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英雄伝説 III 〜 白き魔女 〜  バレなし感想

おこーんばーんわー。ぐらすです。さてさて、短期集中連載「英雄伝説語り」も、これまで二回を消化。今回からは、各種コンシューマ機でリメイクされてきた「ガガーヴ・トリロジー」について語ってみたいと思います。

ということで書き始めたのですが、前回の感想でも触れていたとおリ、やはりIIIからVまでを一回分にまとめきるのは無理でした。なので、今回は基本的にはIIIについて語ってみて、IVとVについては書きながら判断していく方向で。


■プレイ環境について

この「ガガーヴ・トリロジー」は「英雄伝説III - 白き魔女」「英雄伝説IV - 朱紅い雫」「英雄伝説 - V海の檻歌」の計3作品を指すのですが、このシリーズ、今までPC98、プレステ、SS、WIN、携帯アプリ、PSPと何度も移植されてきた、隠れた人気作だったりします。

それはそれで喜ばしいことなのですが、移植の過程でゲームシステムやシナリオに手を加えられたケースがあって、プレイする環境によっては受ける印象にズレが生じることもあったりなかったり。特に大きいと言われるのは「朱紅い雫」のPC98版→WIN版の変化なのですが、システム面ではかなり、難易度調整の面ではとてつもなく大きな修正が加えられているんですね。(PC98版の難易度は鬼)。

もちろん、環境の差がほとんど影響しないケースも多い(と聞く)のですが、一つ一つ整理していっても埒があかず。ですから、ぐらすとしては今現在もっともスタンダードと思われる(のはPSP版かもしれませんがPSP持ってないので手元にある)WIN版をベースに語っていこうかと。それ以外の環境でプレイされた方と、微妙にズレることがあるかもしれませんが、何卒ご理解を。


■ネタバレについて (注意!!!!)

今回のガガーヴ・トリロジーから「ネタバレあり」「ネタバレなし」のページを分けました。
お好きなほうを選んで、お読みください。


■世界設定(地理)

このガガーヴ・トリロジー(英雄伝説III&IV&V)で舞台となる世界は、IとIIで舞台となったイセルハーサとはまったくの別物。何のリンクもしていない別世界が舞台になります。

三作品それぞれの舞台となる場所は、共通した一つの世界として存在はしています。奥歯に物のはさまった物言いですが、こんな物言いになってしまうのは、IIIの舞台となるティラスイール、IVの舞台となるエル・フィルディン、Vの舞台となるヴェルトルーナが、空間的にはつながっているものの、交流はまったくなく、互いの存在すら知らない世界ということになっていることが原因になります。

というのも、これら三つの世界を分断する、物理的な障害が存在するんですよ。一つは、大地に大きく開いた断崖、ガガーヴ。もう一つは、天高く連なる峻険なる山脈、大蛇の背骨。この二つが各世界の間に横たわり、交流を妨げているわけです。

ちなみに、イメージで言うと「⊥」な感じ。右上がティラスイール、左上がエル・フィルディン、下がヴェルトルーナ、横棒が大蛇の背骨、縦棒がガガーヴ。そんな具合になっているのですが、やはり気になるのは、縦棒の位置に存在するガガーヴ。シリーズタイトル「ガガーヴ・トリロジー」の名の由来にして、三つの物語をつなぐ「謎」が眠る場所、ということになりますが、それはまた少し先の話。ネタバレ全開になるしねー。


■世界設定(時間)

そんな感じで地理的な特徴を押さえてもらえましたら、次は時間の流れをば。ストレートにIII→IV→Vと進むのではなく、IV→V→IIIという順で進みます。IVとIIIの間は約5年、IIIとVの間は約50年。

発売された順番と時間の流れが異なるため、人によっては「時間の流れに沿ってプレイした方がいいよ」という人もいれば、そうではなく「発売順にプレイした方がいいよ」という人もいるのですが、ぐらすが提唱したいプレイルートは「III→IV→V→III」だぜコンチクショー!

というのも、Vは世界設定すべてにおいてネタバレしまくりな内容なので(シリーズ最終作なので伏線回収せにゃならん罠)、最後にプレイする方が良いでしょう。IVの直後にVをプレイした方が色々と熱い場面もありますから、IVをプレイするのはVの直前が望ましいかと。このように、最後にプレイするのがVで、その直前にIVをプレイするのならば、必然的に、最初にプレイするのはIIIということになります。つまり、発売されたIII→IV→Vの順番でプレイするのが望ましいというわけですね。ですが、IIIが最も遅い年代の話になることを考えると、IVとVの歴史を踏まえ、トリロジー全体の謎も理解した上で、時間的に最後となるIIIをプレイするのも、かなり激熱なんですよ。IIIのラストは、IVやVの物語の上に成立しているわけですから。

そう考えると、最初にIII→IV→Vとプレイした上で、最後に+αでIIIをもう一度プレイ。これが最強。この順でプレイすると、おそらく最後のIIIエンディングでは「ゲルドたんがーゲルドたんがービェェェーン つД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚」なことになるかと思われます。断言はできませんが、少なくともぐらすは、それが一番燃えました。


