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英雄伝説 〜 英雄伝説とは? 〜

こばにゃちわ、ぐらすです。以前、話題に挙げた『英雄伝説』シリーズ語りですが、あれからシコシコ書きつづけ、ようやく発動ですよー。

今のところは週に一〜二度のペースを予定。書き始めるきっかけになった「英雄伝説VII-空の軌跡SC」の発売が3月9日なので、2月末には終わらたいかなぁ。なぜかというと「2月末に語り終了→興味を持った人が「空の軌跡FC」をプレイしてみる→ハマル→SCも購入→という具合に誘導したい」という陰謀が隠されていたんじゃよー!

  Ω ΩΩ < カ、カクシテナイー !!!?

ま、それはともかく、とりあえずは沿革語りから初めて、各作品をてきとうに語っていこうかなぁと。せっかくなんで、景気づけに「てきとうとハンパは違うッッ」とか言ってみる。刃牙みたいに言ってみるッッ。あと、頭の片すみで「客寄せも兼ねてカンコン2にでも出品しようかな〜」とかも思ってはいるのですが、文字だらけでネタっぽさがない。というか、今日のなんて「感想」ですらないという有りさま。イマイチ微妙かも…。ま、先のことはわからんというか「今が良ければい〜じゃ〜ん」というか、そんな感じでレッツゴー。


■概要

では本題に入りまして。とは言っても、頭からいきなり内容を語りだしても面白くはあると思うのですが(少なくとも周辺情報をグチグチと語られるよりは面白いと思いますが)、それだと語っているぐらす自身が盛り上がらないので、とりあえず今日は「英雄伝説」の沿革じみたところから始めて、ぐらすのモチベーションを高めていく作戦で。どーにもねー、そういうところから入らないとショボーンしてしまう性質なんで。

さて、この「英雄伝説」シリーズ。根っこをたどると、ファルコムが1984年に発売した「ドラゴンスレイヤー」というパズル型RPGが源流になります。

この「ドラゴンスレイヤー」というゲームは、その後「ドラゴンスレイヤーII - ザナドゥ」「ドラゴンスレイヤーIII - ロマンシア」という続編が作られることでシリーズ化されていくことになるのですが、続編として作られた「ザナドゥ」「ロードモナーク」といったゲームについては、さらに「ザナドゥ - シナリオII」「アドバンスド・ロードモナーク」といった独自の続編が作られることになりまして。

FFから「聖剣伝説」が派生したのと同じようなもので、言ってみれば「ドラゴンスレイヤーII - ザナドゥ - シナリオII」「ドラゴンスレイヤーVII - アドバンスド・ロードモナーク」といった位置づけになるわけですね。もっとも、ややこしくなるせいか、冗長で野暮ったいタイトルになるせいか、ゲームタイトルに「ドラゴンスレイヤー」を冠することはなく。

また、パズル型RPGを祖としながらも、アクションRPGになったり、普通のいわゆるRPGになったり、はたまた元々のパズル型RPG(の発展系)に戻ったりと、続編によって異なるゲームシステムを採用しているのもポイントでしょう。

そんな具合にシリーズ作品を増やしていった「ドラゴンスレイヤー」ですが、その中から登場した(ドラクエやFFタイプの)RPGが、今回紹介する「英雄伝説」シリーズになります。位置づけとしてはドラゴンスレイヤーシリーズの6作目、つまり「ドラゴンスレイヤーVI - 英雄伝説」ですね。

とはいえ、初代の「英雄伝説」からして「ドラゴンスレイヤー - 英雄伝説」というタイトルであり(DSシリーズの6作目であることを表す「VI」の冠が外されている)、三代目の「英雄伝説III」以降は「ドラゴンスレイヤー」という冠も外されることになります。WINに移植された初代「英雄伝説」にも、移植前についていた「ドラゴンスレイヤー」の冠は見あたりませんから、今や「英雄伝説」に「ドラゴンスレイヤー」としての側面はなくなっているとも言えるでしょう。

