの存在によって、確かな言葉として認識することはできなくとも、感覚的に知覚することはできていたわけで。それがラストシーンで描かれる形になっていて。

輝く宇宙に手は届かないかもしれない。クルーゼに対する反論の言葉は持てなかった。フリーダムという飛ぶ翼も失った。それでも。乱す風に負けることなく。進んだ道の先に。光はある。キラはその光を、見た。互いに殺しあったアスランとの和解。銃を向けあったアスランとカガリの理解。フレイとの関係、サイとの関係。その中で、クルーゼの預言に抗いうる、人の力を、見た。わかっていけること、変わっていけること。人の可能性を、「見た」。(←ちなみに「見た」という完了形になっているのは最終話EDのみ。49話までの第4クールEDは「見るから」という未来形)。

これまでの感想でも何度か触れましたが、そういう〆になっているのがSEEDなんですよね。ただし、キラ自身はその可能性を確かな言葉として認識することはできず、具現化する術も知らず。ゆえにDESTINYでは苦闘をつづけるのですから、SEEDの幕の閉じ方の9割はアンハッピーな内容だったと言えるでしょう。そんなSEEDの幕の閉じ方に感涙しつつ、それを登場人物の口から直接語らせることなく、背景の映像やバックに流される主題歌を混成させて表現した演出を見て、ぐらすはSEEDシリーズに惚れこんだんですよ、実は。

ぐらすがマジモードでDESTINYを見たのは、これが理由だったりします。そして、これまでDESTINYを楽しんでこれたのは、この経験があったからこそだったりします。なので、これまでのDESTINYの感想でも、言葉を使わずに表現する「演出」に注目しながら、演出にこめられた含意を汲みながら、話を追いかけてきたんですよ。DESTINY50話の放送前も「前作最終話で見せた(略)神演出&構成を見せてくれんかな」とこぼしていましたが、それは原体験とも言えるSEED50話演出をもう一度見たいなぁと、そう思っていたからこそのポロリ感想だったわけです。


■DESTINY FINAL-PLUS演出

その上でDESTINY50話を見ると、レクイエムの爆光やメサイアを破壊していくフリーダムといったビジュアル演出が面白かったのですが、台詞を背景映像によって補完するタイプの表現はほとんどなかったと思います。キラと議長の会話にレイの表情を重ね、それによってレイの変心を説明する、という部分くらいではなかったでしょうか(詳細は後ほど)。

そういう意味では、DESTINY最終話は「台詞+背景画像=コノテーション燃えー!」な感性を持つぐらすを完全には満たしてくれなかったのですが、やってくれました、FINAL-PLUS!

- 台詞回想&幻影背景映像
1しかし、すごいものだな - 戦況
2 - 何がだ? -
3戦い、戦い、戦いだ
人は本当に戦うのが好きだな
- 戦いつづける登場人物たち
4 - 君は違うのか? -
5私は勝ちたいだけだ
戦いたいわけではない
- タリアとの別れ
6 - だが勝てないものもある -
7あぁ…戦っても勝てない
どうしても得られない
なら人は、なぜ生きる?
なぜ生まれる?
- レイ(クルーゼの幻影)と戦うキラ
戦いつづけるラクス
シンVSアスラン
カガリ、メイリン、マリュー、ムウ、虎
8 - 言ったはずだ
ただそれを知るためにだと
君は気に入らんかもしれんがね
-
9あぁ、気に入らないねぇ
私はごめんだ
君のように足掻くのも、負けるのも
- タリアとの安らかな日々
悲しい別れ
10ラウ・ル・クルーゼ…!? - メンデルでのクルーゼとの邂逅
11人の夢!人の未来!
その素晴らしき結果、キラ・ヤマト!
ならばお前も!
今度こそ消えなくてはならない!
俺たちと一緒に!
生まれ変わるこの世界のために!
- -
12 - ねぇ…ラウは?
→ラウはもういないんだ
え?なぜ?
フリーダムに貫かれた
プロヴィデンスの最期
13 - だが、君もラウだ
それが君の運命なんだよ
DNA螺旋
家族の死に慟哭するシン
命令のままに戦うステラ
戦いつづけるシン
14逃れられないもの、自分
そして取り戻せないもの
それが過去だ!
だからもう終わらせる
これまでの全ては!
そして
あるべき正しき姿へと戻るんだ!
人は!世界は!
- 過去から逃げたアスラン
オーブの碑の前に立つシン
再びフリーダムに搭乗したキラ
為政者カガリ
ラクスになれなかったミーア
過去をもてなかったレイ
ブルコスの暴走
ジョージ・グレンの改革
15でも違う!
命は何にだって一つだ!
だからその命は君だ!
彼じゃない!
- -