■英雄伝説III 簡単サックリ導入編

さてさて、舞台となる世界の概要はつかんでいただけましたでしょうか。概要をつかんでいただけましたら、お次は内容的な話にGO。とは言っても、まずはネタバレにならない程度の作品紹介になります。ゲームのケース裏面に書いてあるような内容ですが、ザックリと紹介をば。

先に説明したように、この「英雄伝説III - 白き魔女」は、ティラスイールの地を舞台に繰り広げられることとなります。時間的に見ると、3作品の中で最も遅い時代。この前に位置づけられるVから見ると、かれこれ50年後のお話ですね。Vで青少年だった人間が、IIIではシワクチャ爺さまになるくらい、とイメージしていただければ。

主人公となるのは、泣き虫ジュリオ14歳と、おてんばクリス15歳。村の成人儀式として、二人がティラスイールを一周する、古式ゆかしき巡礼の旅。それが、このIIIの物語になります。

この「巡礼」の旅というのは、古に存在した「魔女」たちの巡礼を模倣したもので、現在では、巡礼地としてティラスイールに5箇所ある「シャリネ」と呼ばれる聖地を、儀式用の「銀の短剣」を持った少年少女が巡る、という形で行われています。

もっとも、この巡礼、今では非常に珍しい習慣になっていて、ジュリオとクリスが育ったラグピック村以外ではほとんど実施されることがなく、ラグピック村でも巡礼実施は5〜10年ぶり。簡素化された「巡礼」の習慣は、各地にも残っているようなのですが、銀の短剣を携えての古式ゆかしき巡礼の旅となると、それはもう非常に珍しい習慣になっているわけですね。

ちなみに、IIIの作中で明言されることはありませんが、そんな廃れた風習がなぜラグピック村という山あいの寒村に残ったのかについては、理由があるようで…


■魔法の鏡

ということで、そんな古式ゆかしき巡礼の旅にジュリオとクリスは旅立つわけですが、その巡礼の旅の中で、ジュリオとクリスは、未来を示す二つの事象に出会うことになります。

一つは、シャリネにある「魔法の鏡」に映しだされる映像。ジュリオとクリスが巡礼で訪れるシャリネには、魔法の鏡と呼ばれる装置があるのですが、この不思議装置、巡礼用の「銀の短剣」を祭壇に置くと、巡礼者に不思議な映像を見せてくれるんですよ。

伝承によると、鏡は旅人に来るべき未来の「可能性」を見せるらしく。ジュリオとクリスも、来るべき未来の可能性、なのかどうかはわかりませんが、とりあえず不思議な映像を見ることになるわけです。

もっとも、魔法の鏡に映る映像は、直接的に未来を伝えるような具体的な映像ではなく、暗喩のようなものにすぎません。時おり核心めいた映像も映ることは映るのですが、ジュリオとクリスの持つ知識からは、その映像が何を意味するのかを理解することができなかったりします。

言ってみれば、映し出された「未来」が目の前に現れた時、はじめて「あーこういうことだったのね」と理解できるようなレベルであって、見た時点では「何だかわからんもんが映ってるなー」程度のものにすぎないわけですね。その程度の映像を見せるのが「魔法の鏡」だと思ってくださいな。


■予言

そんな魔法の鏡とは別に、ジュリオとクリスが出会うこととなる、未来を示すもう一つの事象。それが、予言。

ある人物がティラスイール各地に残した、謎めいた予言の詩。ジュリオとクリスは行く先々で残された予言の詩を聞き、そこに秘められた「未来」を知ることになります。

予言を残した人物は、20年ほど前にティラスイール全土を旅した一人の女性。その女性は、こう呼ばれました。白き魔女、と。

白き魔女と呼ばれたその女性は、古の魔女と同じようにティラスイール全土を巡り、行く先々で予言を残しました。良い未来も。悪い未来も。そんな彼女も、いつしか人々の前から姿を消し、今では言い伝えの一つとして語り継がれるのみ。彼女がどこへ消えたのか、それを知る者はなく…

ジュリオとクリスは、巡礼の旅の中で、魔法の鏡の映像だけでなく、白き魔女の残した予言とも出会うことになるわけですが、その二つによって示される未来は、やがて二人の前に現れることとなります。初めはそれぞれに独立した「未来」を示していた二つの事象。けれど、次第に二つは重なりあい、一つの来るべき「未来」を示すことになります。


■ゲームとして - 詩うRPG -

さてさて、以上が「英雄伝説III」の簡単な導入になります。ジュリオとクリスが旅の果てに見るもの、知る世界。それらを通じて描かれる物語のテーマ。それについては皆さんの目でお確かめいただきたく。ここから先は、そういったストーリー部分は抜いて、ゲーム全体を総合的に語ってみようかと思います。

このゲーム、初めて世に出たのは1994年3月。有名どころとの比較で言うと、FF6発売の一ヶ月前になります。

スーファミなどのコンシューマー機ではなく、パソコン(PC98)用として発売されたのですが、2Dのグラフィック、経験値を稼いでのレベルアップ、一本道のシナリオ、戦闘が地味など、ゲーム性としては、94年当時の水準から見ても、お世辞にも優れているとは言えないものでした。

とはいえ、老舗「ファルコム」が開発したゲームであること、スマッシュヒットとなった「英雄伝説」シリーズの新作であることから、パソコンゲーマーの間ではそれなりに注目されていたことも事実。二点のアドバンテージによって、アキバのゲーム屋ではそこそこ大きな販売スペースが確保されていた記憶があります。