なぜ「ドラゴンスレイヤー」という冠を外し、独立した「英雄伝説」シリーズとして打ち出しているのか。その理由までは知りませんが、とりあえず、今回紹介する「英雄伝説」シリーズは、そんな具合に、元は「ドラゴンスレイヤー」シリーズの一つだったということで、ご理解を。


■パラダイムシフト

ま、今や昔のゲーム史ですが、この「ドラゴンスレイヤー」シリーズ。2作目にして、パソコンゲーム市場で販売総数40万本を誇る怪物ゲーム「ザナドゥ」を生むこととなります。もちろん当時の記録としても断トツの実績なのですが、パソコンゲームとしては、実は今も破られていない記録らしく。当時のパソコン普及率と現在のパソコン普及率の差を考えると、いかにとんでもない記録なのか、ご理解いただけるかと思います。

もっとも、この「ザナドゥ」というゲーム、ぐらすはプレイしたことはありませんが、聞く話によると、単純にレベルを上げていけばクリアできるタイプのゲームではなく、様々な要素が絡みあった複雑なゲームシステムであったようです。売れはしましたが、万人受けするゲームではなかった、ということですね。

そんなソフトが大ウケするあたりに、パソコンユーザーがマニア揃いであった時代の匂いが感じられて、妙に懐かしいところ。ぐらすもパピーにパソコン買ってもらったのですが、それが98のRX、当時の価格で40万ほどの代物です。ぐらすパピーが「これからはパソコンの時代だ」とか言ってバブルの勢いで買ってきたのですが、ぶっちゃけ、小学生にとってパソコンを使う機会などあるはずもなく、即ゲーム機化。

それでもプレイしたいゲームとかあって、小遣いやお年玉をつぎこみまくって改造したよなぁ…。286を486に乗せ換えてハァハァ興奮したり、200MBのハードディスクを外付けしてキャイキャイ喜んだり。コンフィグの書き換えなんかにもチャレンジしていましたが、おかげでパソコンに対する慣れができたのは、今につながる財産ですね。パピー、ありがとー。

あと、アキバでパーツを値切って購入する術を身につけたのもこの頃。千石とかT-ZONEとかラジデパとか、電気街というより萌え街と化した今のアキバにも残っているんでしょうか。大通りの裏に回ると怪しげな店がぞろぞろ立ち並んでいて、道では「パソコン買うならマハポーシャ」とか喚くアレな宗教団体系列店がチラシ配っていましたけど、今じゃそういうこともないんでしょうなぁ。風の噂に、電気街は神田のほうに移っていったと聞きますが…って話が逸れるので終―了。

で、話を「ザナドゥ」に戻して。そんな古き良き(かどうかはわかりませんが)時代のヲタなパソコンユーザーの間で、複雑なゲームシステムでマニアックな好評を博した「ザナドゥ」でしたが、そんなニッチな製品開発ではいずれ先細ると考えたのか、ファルコムはヒット作「ザナドゥ」とは逆のタイプのゲームを製作することになります。キャッチコピーに「今、RPGは優しさの時代へ。」と掲げ、優しくクリアできるタイプのゲームとしてファルコムが開発したゲーム。それが「Y’s-イース」というゲームになります。

注意していただきたいポイントは、易しさではなく「優しさ」という言葉が使われている点。労なくクリアできるほど簡単ではなく、かといって、攻略法を駆使しなければクリアできないほど難しくもない。そんな意味をこめたキャッチフレーズなのですが、その第一作として制作され、そして人気を博したゲームが「Y's - イース」だったというわけですね。

この「Y's - イース」は、パソコンゲームとしては「ザナドゥ」に及ばなかったものの、パソコンよりもライトなゲーマーの多いコンシューマー機への移植に成功。パソコンゲームとしても「ザナドゥ」には及ばないものの、好調な成績を残し、さらに2作目である「Y's II」で、その人気は隆盛を極めることになります。特にPCエンジンで発売された「Y's I・II」は鬼の売れ行きを見せていたような(実際の売上数までは覚えていませんが)。