必見なのは、表中の色を変えた部分。項目(7)は、デュランダルの「勝てない」可能性を語っているだけでなく、現にキラやラクス、シン、アスランといった登場人物も「勝てていない」ことを表現していて。項目(13)は、レイの運命を語っているだけでなく、同じように他人から与えられた運命の中で生きるシンやステラも表現していて。

一見するとデュランダルやレイについて語っているように見えるのですが、実は前作主人公と今作主人公たちの説明にもなっているわけです。彼らは誰も勝てなかった、彼らは誰も勝てていないのだ、と。そうして議長サイドとラクスサイドの説明を同時並行に進めてきた結果、項目(14)では、ジョージ・グレンが禁断の実を食べたことで始まった全ての事象、つまり「人」「世界」といった大集団をも説明する形に落としこまれ、アバンのモノローグとつながって、クルーゼとの最後の対決へと至るタメになっているわけですね。

台詞に回想や背景映像を交えることで、デュランダルやレイについて語っているように見せながら、実は全ての登場人物を語り、最後には種世界全体の説明と成す。そんなステキ演出&脚本が約5分。このシーンを構成するために必要なパーツを配置し、つながりを持たせ、物語全体を丁寧に構成してきたからこそ可能な芸当。まさにそれまでのSEED&DESTINYを総集したシーンと言えるでしょう。そして、このシーンを受けて、最後の〆に、クルーゼとの最後の対決に突入していくというわけで。

言葉を聞き、映像を追いかけ、つながりを読みこむ。その上で〆に向けたタメ完了。もう大満足♪ FINAL-PLUSとしてのストーリー的な〆は議長の最期とオーブの碑前イベントで描かれることになりますが、演出としての総まとめ、SEEDシリーズで用いてきた表現手法の集大成が、このシーンに込められていたように思えてなりません。演出、表現手法という側面についての話になりますが、SEED、DESTINYと種シリーズを見てきてホントに良かった。そう感じた瞬間でした。


■完璧超人の素顔

上の「DESTINY FINAL-PLUS演出」の表中項目(1)〜(9)ですが、あれは議長の行動原理を補完する形にもなっていて、キラに銃を向けてからレイに撃たれた後のタリアとの会話まで、議長の言動に重みを加えてもいたように思われ。タリアとの別れをきっかけに、負けることを嫌うようになった。なんとしても勝つことにこだわるようになった。デスティニープランという「運命」を用意した。それを実現するための「運命」を用意した。遺伝子に基づいた運命を授ける神官として、各登場人物の能力に見合った役割を与え、勝つべくして、叶えるべくして、計画を進めた。

勝つためには手段を選ばず、躊躇なくレクイエムを照射してアルザッヘルを破壊した。味方も巻きこんでNジェネシスを撃った。負けたくない。二度と負けたくない。勝ちたい。望む未来を。今度こそ。そんな議長のこだわりがキラに向けた言葉の裏に秘められているかと思うと、運命に負けないために運命を利用するアンビバレンツが秘められていたかと思うと、もう人間くさくて人間くさくて。そこにはありました。完璧超人でありつづけた議長が、ギルバート・デュランダルとして垣間見せた素顔が。


■ギルバート・デュランダル

それが最期のシーン、タリアの「これも運命なのかしら」を受けて零れ落ちた「やめてくれ…」の一言を深めていたわけで。誰よりも運命の力を知っていた。誰よりも運命を嫌い、誰よりも運命を拒んだ。自ら運命を切り開こうと、自ら運命を作り出そうと。そのために皆を運命に縛りつけた。自らを縛った運命。それを使えば、今度こそ勝てると思っていた。だが、勝つために運命論者となった議長を待っていたものは、運命の敗北。そして、議長自身、誰よりも議長の作り出す運命を望んだレイに撃たれ、命が燃え尽きようとした瞬間、望んだものは、運命ではなく…

ギルバート・デュランダルとしての想い。タリア・グラディスと添い遂げること。

タリアとの別れをきっかけに、勝つことにこだわるようになった。だがタリアが戻ってきた今、負けたことの悔しさよりも、タリアと添い遂げられる嬉しさがあった。運命が敗れた悲しみよりも、自由に生き、想いを遂げることのできる喜びがあった。