ただし、このゲームが注目されていた理由は、単に「老舗のブランド物だから」というだけではありません。ゲーム性の点では今ひとつ売りのないこのゲームが、パソコンゲーマの中で注目されていた理由。それは、このゲームのキャッチコピーにありました。

詩うRPG

ま、なんのこっちゃ今ひとつわからんでしょう。台詞に合わせて音声が出力されるゲームでもありませんしね。

ただし、わからないなりに伝わってくるニュアンスもあるんじゃないかと。そこに霊験あらたかな「老舗ブランド品」のパンチ力が重なって、このゲームを手にした人間も多かったようです。少なくともぐらすはそうだったのですが、そうしてゲームを購入し、家に帰ってプレイスタート。

オモシロ━(゚∀゚)━イ!!!

詩うRPG。その言葉に込められた「物語る」ということへの強い意志。それがゲーム全体に詰まっていました。

繰り返しますが、ゲーム性の側面から見ると優れてない、というよりもレベルは低いです。94年当時ですら今ひとつでしたから、PSPに移植された04年の水準で考えれば、ゲーム性の面では( ゚д゚)ポカーンな一品かと思われます。

ですが、それを補って余りある、というか、むしろ「ゲーム性」が低いからこそ、そこに在る「物語」にのめりこめる、という側面があるんじゃないかと思うんですよ。

どこにでもいるような少年少女が、どこにでもある町を巡り、世界を旅し、人と出会い、別れ、その果てに見る世界の姿。心の在り方。

そんな当たり前の、それでいて地に足のついた「物語」を楽しむためには、わずらわしいゲーム性は必要ない。というか邪魔なこともあるくらいなんですよ。

勘違いしてほしくないのですが、ゲーム性なんて一切必要ない、などと言うつもりはありません。あくまで、過度にゲーム性を追及しすぎてしまうと物語に集中できなくなる、といった程度のものです。そりゃ2Dよりは3Dの美麗グラフィックの方が良いでしょうし、多少なりとも派手な戦闘エフェクトがあった方が盛り上がるでしょう。

ですが、たとえば経験値稼ぎのための戦闘に時間を費やしたり、たとえばFFのジョブシステムのように物語以外の楽しみがあったりすれば、どうしてもそちらに意識が持っていかれる部分ができてしまい、物語に集中しきれなくなる側面があるんじゃないかと。

その意味では、いっそのことゲーム性の部分をバッサリ削ぎ落とし、物語ることにのみ特化したRPGを作ることも、一つの実験として見れば十分に「あり」な選択だと言えるでしょう。そして、そんな実験の結果として生まれたのものが、この「英雄伝説III」だったわけですね。

結果から言えば、この「実験」は成功しました。物語ることへの意志。こだわり。それは多くの人間をひきつけ、続編の制作、様々なメディアへの移植といった形で昇華され、現在へと至ります。

昇華の過程では、IIIでバッサリ削除したゲーム性も、物語性を保ったままに肉づけされていきました。ゲーム性そのものを楽しむためにゲーム性を高めるのではなく、物語の魅力を最大限に「演出」するためにゲーム性が確保されたわけですね。

結果、当然のことながら、ゲーム全体の完成度は向上していくことになります。これは物語部分の良し悪しとは別で、あくまでゲーム全体の「完成度」の話になりますが、ゲーム性と物語性のバランスという点で考えるならば、なにも「IIIこそが最高傑作!」ということにはなりません。

また、この手の「物語る」ことにこだわったゲームは、最近アニメ化された「Fate」や、同人ゲームから始まってメディアミックスされるまでに人気を博している「ひぐらしのなく頃に」など、いくつか世に存在していますから、英雄伝説シリーズ(III以降)の専売特許でもないでしょう。

ですが、その先駆けとして、90年代前半、物語性を高めることに偏ったゲームを開発し、世に放ったファルコムの実験は、10年後の今、続編制作や最新ゲーム機への移植といった展開を見せ、そこそこ大きな詩を奏でています。


■最後に

以上で「英雄伝説III」の解説&感想は終了になります。

正直、2Dが肌に合わない方、派手なゲームが好みの方、自由度の高いバーチャル世界を楽しみたい方には、お勧めできないゲームです。また、感性も人それぞれですから、英雄伝説IIIの物語が楽しめない方もいるでしょう。III以降のシリーズは序盤はマッタリ進みますから、そこで飽きてしまう人もいるかもしれません。

ですが、それらを踏まえた上でも「ちょびっと興味出たかなー」と思われる方は、プレイしてみてはいかがでしょーか。その時は、一部の移植作については「イマイチ微妙」という話も聞きますから、無難にWIN版が良いかと思われ。amazonやファルコムの通販で購入できたかと(ここはアフィってないんですよー)。

それと最後に。ファルコムの公式HP内にも、このゲームについてのレビューが置いてあります。レビューを書いた方は、坂東齢人さん。おそらく「馳星周さん」と言ったほうがわかってもらえるでしょーか。バリ有名な小説家の人なんで、そちらも興味があれば是非一読を。