こうして、ライトゲーマーに照準を向けた開発コンセプト、開発コンセプトに基づいた難易度調整、それらがツボにはまり、ファルコムは「ザナドゥ」タイプ以外のゲーム開発に成功したわけですね。

この「Y's」シリーズ、III〜Vに斜陽の兆しが見えていたのですが、VIの「ナピシュテムの匣」で復活。IIIをリメイクした「フェルガナの誓い」も上々の出来を見せ、今後も期待の持てるところ。次あたりに「アルタゴの五大竜」とかゲーム化されんかなぁ。ロムンの偉い人も関係してきそうな気配ですし。まぁ、昨年の6月にIIIがリメイクされたばかりなんで、次が出るとしても1〜2年はかかるでしょうから、しばらくは静観モードですけど、次作の発売が決まったら、今回の英雄伝説発売と同様に、キタ━(゚∀゚)━ッ!になるのは言うまでもなく。


■英雄伝説の誕生

そうしてゲームの難易度を下げた「Y’s-イース」がヒットしたのが1987年。折りしもファミコンが大ヒットし、ライトな子どもゲーマーが増えつづけていた時代です。それを示すかのように、難易度を下げた「Y’s-イース」が大ヒットしたわけですから、ファルコムとしても「ザナドゥ」タイプの高難度なゲームばかりを開発するのではなく、ライトゲーマーでも取り組みやすい、難易度を調整したゲームの開発も進めるようになったのでしょう。

これ、実はパソコンゲームの世界では非常に大きな転換点になっていて、現在、日本のパソコンゲームの難易度が下がったのは、この「Y’s-イース」のヒットが一大要因になっていたりします。

もちろん、だからと言って即「簡単なゲームを作りましょー」ということにはならず。そもそも、一口に難易度を調整するといっても、簡単にしすぎては飽きられますし、難しくしすぎてはコンセプトから外れることになりますから、言うは易し行なうは難しな代物です。また、高難度のゲームがまったく売れないというわけでもありませんから、現実には、難易度の高いゲームと難易度を調整したゲーム(そして難易度の調整に失敗したゲーム)が混在する時代を迎えることになるわけですね。

それを示すようにしてファルコムから生まれたゲームが、前者スタイルの高難度ゲームとしては「ソーサリアン」シリーズ、後者スタイルのライト感覚ゲームとしては「英雄伝説」シリーズ、ということになります。どちらも「ドラゴンスレイヤー」シリーズに組するものですが、数多くのシナリオを取り揃えて奥深さを追及した「ソーサリアン」と、一本道のシナリオを少しだけ頭を捻って進めていく「英雄伝説」とでは、目指したコンセプトはまったくの別物。まさに時代を示した二作品と言えるでしょう。

ということで、長らくタメましたが、ここでようやく「英雄伝説」シリーズが登場するわけです。ポイントとしては「複雑なゲーム性や高度なテクニックを追求したタイプのゲームではない」ということですね。そういったものを追求するのではなく、物語性やバランス調整に重点を置いたものが「英雄伝説」シリーズの基本コンセプトだった、ということで、ご理解を。それが20年余りつづくロングランシリーズの礎となり、そして今年の3月、シリーズは7作目に突入することになるわけです。



といったところで、英雄伝説シリーズの沿革語りは終了。いかがでしょう?とか聞いてみつつ、内容については何一つ語ってないので答えようがないー。ギャース。しかも文字だらけでダルイー。ギャース。

次回からは内容に入っていく方向なんで、ピコっとだけでもご期待いただければ。文字だらけなのは変わりませんけど。あと、ぐらすの感想なんで、基本はネタバレ全開ですけどねー。一応、危険部位とそうでない部位は分けますが、混ざっていたら「担当者が把握してませんでした」というブラックな言い訳で逃げる気100%。いちいちチェックなんてしてらんないっすよー、とか言ってみる。イタッ、イタイ、やめて、石を投げないで