タリアとの別れを強調した上で、議長の「勝ちたい」という基盤も補足説明しておいた分、それをひっくり返して、勝つこと以上にタリアと添い遂げられることを嬉しいと感じた議長の最期が、運命よりも自由を選んだギルバート・デュランダルの最期が、実に鮮烈で、人間味があって。

最期に議長が選んだものは、運命ではなく自由意志。ほんのわずかな一瞬、ギルバート・デュランダルが選んだ未来。デュランダル視点で見ていくと悲劇的なラストではありますが、単なる悪役バッシングではなく、正義を相対化してきたDESTINYらしい救いがあって。本編最終話以上に強調されたデュランダルへの救い、タリアと議長の物語のラスト。デュランダルの「勝ちたい」という基盤を描いておいた分、より深く感情移入できる作りになっていて、ステキに良かったです。


■本艦の戦闘は終わりよ

軍令を下すメサイアは崩れた。ミネルバの戦闘力ももうない。軍人としての戦闘は終わり、それと同時に始まる、タリア・グラディスの戦い。タリア・グラディスの選択。

デュランダルの場合は「勝ちたい」という基盤を描いたことで、さらに一歩深めた「タリアと添い遂げたい」という想いが強調され、最期の「これも運命なのかしら」→「やめてくれ」のコンボに見えるギルバート・デュランダル個人のアンチ運命っぷりや自由意志が際立って、前作主人公たちとの「似ている」部分がメッサ強烈に伝わってきたのですが。

タリアの場合は、それまで愚直なまでに議長の与える「運命」に従って命令を全うしてきたことが、最後の最後で艦長としての任から放れた際のタリア・グラディス個人の自由意志を際立たせる形になっていて、タメ→解放→燃えの基本公式どおりの熱さを見せてくれたと思われ。

同時に、これは子を持つ親御さんには受け入れられない選択だと思うのですが、プラント政府の定めた運命に従ってデュランダルと別れ、子を産んだタリアが、運命から離れた個人として選んだものは、運命に従って生んだ子ではなく、自由意志に拠って添った男だったという。親と子の関係という面では褒められた選択ではないでしょうが、DESTINYが歩んできた「運命と自由」の対立テーマの面で、タリア・グラディスの「選択」「変化」が感じられ。タリア自身そのことを誰よりも別っていたでしょうから、タリアの「これも運命かしら、あなたと私の」というのは、デュランダルに向けた皮肉であるだけでなく、自分に向けた自嘲でもあったんでしょうね。本編視聴時には気づきませんでしたが、今回のFINAL-PLUSを見ていて感じた次第。SEED27話のフレイ→キラへの罵倒もそうですが、こういうのは好きー。


■アーサーたん

ついでに言うと、これは本編感想でも書いたことですが、40話のシンの勲章授与式では周りに合わせて拍手することしかできなかったアーサーたんが、そんなタリアに向けて自らの意志で敬礼しているんですよね。アーサーたん自身はまだ確固たる自覚はないでしょうが、シンと同じく民を象徴するキャラクターであったアーサーたんが、物語の最後に見せた意志、変化。さりげに熱かった。


■キラVS議長

基本的には本編50話と同じですね。追加されたのはアスランの立会いくらいですが、キラの「僕たちはそうならない道を選ぶこともできるんだ」に、己の道を己で選んだアスランの姿をカットインするあたり、ピコっと上手いです。アスランと議長の関係は、もう一人の議長であるラクスとの会話(42話)によって一段落ついているので、改めて突っこんだ会話はなし。ただ同席したという事実のみを添加した形ですね。これはこれでアリでしょう。

会話の内容的には大きな変化はないですね。SEED最終話でキラが感じた「相互理解の可能性(わかっていけること、変わっていけること)」が遂にキラの口から言葉になって表出。追って「一人の人間」として「戦う」「覚悟はある」と宣言する、というのがメラ熱いポイントでしょう。前大戦後はヒッキーしていたキラが、クルーゼの問いに対する答えを見つけ、今度こそ戦うことを宣言。これだけでもメラ熱いのですが、オーブの碑前の会話によって補完も為され、だいぶわかりやすくなったかな(詳細は後ほど)。


■レイ・ザ・バレル

今回のFINAL-PLUSを見て、ぐらす的ベストなのが実はこれ。とは言っても、声を撮りなおした以外は大きな変化はなかったと思いますが。いや、アバン〜中盤でクルーゼとの最後の対決をアピールしてきたことが、クルーゼの幻として戦ったレイの解放をより深く表現することにつながったのかな。このあたりは自分でもよくわかりません。とりあえず内容をドゾー。