ファルコム公式: http://www.falcom.co.jp/ed3_win/index.html

ファルコム掲載レビュー:http://www.falcom.co.jp/ed3_win/review/index.html



それでは、また次回お会いしましょー。




英雄伝説 IV 〜 朱紅い雫 〜  バレなし感想

空の軌跡SC発売まで、あと一週間を切り、感想かきあげるのが難しくなってきて焦ってるぐらすです。こんにちは。時間もないんで、さっそく「英雄伝説IV 朱紅い雫」について語っていこうと思います。

というか、全感想アップがSC発売に間に合わないのはほぼ確定なわけですが、一度はじめた手前、意地もありますんで、時間がかかっても最後まで書き上げようと思ってみたり。


■プレイ環境について

IIIの感想にも書きましたが、移植による変更点が多いガガーヴ・トリロジーの中でも、特に変更が大きかったのが、この「朱紅い雫」になります。

まず1996年にPC98版の英雄伝説IVが発売され、その4年後、2000年にWin版が発売されるのですが、リニューアルの過程でシナリオ、システムともに大幅な変更がなされた上、PC98版では鬼だった難易度(敵の強さ)も、かなり緩和されました。詳しくは後述しますが、これらの変更によって、英雄伝説IVは、路線そのものを大きく変えることになるんですよ。

ちなみに、98年にはプレステ版も発売されているのですが、こちらでは武術レベルがMAXになると操作不能になるバグが発生するらしいので、シナリオやシステム以前に、ゲームとして成立してないじゃん、みたいな。

ということで、最新の移植作となるPSP版については未プレイなのでわかりませんが、少なくともPC98版とWin版については、共通するのは物語の大筋くらいのものなんですよ。PC98版をプレイした方と、Win版をプレイした方とでは、英雄伝説IVについて抱いているイメージは別物と言ってもいいかもしれません。

今回はガガーヴ・トリロジーとしてのIVを語るため、ガガーヴ・トリロジーとしての側面が色濃く出ているWin版をベースに語っていきたいと思います。結果、PC98版をプレイした方とは噛みあわない部分も出てくるでしょうが、PC98版とWin版は別物なんだということで、一つご理解をいただきたく。


■ネタバレについて (注意!!!!)

IIIと同じように、感想を「ネタバレあり」「ネタバレなし」に分けます。お好きな方をドゾー。


■世界設定(地理)

ではまず、地理的な説明を。舞台となるのは「エル・フィルディン」という世界で、IIIの舞台となったティラスイールの西に位置しています。

とはいえ、ティラスイールとの交流は皆無。ティラスイールとの間には、大地には大きく開いた断崖「ガガーヴ」があり、海には「混沌の渦」と呼ばれる異常な潮流があるため、一切の交流はできず、それどころか互いの存在すら知らない関係にあるわけです。

これはVの舞台となるヴェルトルーナとの関係についても同じことが言えます。北にエル・フィルディン、南にヴェルトルーナが存在しているのですが、その間には天高くそびえる山脈、大蛇の背骨が横たわり、二つの世界の交流を阻んでいるわけですね。


■世界設定(時間)

IV本編→5年経過→V本編→50年経過→III本編。こんな感じです。推奨プレイ順についてはIIIの感想にまとめてありますので、そちらをご覧くださいな。結論だけを言うと「III→IV→V→再III」です。


■英雄伝説IV 簡単サックリ導入編

では、地理と時間の関係を把握していただけましたなら、お次はサックリとした内容紹介をば。

時間にして、ガガーヴ・トリロジー3作品の中で、最も早い時代。エル・フィルディンに、一人の青年がいました。青年の名はアヴィン。

子どもの頃は、妹の「アイメル」と一緒に、聖地カテドラールで暮らしていたのですが、ある「事件」を境に二人は離れ離れとなり、アイメルは行方知れず。

以降、賢者「レミュラス」の下で17歳になるまで育てられたアヴィンは、レミュラスが老衰のためにこの世を去ったのをきっかけに、旅に出ることを決意します。レミュラスの下で知りあった「マイル」という親友と一緒に。アイメルを探すために。それがIVの物語。


■光の神バルドゥス、闇の神オクトゥム

そうして旅に出たアヴィンとマイルの二人ですが、彼らの旅を語る上で、欠かすことのできない一つの設定があります。それは、光の神バルドゥスと、闇の神オクトゥムの存在。

時間にして1000年以上も昔のこと。ある意味1000年ほどしか経ってないとも言えますが、エル・フィルディンの地では、光の神バルドゥスと、闇の神オクトゥムが戦いを繰り広げていました。

この戦い、最終的には光の神バルドゥスが闇の神オクトゥムを封じる形で決着がついたのですが、ただ単にオクトゥムだけが封じられたわけではありません。オープニングでも語られることですが、光と闇は対を為す不可分な関係にあるため、闇の神オクトゥムを封じたことで、光の神バルドゥスもまた、力を失うことになります。光の神バルドゥスも、その体を六つに砕かれ、永い眠りにつくことになったんですね。

こうして神々の争いは終わりました。ですが、それから1000年以上もの間、神々の眠る地、エル・フィルディンでは、二つの勢力が争い続けることになります。

一つは、光の神バルドゥスの信奉者たちが集う、バルドゥス協会。闇の神オクトゥムが封じられた「封印の地」の真上に「正神殿カテドラール」を築き、さらに、カテドラールとは別に「聖都ヴァルクド」も建設して、エル・フィルディン全土に光の神の教えを広めることとなります。