英雄伝説 I・II 〜 イセルハーサ編 〜

こんにちは、ぐらすです。今日は短期集中連載モードな「英雄伝説語り」の第2回ですよー。

第1回目で語ったように、この「英雄伝説」シリーズは時代の流れを受けて生まれたシリーズなのですが、とはいえ、なんだかんだで1作目の発売から19年。何の変化もなく進んできた、なーんてことはあろうはずもなく。ストーリー的にもシステム的にも、この「英雄伝説」シリーズは3期に分けることができます。

1期目は「ドラゴンスレイヤー」の6作目として世に放たれた「英雄伝説I・II」の2作品、2期目は「ドラゴンスレイヤー」の冠を外して生まれた「ガガーヴ・トリロジー」の3作品、そして3期目が、今回のまとめ語りを綴るきっかけになった「空の軌跡」の2作品。

既刊6作品に3月発売の1作を合わせて、計7作品になるわけですが、各期の間には世界観や登場人物などのリンクはなく、ゲームシステム的にもまったくの別物。ですから、まとめて紹介すると訳のわかららないことになってしまう罠。なので、一回につき一シリーズ。それぞれ分けて語っていこうかと。とりあえず今回は、シリーズの祖となった「英雄伝説I・II」シリーズについて、語ってみようと思います。

と思っていたのですが、今回「英雄伝説I・II」について語ってみたところ、意外にボリュームが膨らんでしまったもんで、III以降の語りは「ガガーヴ・トリロジー」「空の軌跡」という括りではなく、作品単位の話になるかもー。はっきりとしたことは言えんけど、なんかその方が良さげな感じー。

それと、III以降の感想では「ネタバレあり」「ネタバレなし」のページを分けたのですが、IとIIの感想では「ネタバレあり」「ネタバレなし」のページを分けていません。項のタイトルに「ネタバレ」と入れてある部分が「バレ」になっていますので、バレが嫌いな方はそれを飛ばしてお読みください。


■ドラゴンスレイヤー英雄伝説 I

前回の語りにまとめたように、1987年、ライトユーザー向けのRPGとして世に放たれたのが、この「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」ということになります。

舞台となるのは「イセルハーサ」という世界。5つの国家が存在する世界で、その中の一国、ファーレーンの王子である「セリオス」が主人公。幼くして父王をモンスターに殺されたため、スタート時点で国の実権を握っているのは摂政アクダム。セリオスを亡き者にし、王家を簒奪しようと企んでいる、名前のとおり悪玉なヤカラです。セリオスはアクダムを倒すために戦うことになるわけですね。


■ネタバレ ストーリー語り(ネタバレが嫌いな方は読み飛ばしておくんなまし)

以下、ネタバレありの突っこんだ話になりますが、実はこのアクダム、セリオスの父を暗殺した張本人でもあります。モンスターを王城に招きいれ、混乱に乗じてセリオスの父王を暗殺したというわけですね。

ゲームを進めていくと、民衆の蜂起イベントが起こり、アクダムはファーレーンからトンズラ。逃げたアクダムを追って、セリオスは世界中を旅することになるのですが、セリオスの父王を暗殺したときと同様に、アクダムは行く先々でモンスターとつるんで、各王家を簒奪しようと悪企みしまくり。

結局、セリオスはアクダムを討つことに成功するのですが、その段になると、実はアクダムがモンスターを利用していたのではなく、モンスターがアクダムを手玉に取っていた、という構図が見えてきたりして。セリオスたちは、モンスターの背後で糸を引いている怪物「アグニージャ」の存在に気づくことになります。こいつがモンスターを操っている真の敵なんだ!という展開になるわけですよ。