あ、その前に。11月の日記でも軽く触れたことですが、これまでのレイを理解するためには、彼の「キラやクルーゼと同じく、造られた存在である」という設定を見て、彼はキラの「IF」であることを押さえておくことが大前提になります。前作SEEDの中でキラがSコーディネーターとしての「力」に囚われて苦しんできた過去は、レイやクルーゼにも共通する過去だと。レイやクルーゼはもう一人のキラなのだと。それを押さえておかないと、彼が何を苦しみ、何を求めたのかが見えなくなると思われ。その上でレイ語りをドゾー。

▼レイ変化の過程

- 台詞背景映像
1 でも、僕たちはそれを知っている
わかっていけることも、変わっていけることも
レイの表情変化(1)
2 どんなに苦しくても、変わらない世界は嫌なんだレイの表情変化(2)
3 僕はただの、一人の人間だレイの表情変化(3)
4 覚悟はあるレイの表情変化(4)

苦しかった。

人はわかりあえない。変わることもない。そう思っていた。だから世界は変わらないのだと。そんな世界の中で、自分は一人の人間として生きられなかった。遺伝子に呪縛されたFATE。ラウ・ル・クルーゼとしての生。そんな今を生きることしかできなかった。ただの一人の人間になることはできなかった。

キラ・ヤマト。彼もそうだと思っていた。違うのは、最高のコーディネーターとしてのFATE。最高のコーディネーターとしての生。失敗作として生まれてしまった自分とは違い、彼は最高のコーディネーターとしての約束された未来を生きているのだと。そう思っていた。

だが、違った。

目の前に現れたその少年は、人はわかりあえるのだと、変わっていけるのだと、そう信じていた。それが世界を変えると信じ、そのために戦っていた。その少年は、最高のコーディネーターではなかった。最高のコーディネーターとして戦ってはいなかった。ただの一人の人間だった。ただの一人の人間として、戦っていた。自分と同じように、苦しみながら、己の運命と。

少年は言った。覚悟はある、僕は戦う、と。

失敗作だったからではない。覚悟を持てる強さ、覚悟を持てない弱さ。それがキラ・ヤマトと自分の運命を分けた。議長は、過去も現在も未来も持てない自分に、たった一つだけ、もう一人のラウとしての今を与えてくれた。だがそれは、自分をラウとしての運命に縛りつけ、未来を否定するFATEでもあった。生きたかった。レイ・ザ・バレルとしての今を。未来を。欲しかった。レイ・ザ・バレルとしての過去を…

そして放たれる銃弾。議長が悪いのではない。運命を与えてくれた議長が悪いのではない。それでも、撃たずにはいられなかった。ラウの幻としてキラを撃つのではなく。レイ・ザ・バレルとして、議長を撃たずにはいられなかった。彼の明日は、キラ・ヤマトの欲する明日は、自分が欲した明日でもあるのだから…

それでも、デュランダルは自分を許してくれた。タリアは自分を受け入れてくれた。それを知った瞬間、消えていくクルーゼの幻。レイ・ザ・バレルになれた自分。たった一瞬でも、レイ・ザ・バレルとして生きることのできた喜び。そして同時に得られた、レイ・ザ・バレルとしての過去。父と母。何よりもレイが望んだもの…

このあたり、10月に最終話を見た時とはだいぶ印象が変わったかな。11月の日記で「わかりづらい」と書きましたが、前言撤回。議長に向けたキラの台詞、それにあわせて変化するレイの表情。それを見ていくことで、レイの決断を理解できる形になっていたのね。もちろん、前提として「レイはキラのIFである」という理解が必要にはなりますが。

そして、追加された1カット。レイから離れていくクルーゼの幻影。これを見た瞬間、ぐらすボロ泣き。人が抱えるアンビバレンツな想いの切なさ。レイではなく議長に向けられた言葉とレイの心境が絡まりつつ、それによるレイの表情の変化と消えゆくクルーゼの幻を以って、レイの心境を表現する手法。内容と演出が見事に絡まって、もう、もう…

つД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚


■ラウ・ル・クルーゼ

そして、もう一つ。

SEED最終話では嘲笑しながら消えていったクルーゼ。それが今、全てから解き放たれたような微笑を浮かべ、虚空に溶けて消える…

キラが言ったように、レイはクルーゼではありません。あの映像はレイ・ザ・バレルの胸の中で生きていた、レイ・ザ・バレルにとってのクルーゼにすぎず。ラウ・ル・クルーゼ本人が何を思い、何を欲したのか。今となっては、それは誰にもわかりません。でも。それでも。ラウ・ル・クルーゼは認めたのだと。許したのだと。そう思いたいです。