もう一つは、闇の神オクトゥムの信者が集う結社、オクトゥムの使徒。こちらはバルドゥス協会とは違って本拠地を定めることはなく、歴史の陰に隠れながら、その力を蓄え、機をうかがいつづけたと言われています。

こうして均衡していた両者の関係が崩れたのが、IVの本編から遡ること8年前のこと。闇の神を奉ずる「オクトゥムの使徒」たちが「正神殿カテドラール」を襲撃し、占拠してしまったのです。以降、カテドラール周辺には闇の結界が張られ、オクトゥムの使徒以外は立ち入ることのできない「禁断の地」と化しました。

ということで、お気づきになられたかもしれませんが、主人公「アヴィン」と妹「アイメル」が生き別れた「事件」とは、この「カテドラール陥落」のことなんですね。


■ドゥルガーの娘

ただし、アヴィンとアイメルは、偶然その場に居合わせたのではありません。

カテドラールを襲撃したオクトゥムの使徒たちは、カテドラールの地下に存在する「封印の地」を押さえ、封じられた闇の神オクトゥムを眠りから呼び覚まそうとしているのですが、それだけでなく、彼らにはもう一つの目的がありまして。

それは「ドゥルガーの娘」と呼ばれる、一人の人間を掌中に治めること。

ドゥルガーというのは、精霊たちの神にして、光にも闇にも与することなく、生と死を司る冥府神。オクトゥムの使徒は、生と死を司るドゥルガーの力を用いてオクトゥムを復活させようと考え、そのために、人間世界におけるドゥルガーの代行者である「ドゥルガーの娘」を必要としていたのです。

そして、そのドゥルガーの娘というのが、アヴィンの妹、アイメルでした。

つまり、オクトゥムの使徒によるカテドラール襲撃は、カテドラールの地下に存在する「封印の地」を押さえることと、ドゥルガーの娘である「アイメル」を掌中に納めることを目的としたものだったわけですね。

結果から言えば、幸いにして、アイメルはオクトゥムの使徒の追撃から逃れることができました。ただし、逃れることはできたのですが、オクトゥムの使徒からすれば、アイメル(ドゥルガーの娘)は喉から手が出るほど欲しい存在ですから、その居所が知られれば、またいつオクトゥムの使徒に襲撃されるかわかりません。

そこでバルドゥス協会は、アイメルの行方を秘中の秘とし、兄であるアヴィンにすら伝えずに隠し通すことにしたのです。それが、アヴィンとアイメルが生き別れることになった理由。


■旅立ち

それから8年。成長したアヴィンは、アイメルを探すため、親友である「マイル」とともに、エル・フィルディン全土を巡る旅に出ます。

どんな時でも挫けず、強い心を持ち続けて、最後には必ず村に戻ってくる。

本当の我が子であるかのように接してくれたマイルの両親と、ウルト村のみんなと、そう約束を交わし、約束の証であり、村のみんなとの絆の証でもある「護りの鈴」を携えて、村を旅立つアヴィンとマイル。

行く手に待つ過酷な運命も知らず、ただ素晴らしい未来だけを夢見て、育った村を旅立つ二人。二人を支えるものは、互いの絆。故郷で待つみんなとの絆。旅先で出会う人たちとの絆。そして、エル・フィルディンのどこかでアヴィンを待っている、アイメルとの絆。

そうして、この物語は幕を開けます。英雄伝説IV、朱紅い雫。その「絆」の物語が、幕を開けます。


■神宝

そうして旅立つアヴィンとマイルですが、彼らの旅を語る前に、もう一つ触れておかなければならないものがありまして。それが「神宝」と呼ばれるアイテムの存在。

アヴィンは、育ての親である賢者レミュラスが息を引き取る直前に、彼から「神宝カベッサ」というアイテムを託されることになります。

この神宝というアイテム。伝承によると、神々の戦いの最後、オクトゥムを封じる際に砕け散ったバルドゥスの神体の一つと言われるステキアイテムでして。ちなみに「カベッサ」は「バルドゥスの頭」と呼ばれています。

ただし、このアイテムは、武器や防具、回復アイテムとしての実用性ではないため、とりあえずは持っているだけ。その用途も存在意義もさっぱりわからない謎アイテムと言えるでしょう。

アヴィンからすれば、育ての親から託された由緒正しそうな逸品なので、何だかわからんけど大切に保管している、といった感じに扱っていると思われ。プレイヤーとしても、当初はその程度の認識でスルーしておいて問題はないと思われます。当初はね。


■ゲームとして - 二つの英雄伝説IV -

という感じで導入部分は終了。

アヴィンの旅については実際にプレイしてみることをお勧めしますが、全体を通した印象としては、光を際立たせるための「闇」が濃い目に用意された物語だったんで、プレイ中にウッキウキな気分で楽しめることが少なかったかも。

その分、タメにタメられたストレスが解放される瞬間、爆発的なカタルシスが感じられて、かなり気持ち良いゲームなんですが、そういう長期的な伏線処理があわない人もいるでしょうし、好き嫌いが分かれるゲームかもしれませんね。