当然、セリオスはアグニージャを倒そうとします。アグニージャが隠れている「ニルギド」の地に乗りこみ、そして、最終的にセリオスたちはアグニージャを倒すことに成功するのですが、そこで物語をひっくり返す爆弾発言が炸裂したりして。アグニージャは最期にこう言うわけですよ。人間こそが世界に闇の時代をもたらし、滅亡させる真の破壊者なのだ、と。

それでも、アグニージャは力をあわせて自分を倒すことのできたセリオスたちに希望を託し、死んでいくのですが、それまで勧善懲悪な世界にどっぷり浸っていたぐらすはビックラぽん。今になって考えてみると、作中で人間の悪行というとアクダムたんの悪巧みくらいしか描かれていないため(それもアグニージャが裏で糸を引いていた)、微妙に説得力に欠けるところもあるのですが(このあたりはIIで掘り下げられることになります)、それでも、お子さまだった当時のぐらすは( ゚д゚)ポカーンした記憶があったりなかったり。


■ワンポイント - 英雄とは?

ということで、以上がIのシナリオになるのですが、この段階でゲームのタイトルである「英雄」という存在がどのように描かれているかを見ると、初期のドラクエやFFと同じで、力ある一部の英雄が独力で世界を救う、という英雄観だと言えるでしょう。

この英雄観は良くも悪くもテンプレなものですから、とりたてて評価できるものではありません。もちろん、とりたてて批判に値するものでも。

ただし、後のシリーズ展開において、この「英雄観」というものがシリーズの機軸になってくることを考えると、そのスタートラインとして、Iで描かれた英雄観は「力ある一部の人間が独力で世界を救う」というものであったことを覚えておいておいた方が良いかと思います。


■システム面&ゲームバランス

以上が「英雄伝説I」のストーリー&テーマ的な側面になりますが、ではシステム面はと見てみると、当時の水準から見ても、目新しいところは特になく。時代的に見ると、ファミコンで言えば「ドラクエ」「FF」が人気を博し、パソコンゲームとしては「ウルティマ」「ウィザードリィ」などが高い評価を受けていた頃。そんな中にあって、レベルアップや戦闘などの基本システムは、没個性ともいえる代物であったかと。

それよりも、見るべきポイントは、開発コンセプトであった(と思われる)ゲームバランスの調整。既に好評を博していた「Y's - イース」と同様に、難しすぎず易しすぎず、適度にサクサク進めていけるゲームバランスが、一つの売りになっていたのではないかと思われ。ぐらすは20回以上プレイしたと思いますが、慣れてくると2〜3日、やりようによっては7〜8時間でクリアできたような。

だからと言って簡単すぎるわけでもなく。新章開始→問題発生→解決→問題発生→解決→…→解決→章ボス戦→勝利→章クリア→次章へ。という形で、それほど難しくない課題を順々にクリアしていけば、いつの間にか章をクリアできるようになっているんですよ。なもんで、さほど躓くことなくストーリーを進めることができて、小まめに達成感も得られたわけです。中だるみなく、一気にプレイできるイメージかなぁ。


■英雄伝説 II

といったところで、それなりに好評を博した「ドラゴンスレイヤー英雄伝説」でしたが、その続編として発売されたのが、セリオスたちの子ども世代が活躍することになる「ドラゴンスレイヤー英雄伝説II」ということになります。

内容的には、セリオスたちが活躍したIの時代から20年ほど後の話。ある日、突然の大地震が起こり、その後しばらくして、再びモンスターが跋扈しはじめる。その原因を突きとめて解決するために、そして、混乱の中で行方知れずとなったセリオスを探すために、セリオスの息子である「アトラス」が旅に出る、という粗筋ですね。


■ネタバレ 世界設定

I語りと同様に、以下、ネタバレありの突っこんだ話になります。I語りでは触れなかったのですが、実はIの世界には古代超文明の名残が登場します。最強の武器であった「光の剣」も、実はレーザーを応用した武器だったのですが、Iの時点ではこれら古代超文明の遺跡は、ストーリーの骨格にはそれほど関与せず、謎解きの中で多少ネタにされる程度の扱いでした。