■虚空に撃たれる信号弾、それを見る民

オーブの碑前イベントに話を持っていく前に、これは語っておかないと駄目かも。

ぐらすはDESTINY50話感想や総まとめで、度々「シンの答えを出さないことで、視聴者に『何が正しいと思う?シンと一緒に考えよう』と問いかける形になっているんだ」といったことを語ってきました。何が正しいのかは視聴者自身が考えよう。そう描いてきたDESTINYというアニメは、崩れゆくメサイアを見たシンが何を選ぶのかを示さないことで、最終的に視聴者に問いかけたのだと。そうして幕を閉じたのだと。そう言ってきたと思います。

その意味で、今回の年末スペシャルが放送されると知ってから放送日までの間、ぐらすとしては、シンを初めとする種世界の民が答えを「出す」ことはやめてもらいたいなぁと思っていました。50話の感想だかまとめ感想だかは忘れましたが、事後譚が作られるとしても、シンの扱いは「答え」を出さないスタイルにしてもらいたい、そう言っていたと思います。

そして今回の年末スペシャルです。追加されたシーンはいくつもあるものの、メサイアからフリーダムが脱出するシーンまでの内容自体は、ほぼ本編と同じ。そこから新規エピソードが展開されます。虚空に打ち上げられる信号弾、流れるラクスの歌。そして告げられる停戦勧告。市民に向けて流される戦場の映像。

そのとき、画面に映っていたものは、種世界の民の顔。顔。顔。わけもわからず戸惑うコニール、心に秘めた何かを感じさせる砂漠のレジスタンス。それぞれに、それぞれの選択を迫られた市民の顔が、そこにはありました。あれだけラクスやミーア、デュランダルの言葉を鵜呑みにしてきた民たちが、今やっと、自分で考えることを求められた瞬間です。本編最終話でシンが見せた顔が、そこにはありました。あまりに綺麗な閉じ方で、直前のレイの最期に引きつづき、ぐらす号泣。

その後のオーブの碑前イベントは、シン・アスカ物語の閉幕として意味はありつつも、DESTINYというアニメ全体の閉幕としては、このシーンで終わっていたんじゃないかな。残りの時間は、シン・アスカ物語の閉幕にして、制作者から提示された一つの回答例といったところでしょう。またこれがステキに綺麗な回答例なんで、本編でやってほしかったかなーとか思う反面、どう考えても尺的に不可能なんで、まぁ仕方ないか…と思う次第。


■メイリンたん

オーブ碑前イベント感想に入る前に、ピコっとこれを。キラ&ラクス、シン&ルナ。それと同格扱いになっているアスラン&メイリン。OPのアスラン&カガリ腕交差はダミーですか?と小一時間(略

ルナとメイリンの和解を盛りこむためにルナとメイリンを同席させるというのはわかるのですが、カップリングを度外視するなら、ラクスを外してキラ&カガリをペアにするとかでもよかったような。んで、アスラン修羅場突入とか。シンとカガリの決着もつくでしょうし。

あーでも、そうすると、このシーンのテーマが発散しちゃうかぁ…。8話ラストの再現(キラ&ラクス&シン)にもならんしねぇ。あれやこれやとアイデア出すのは楽なんですが、それを取りまとめて形にするのは難しいもんですな。

それはともかくとしても、結局アスランとカガリはどーなったんでしょ。OP映像だけでなく、アバンで追加されたオーブでの出陣式では、単に幸運を祈る祝福のハグにしてはアスランの胸に顔を埋めるカガリの図もあったんで、てっきりヨリを戻す系かと思っていたんですがねぇ。まぁ、二人の相互依存は解消されたわけですから、物語の主軸に絡む部分は昇華されているのですが、ネタとしてどうなったか気になるなぁ。気にしても仕方ないことですけどね。


■朝

そんなこんなで、オーブの碑前イベントです。8話以上に崩壊したオーブ。碑の周辺。8話のラスト、この地でシンは言った。いくら綺麗に花が咲いても、人はまた吹き飛ばす、と。