そういった物語部分だけでなく、ゲーム全体をトータルで見てみると、これはプレイ環境によって受けるイメージが大きく異なると思われます。


PC98版について

ぐらすは二種類プレイしているのですが、まず、PC98で登場した初代の英雄伝説IV。これは正直、ファルコムの英雄伝説シリーズとは思えないゲームでした。

というのも、ゲームバランスが悪いんですよ。とにかく敵が強い。レベルを上げるため、サブイベント等に時間を費やすことになるのですが、ダンジョンや敵の種類がワンパターンで飽きやすい。雑魚でも強く、街以外ではセーブもできないので、全滅する可能性もあります。ゲームオーバーになれば、リトライする分、余計に時間がかかってしまうわけですね。

結果、本編の進行以外に多大な時間がかかってしまい、物語そのものに集中しづらくなってしまったんですよ。感覚的には、レベルアップの合間にピコっと物語を進めている感じ。本末転倒、みたいな。

もっとも、これは難易度調整や物語性向上に比重を置いてきた英雄伝説シリーズとしては???な作りなのですが、そういったベクトルで評価して済むかと言えば、そうとも言えないところもありまして。

というのも、この英雄伝説IV(PC98版)というゲーム。オープンシナリオというゲームシステムによって、サブイベント満載なゲームになっています。そうすることで自由度を高め、物語以上に、冒険することそのものを楽しんでもらおうとしていたような。そんな印象を受けるんですよ。

ただし、自由度の高いゲームとして見ても、出てくる敵が同じようなグラフィックの敵ばかりだったり、変わり映えしないダンジョンばかりだったりで、どこに行って何をしていても同じような印象しか得られず、サクッと飽きてしまう作りでしたけどね。

というのが、ぐらすの英雄伝説IVに対する認識でした。PC98版が発売された当初は。少ない小遣いをやりくりして購入したゲームでしたから、意地でクリアはしましたけど、物語も何もどーでもよくなっていて、一回クリアした後はノータッチ。記憶からもスッポリ削除したような扱いでした。というか削除していました。


Windows版リニューアル

それが、2003年だったか04年だったか。別の用事で大阪の日本橋に行った際、ふらっと入ったPCゲーム屋で、Win版の英雄伝説IVを発見。懐かしくなって購入。プレイ。

つД`)・゚・。・゚゚・*:. 。..。.:*・゚

敵の種類もダンジョンのパターンも画一的。オープンシナリオを廃したため、旅の自由度も低下していますから、あいかわらずゲーム性の面では褒められたものではないというか、自由度は下がっているというか。

ただし、PC98版の英雄伝説IVを従来の英雄伝説シリーズと同じベクトルで評価できないのと同じで、Win版の英雄伝説IVも、PC98版の英雄伝説IVと同じベクトルでは評価できないわけですよ。

オープンシナリオを廃し、サブイベントを大幅に削除したということは、その分、本編そのものの比重を高めてきたことを意味します。敵の強さも調整され、英雄伝説IIIと同じように、物語に沿って戦闘を消化していけば無問題。本編の物語一本に集中できるゲームへと大幅リニューアルを遂げたのが、Win版の英雄伝説IVでした。

物語的に見ても、基本的にはIV単体で物語は完結していますが、ポイントごとにIIIとVとの関係性を示唆する描写が加えられ、ガガーヴ・トリロジーとしての側面も強められています。幾重にも重ねられた「絆」の描写を見れば、丁寧に編み上げられた物語であることは十分に理解できるかと。

つまりですね。それまでの英雄伝説シリーズからの脱却を図ったのがPC98版。そこから逆に、それまでの(特にIIIのような)英雄伝説シリーズに戻したのがWin版。といったところなんですね。


フィードバック

PC98版からWindows版への変化。これは、PC98版で目指していたと思われる「自由度の高い冒険を楽しんでもらう」という新しいコンセプトが頓挫し、それを受けるようにして、原点である「物語ること」にファルコムが重点を置きなおした、つまり原点回帰したことを表しているのではないでしょうか。

ゲームの内容としては、IIIやVとWin版IVを比べても、それほど大きな変化はありません。多少のマイナーチェンジは施されていますが、劇的な変化はなく、基本的には同じベクトル上に存在していると言えるでしょう。

ただし、自由度を追及してゲーム性を高めたPC98版と、物語性を売りにして原点回帰したWin版。基本コンセプトが異なることで、一つの物語から二種類のゲームが生まれたのが、この「英雄伝説IV」です。

その二つの反響をフィードバックすれば、必然的に、どのレベルでゲーム性と物語性のバランスを取れば良いのかが見えてくるでしょう。そして、その結果として生まれたものが、以後の英雄伝説シリーズ、つまり「空の軌跡」というわけです。

自由度の面では、IVのオープンシナリオを進化させることで、VIでは「ブレイサークエスト」というシステムが生まれました。ですが、そういったサブイベントを盛り込みながらも、本編から意識を脱線させることなく、幾重にも伏線を織りこみながら、物語を展開させてきます。

英雄伝説IVの二度にわたる開発、試行錯誤を通じて、英雄伝説IIIの開発時点では不完全だった「ゲーム性と物語性のバランス」が、一気に向上したわけですね。

その意味では、結果的にですが、この英雄伝説IVの開発は、後の英雄伝説シリーズの進化&原点確認に大きな影響を及ぼしたように思えます。もちろん(特にWin版は)内容的にも楽しめるゲームですけどね。