その古代超文明とは、前回アグニージャが出現した際に破壊しつくしたもので、時期的には、セリオスやアトラスが生きる時代から遡ること、数十万年前の話。その時点でのイセルハーサ人はお猿さんでしたから、古代文明の存在&滅亡など知る由もありません。有史以降も古代文明の存在を理解することはなく。わずかに残った遺跡物も「神の産物」「不思議アイテム」と認識されてしまい、詳しい調査はされず。古代文明の存在は、歴史の彼方に消え去ろうとしていたわけです。

余談ですが、ファルコムはこの手の「滅びた超文明」ネタが大好きらしく。英雄伝説シリーズでは「ガガーヴ・トリロジー」「空の軌跡」にも登場しますし、イースシリーズでも古代文明が物語の核心につながったりしています。ファルコム開発メンバーには「オーバーテクノロジーは危険だぜ!」みたいな共通価値観でもあるのかも。

と、話を戻して。そんな具合に、イセルハーサには古代文明の痕跡が散見されるのですが、ところが、実は古代の民は滅び去ったわけではなく。アグニージャの襲撃を受けた際、発達した文明を有していた当時の人類は、アグニージャから逃れるために地底に潜り、そこでコールドスリープってたんだぜ!ババーン!!!という衝撃の事実が秘められていたりします。さらには、コールドスリープから既に目覚めていたりもして。それがIIの時代から約50年ほど前の話。

もっとも、無用な混乱を避けるため、5人の「マスター」と呼ばれる識者以外は、ハイパーな技術で地上の記憶を脳内消去されている状態。イセルハーサ人は地底の存在を知らず、地底人は地上の記憶を持たず、接点のない両者は出会うことなく今日に至る、というわけです。地底サイドの「マスター」を除くと、二つの世界を結ぶものは存在せず、ゆえにIの時点で古代超文明が登場することはなかった、ということになるのでしょう。

ところが、IIの冒頭で起こった大地震をきっかけに、二つの世界が物理的につながってしまうというミラクル発生。さらに、マスターが地上を調べるために送った調査隊(各マスターの弟子)とイセルハーサ人の間にトラブル発生→一部の地底人激怒→地上制圧に乗り出す→そのためにモンスターを地上にプレゼント→地上でモンスター大暴れ、という事態へと至ったわけなんだな。


■ネタバレ 核心語り(ネタバレが嫌いな方は読み飛ばしておくんなまし)

あらためまして、ネタバレしまくりですので、ご注意を。さっくりバラしてしまうと、大地震後に起こった「トラブル」というのは、マスターが地上を調べるために送った調査隊が、調査用の気密服を着て地上に出たところを、イセルハーサの盗賊にモンスターだと勘違いされ、うち4人が殺されてしまった、という事件です。

そして、その事件を発端として、調査隊の中で唯一生き残った「フラッド」が、地底を支配していた「ゴドウィン2世」と組んで地上への復讐を図った、というのが事の顛末になります。ちなみに、地下世界は皇帝が支配する独裁国家なので、マスターはあくまで知恵者にすぎず、実権はありません。

ということで、一連の異変はフラッドによる復讐に端を発したものだったわけですが、ここでポイントになるのは、地上世界の神である「女神フレイア」の存在です。実はこれ、古代超文明が開発した「機械」でして。万能の装置として開発された機械「フレイア」には、悪用を防ぐために人格部が備えられているのですが、その人格部が自らを映像化させたものが、地上で崇められている「女神フレイア」の正体だったりします。

そして、地上世界への復讐を誓ったフラッドが利用したのが、このフレイアということになるのですが、ただし、人格部までも悪用できたわけではなく。フレイア専門マスターの弟子であったフラッドが、本体と人格部を切り離し、本体のみをモンスター製造マシーンとして利用していた、というわけですね。そして、製造したモンスターを地上にある端末「竜の卵」から排出していたという。