けれど、花が吹き飛ばされた世界はもっと嫌だと。そう思って戦ってきた。勝手に戦渦に国民を巻きこんで花を吹き飛ばしたオーブが嫌で、それを思い起こさせるこの地が嫌で。だから議長を信じて、花が吹き飛ばされることのない世界を作るために戦ってきた。でも、それが正しいことなのか、ずっと気になってて。その結果、この地、オーブの花を吹き飛ばしたのは、自分だった。荒れ果てたオーブの地は、もっと嫌だった。そんな自分の行為は、もっと嫌だった。

オーブ寄りの価値観を示しながら議長サイドの正義に身を委ねてきたシンらしい言葉ですが、そこにキラ&ラクス登場。

手をさし伸ばすキラ。キラは言う。駄目かな…?と。

手を握り返すシン。背景に光る朝の薄明かり。飛び立つトリィ。

ようやっと訪れた朝。シンとキラ、シンとアスラン、キラとアスラン。夕焼けの中で道を別った三人が、今、時を越え、朝を迎えたオーブで和解。そして、8話のシンの言葉の中に現れた、クルーゼとの相互理解。キラは言う。人は綺麗な花を吹き飛ばすかもしれないと。それでもキラは言う。僕はまた、花を植えるよ、きっと、と。

それがキラの戦い、アスランの戦い。人の業との戦い。自分自身との戦い。俺たちは何とどう戦えばいいのか。その問いに対する、キラとアスランの答え。

クルーゼは言った。正義と信じ、わからぬと逃げ、知らず、引かず。それが人だと。それを知るために生きるのだと。その果てに終局を迎えるのだと。

それを飲みこんだ上で、それでも抗いつづけることを選んだキラ・ヤマト、アスラン・ザラ。そして、それを認めたシン・アスカ。レイ・ザ・バレル。そして、ラウ・ル・クルーゼ。

君の姿は僕に似ている。静かに泣いてるように、胸に響く。どうしても楽じゃない道を選んでる。砂にまみれた靴を払うこともなく。こんな風にしか生きれない。笑ってうなづいてくれるだろう、君なら。君の姿は僕に似ている。同じ世界を見てる君がいることで、最後に心、失くすこともなく、僕を好きでいられる。僕は君に、生かされてる。


■僕は戦う

そして歩き出す三組。道は違うかもしれない。でも、想いは同じ。そう信じて。

そんなそれぞれの想いに、選択によって生かされている、カガリの戦い。ラクスの戦い。

その行く末は見えない。示されない。

けれど、それでも人は、明日という日を夢見ながら、今日という日を生きられるはずだと。

そう信じて。


善悪の木の実は決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。

だがそれでも。

明日を願い、今日という日を戦うことを選んだのもまた、人なのだ。

全ての真実は 人の行く末は 運命は

自分の中に




といったところで、機動戦士ガンダムSEED-DESTINY FNAL-PLUS、感想終了です。議長とレイのモノローグで脳内( ゚Д゚)ウマー祭りになり、レイの変化と停戦→市民の表情アップでボロ泣きし、オーブの碑前イベントでさらにボロボロ泣き。いや、マジで良かったです。

まぁでも、今回のプラントとオーブの戦い、議長とラクスの戦いを見た市民が何を考え、プラント政府やオーブ政府に何を訴えるのか、ロゴスやブルコスの残党も残ったでしょうし、なにより、人の正義が衝突しあう事がなくなることはなく。デュランダルもクルーゼも足掻くことを諦めた世界。その世界で生きることを選んだ新旧主人公たち。永遠の戦い。終わらない明日。ぶっちゃけ、続編作り放題。ネット上では幾つも続編情報が飛び交っていますが、どうなることやら。

ま、今後どうなるかはわかりませんが、改めて言えることは、種を見てきて良かったな、と。そう思える自分がいます。

全ての真実は自分の中に。



2006年1月4日 ぐらす






感 想 一 覧

機動戦士ガンダムSEED DESTINY

 Phase-38 新しき旗
 Phase-39 天空のキラ
 Phase-40 黄金の意志
 Phase-41 リフレイン
 Phase-42 自由と正義と
 Phase-43 反撃の声
 Phase-44 二人のラクス
 Phase-45 変革の序曲
 Phase-46 真実の歌
 Phase-47 ミーアの日記 全文転載
 Phase-47 ミーア
 Phase-48 新世界へ
 Phase-49 レイ
 Phase-50 最後の力

 Final-Plus 選ばれた未来



 SEED-DESTINY 1クール分
 SEED-DESTINY 2クール分
 SEED-DESTINY 3クール分
 SEED-DESTINY まとめ感想