■最後に

ということで、長くなりましたが「英雄伝説IV」語りは終了です。次回はいよいよガガーヴ・トリロジー最後の作品、海の檻歌について語ることになります。

トリロジー最後の作品だけあって、IIIやIVで明かされなかった謎が回収されることになりますから、そういった伏線回収も大きな見所になりますが、それだけでなく、IIIやIVで描かれたテーマの行方にも注目したいところ。

ぶっちゃけ、ぐらすの感想もどきを読むよりは、実際にプレイした方が実感をともなって理解することができると思いますが、それでも、読んでくださる方がいらっしゃいましたら、軽い参考程度にしていただければ幸いです。

それでは、また次回―。




英雄伝説 V 〜 海の檻歌 〜  バレなし感想

空の軌跡SC発売から一日経過。鬼のスピードで感想をまとめにかかっているぐらすです。こんにちは。前ふりも早々に切り上げて、本題にレッツゴー。書き終わったらSCプレイ開始じゃオラー


■ネタバレについて (注意!!!!)

III、IVと同じように「ネタバレあり」「ネタバレなし」を分けています。お好きな方をドゾー。


■世界設定(地理)

ではまず、舞台説明をば。場所は「ヴェルトルーナ」と呼ばれる世界。IIIの舞台となったティラスイール、IVの舞台となったエル・フィルディンから見ると、大蛇の背骨と呼ばれる大きな山脈を挟んで、南側に位置します。

ただし、大蛇の背骨は踏破不能、暴風雨と大渦が襲う外界も航海不能なため、ティラスイールやエル・フィルディンとの交流はありません。


■世界設定(時間)

IVでアヴィンたちがエル・フィルディンを旅してから5年後。IIIでジュリオとクリスがティラスイールを旅する50年前。三部作の真ん中の時代です。真ん中と言うにはIVに近すぎますけどね。


■オープニングより

大地にガガーブが刻まれる以前

三つの世界が未だひとつであった時代の記憶は、既に人々にはない。

大地に残ったのは罪の傷痕

人はいつから罪を背負ったのだろう?


■英雄伝説IV 簡単サックリ導入編

この世界。各地で「音楽」が盛んな世界でして、世界を巡る「旅芸人」たちが数多く存在しています。主人公になるのは、そんな旅芸人のマクベイン一座。

座長のマクベイン(63歳)。孫のフォルト(14歳)。フォルトに想いを寄せる少女ウーナ(14歳)。この三人が、暮らし慣れたラコスパルマ村を離れ、ヴェルトルーナ全土を巡るのが、この英雄伝説Vの物語になります。


■水底のメロディー

マクベイン一座の旅には、ある一つの楽曲が関わっています。それは、はるか昔、ヴェルトルーナに存在したと言われる「水底の民」が残した「水底のメロディー」という楽曲。

水底の民は、音を使った魔法によって繁栄を極めたと言われているのですが、魔法を乱用したために「魔王」を呼び覚ましてしまったとか。慌てた水底の民は「子守歌」を唱えて魔王を眠りにつかせたらしいのですが、その後、魔法を封印して、本人たちも姿を消してしまったそうです。

その「子守歌」というのが「水底のメロディー」だと言われているんですね。ただし、事の真偽は不明のまま、夢物語の一つとして、長きにわたって語り継がれていました。

ところが、V本編から50年前のこと。希代の天才音楽家「レオーネ・フレデリック・リヒター」によって、水底のメロディーが再現されたという噂が広まりました。真相は確かめられることはなかったのですが、それについてレオーネ本人が書き残した一冊の書が、巡り巡ってマクベインの手に渡ることになります。

書によると、レオーネは再現したメロディーを「共鳴石」という石に分割して刻みこみ、それぞれの石(計24個)をヴェルトルーナ各地に隠したとか。

まぁ、ここまでなら単なる都市伝説の一つとして片づけられる話なのですが、マクベインたちは、そう記されている書を手に入れた直後、ひょんなことから、共鳴石の在り処を示す「魔法の地図」を発見してしまうんですね。

長年、水底のメロディーに興味を持ちつづけていたマクベインは、共鳴石の存在を知り、また、共鳴石を探知できる魔法の地図を手に入れたことで、メロディーを再現すべく、旅立ちを決意します。

そこに、心配したフォルトの父(マクベインの息子)に言いつけられて、お目付け役としてフォルトが同行。フォルトの旅立ちを知ったウーナも一座に加わり、世界巡業の旅が始まります。


■それぞれの旅

ということで、マクベインの旅は「水底のメロディーの再現」を目的にしているのですが、フォルトやウーナも、それぞれに旅の目的を持っていまして。

小さな頃から音楽に興味を持っていたフォルトは、ゲームの冒頭、近くの街で開かれた演奏大会に参加して準優勝したことをきっかけに、本格的に音楽の道へと進むことを決意。マクベインに同行することで、マクベインから本格的に音楽を習いつつ、実戦経験を積みつつで、音楽(楽器はキタラ)の腕を磨こうとしているわけです。