ちなみに、人格部である「女神フレイア」は、行き場を失った人格部のエネルギーを使い、その思念を怪電波として発信。地上の女神フレイア信者であった電波娘がそれを受信してしまい、事あるごとにフラフラ歩き回ることになるという一幕もあったりなかったり。(その途中でアトラスと合流→仲間になります)


■ネタバレ オチ語り(ネタバレが嫌いな方は読み飛ばしておくんなまし)

ということで、フラッドによる復讐劇が一連の異変の真実だったわけですが、とはいえ、フレイアを悪用しての「地上への復讐」自体は、実は物語中盤ほどで沈静化することになりまして。アトラスたちが、地上でモンスター排出口となっていた「竜の卵」をフレイアのコントロールから切り離し、モンスターの供給を受けつけないよう処理することに成功。そこそこあっけなく、地上でのモンスター騒動は沈静化することになります。

ですが、これが逆に事態をややこしいことにしてしまうわけでして。というのも、アトラスたちが派手に行動しすぎたために、地下帝国がアトラスたちを支援していた地底レジスタンスへの弾圧を強化した上、地上に排出されなくなったモンスターが地下に逆流してしまい、今度は地下がモンスター祭りになる始末。さらには帝国側の秘密兵器によって、レジスタンスの中核があったイシュタの町が一瞬にして破壊されてしまうことに。

このあたりがIとは違うところで、アトラスたち「英雄」の活躍も、素晴らしい結果を生むだけではないよーみたいな描写になっていて。詳しくは後述しますが、英雄伝説シリーズのテーマに関わるワンポイント、って感じですね。

といった状況下にあって、とりあえずアトラスたちはレジスタンスの解放に奔走するのですが(地底世界へのモンスター排出は止めようがありませんから)、その過程で、レジスタンスだけでなく、同じ収容所に監禁されていた「マスター」の救出や、武装蜂起に失敗した王城の警備隊長「ナレサ」との接触に成功。さらには、奪取した帝国側の秘密兵器を利用して、皇帝の居城に武装蜂起をかける、という展開へと至ります。(このあたりはアトラスたち大活躍)

最終的には、地上への復讐のために製造したモンスターが地下世界を荒らしていたことをフラッドが知る→皇帝は地上と地下の完全支配のためにフラッドを利用していただけ→もうお前など必要ないわ〜→フラッドアボーン→皇帝モンスター化→ラストバトル→勝利→エンディング、という展開になるわけですが、このあたりは軽い脱勧善懲悪ものだったIとは異なり、かなり勧善懲悪なラストなので(フラッドについては絶対悪と言い切ることはできませんけど)、単純といえば単純かも。


■テーマ語り

この「英雄伝説 II」というゲーム。オチとしてはIよりも勧善懲悪っぽさが際立つラストなのですが、反面、タイトルである「英雄」について深く語られはじめたのは、思うにこの「英雄伝説II」からだったんじゃないかなぁと思ってみたり。

というのも、上の「ワンポイント - 英雄とは?」の項で書いたように、Iの主人公セリオスたちは、力ある英雄として独力で難問に立ちむかう、という位置づけで強く描かれていたのですが、IIの主人公アトラスたちを見ると、その側面は少し弱まっているんですね。

ネタバレの項で多少触れたことですが、アトラスたちが良かれと思ってした行動が、逆に事態を悪化させることもあります。 それによってアトラスたちは行き詰ってしまうこともあるのですが、それをフォローする「仲間」の存在があったからこそ、アトラスたちはエンディングを迎えることができた、という形になっているのが、この「英雄伝説 II」のポイントなんですね。たった一人の英雄が未来を切り開くのではなく、多くの人々の支えがあってこそ、英雄たちが光り輝く、といった全体構成になっていたと思います。