ウーナはというと、ひたすらフォルト目当て。気になるフォルトが世界巡業に旅立ってしまえば、とうぶん会えなくなってしまうわけですよ。そこで、告白のチャンスを狙って同行することを決意したのが、恋する乙女、ウーナです。とはいえ、楽器(ピッコロ)の演奏もできるんで、オマケ扱いされることはないですけどね。

そしてマクベイン。10年ほど前まで世界中を旅していたベテラン旅芸人(楽器は手琴)で、各地に知り合いも多いみたい。音楽の腕はもとより、自己流の武術で正義の味方みたいなこともしちゃう、ハチャメチャに元気な爺さまです。通称、マック爺さん。決め台詞は「気合じゃ!」。

レオーネが再現した「水底のメロディー」を求めて、10年ぶりの世界巡業に旅立つマクベイン。音楽家としての第一歩を踏み出すフォルト。ほのかな想いを心に秘めたウーナ。それぞれに目的を抱いて、旅立つ三人。

珍道中のはじまりはじまりー。

ちなみに、マクベインやフォルトが飼っている愛犬も同行。名前はジャン。楽器は演奏できませんが、ペロっと一舐め、傷を癒せる名犬です。人語も犬以外の動物語も解する名犬です。防御力が低いので、後方で回復役に専念させましょう。


■ゲームとして - 中継地点 -

以上で導入部分の紹介は終わりです。物語的には、テーマや伏線処理の面で、ガガーヴ・トリロジーを見事に締めくくってくれたわけですが、ゲーム全体をトータルで見ても、このゲームはガガーヴ・トリロジーの終着点としての意味あいが強いのではないでしょうか。

IIIの感想でも触れましたが、このガガーヴ・トリロジーというシリーズは、ゲーム性よりも物語性を重視する、場合によってはゲーム性を捨ててまで物語性に特化させる、というコンセプトで作られたゲームだと思われます。ファルコム公式サイトにある英雄伝説IIIのレビューにも同じようなことが記されていますから、ファルコムもそのことを認めていると言って問題ないでしょう。

ただし、そういったコンセプトのもとに生まれたガガーヴ・トリロジーシリーズであっても、III、IV、Vと続編が作られていくにつれて、少しずつですが、ゲーム性の面でも改良が施されているんですよ。

特に大きく変えられたのは、戦闘システム。戦法を大雑把に指示することしかできず、基本的にはコンピュータ任せのオートバトルだったのが、PC98版の英雄伝説III。そこから考えると、装備する共鳴石によってパラメータや唱えられる魔法の種類が変化するVは、人によって選ぶ戦法が違ってくるため、物語は一本道であっても、道中の戦闘を(それなりに)楽しむことができるわけです。

もっとも、それはあくまでIIIと比較しての話であって、他のRPGと比べると、かなりショボーンな出来であることは確かです。グラフィック的にも、ガガーヴ・トリロジーは最後まで2Dドット絵ですから、それこそ初代プレステのゲームと比べても負けるレベルですね。

ですが、元になる物語が丁寧に作りこまれているだけあって、ゲーム性の改良自体はわずかでも、それによってゲームのトータルバランスや受ける印象、そしてプレイの楽しさが一気に向上したよう感じられると思われ。

もちろん、手を加えるところはまだまだ幾つもあるでしょう。グラフィックの3D化は欠かせないところですし、ゲームの自由度についても、単純にサブイベントを削ぎ落として一本道を進ませるのではなく、物語本編を楽しみつつサブイベントも楽しめるような、そんな絶妙なバランスを求めて試行錯誤していくことも必要になるでしょう。他にも、物語性を維持しつつゲームトータルの楽しみを高めるような方法があるかも知れません。

まだまだ課題は多いです。多いですが、物語性を高めてゲーム性を切り捨てるという実験作(英雄伝説III)から始まり、物語性だけでなくゲーム性も高めるために自由度を大幅に上げてきた実験作(英雄伝説IV)を経て、ようやくバランスの取れた着地点を見出したのが、この英雄伝説Vだと言えるでしょう。

そして、ここで定まった方向性をもとに、その延長線上にある、高い次元でゲーム性と物語性が共存するゲームを開発すべく、ファルコムは走りつづけることになります。

ガガーヴ・トリロジーは、この英雄伝説Vで終わりました。ですが、英雄伝説シリーズ進化の旅は、終わることなく、Win版IVへ、そして、空の軌跡シリーズへと受け継がれていきます。その姿は、あたかも、ガガーヴ・トリロジーの中で「絆」を受け継いでいった登場人物たちのよう。

その意味では、この英雄伝説Vというゲームは、ガガーヴ・トリロジーの終着点ではありますが、その先へとつづく英雄伝説シリーズの開発における、一つの中継地点であるとも言えるでしょうね。

英雄伝説という旅。その旅は、まだまだ終わりませんよー。





感 想 一 覧

英 雄 伝 説

 はじめに
 英雄伝説とは? イセルハーサ編

 ガガーヴ・トリロジー (バレなし)
 白き魔女 朱紅い雫 海の檻歌

 ガガーヴ・トリロジー (バレあり)
 白き魔女 朱紅い雫 海の檻歌

 空の軌跡 (バレなし)
 空の軌跡FC 空の軌跡SC

 空の軌跡 (バレあり)
 空の軌跡FC 空の軌跡SC