もっとも、だからと言ってアトラスたちが平々凡々とした活躍しかしなかったわけではありません。袋小路を切りひらく役割は、常にアトラスたちに託されますから、IIで描かれた英雄像は、あくまで「Iのような絶対的な存在ではない」程度のものであって、それでもまだ、一部の英雄の活躍が力強く描かれていることに変わりはないのです。

ただし、この微妙なI→IIの変化は、後のシリーズ展開から見ると、その根底に流れる「英雄とはなんぞ?」というテーマに新風を吹きこんだ形になっていて。一人の英雄の活躍を謳う讃歌としてではなく、英雄を取り巻くパンピーにも焦点をあて「始めた」という点で、ある意味、現在につづく「英雄伝説」シリーズの祖となった、とも言えるんじゃないかなぁ。

そして、もう一つ。英雄と同じく、民を導く存在。神。その絶対性を否定しはじめたのも、この「英雄伝説II」が始まりだったのではないかと。これは後に「英雄伝説IV」で深く描かれるテーマであり、同時に、IVとリンクするIIIとVの物語にあっても大きな意味を持つことになりますが、神とは何だろう?と。

英雄と同じように、いや、英雄以上に大きな力を持った存在、神。人は英雄にその身をゆだね、神にその運命をゆだねて、生きようとします。ですが、今ここに問われます。本当に英雄は必要なのか?と。本当に神は必要なのか?と。英雄とは何なのだ?と。神とは何なのだ?と。そして、人とは何なのだ?と。

英雄伝説シリーズにおいて、それが問われ始めた物語が、この「英雄伝説II」なんじゃなかろーか、と。ぐらすはそう思っています。


■ネタバレ 最後の言葉 (英雄伝説IIエンディングより)

以下、文字色を背景にあわせてあります。

ありがとう、アトラス。これで、正義が守られました。

あなた方にとってこの機械は災いの箱。万能の力など、もはやひつようではありませんね。さようなら、アトラス。私は全ての機能を停止して、眠りにつきます。

でも、お別れではないのです。

私の名はフレイア。いつでもあなたの傍にいます。

祈りを込めて大地に種をまくとき、未知を恐れず大海に船を漕ぎ出すとき、愛する人と大空に夢を描くとき

いつでも、あなたと共にあります




ということで長くなりましたが、英雄伝説シリーズの1期目、イセルハーサ編の語りは、これにて終了ということで。うだうだ語ってみましたが、いかがでしたか?

ま、これだけ語ってみたものの、このイセルハーサ編だけを切りとって見てみると、正直、他のRPGと大差ないんじゃないかと思います。気軽にサクサクプレイできる点にはライトな魅力がありますし、ピコっと捻った問題提起型のシナリオにも見るところはありますが、だからといって、それが大きなアドバンテージになっているわけではなく。ぐらす的には、あくまで「過去の佳作RPGの一つ」程度の認識がピッタリかと思います。

ただし、そういったゲーム単体としての魅力だけでなく、シリーズものの原点として、そのシリーズの根底に流れるテーマの源流として、これから「ガガーヴ・トリロジー」「空の軌跡」を語る前に触れておきたかったなぁと。そう思い、長くはなりましたが語ってみた次第。

イセルハーサ語りはこれにて終了。次回は「ガガーヴ・トリロジー」語りに突入ということになりますが、その根底に流れる「英雄とはなんぞ?」「人とはなんぞ?」という問いかけを意識して、今しばらくお付き合いいただければと思います。ではまたー。





感 想 一 覧

英 雄 伝 説

 はじめに
 英雄伝説とは? イセルハーサ編

 ガガーヴ・トリロジー (バレなし)
 白き魔女 朱紅い雫 海の檻歌

 ガガーヴ・トリロジー (バレあり)
 白き魔女 朱紅い雫 海の檻歌

 空の軌跡 (バレなし)
 空の軌跡FC 空の軌跡SC

 空の軌跡 (バレあり)
 空の軌跡FC 空の軌跡SC